オレンジ色の日々

彩 ともや

オレンジ色の日々

「和真ぁ!数学教えてくれよーー!」

目の前に付き出された1枚のテスト用紙。

その右上には赤く立派な0が1つ。

「…翔…何度目だ?それ」

「言わないでくれよ…それ…」

本を閉じて、目の前の男の顔を見る。

明るい色の髪は少し癖毛。

右側には寝ぐせらしき跡。

二重の目に、日焼けした肌は、流石サッカー部と言うべきだろうか。

対して和真は対称的で、黒髪の短髪に色白だ。

流石は帰宅部と言うべきだろうか。

翔はがっくりと肩を落とした。

どことなく、仔犬を連想させる。

「…はぁ、で?どこ?分からないとこって」

シャーペンを取り出して、ノートを開く。

すると翔は目を輝かせながら前の席の椅子を借り、腰を下ろした。

「…だから、ここは必要条件で、こっちが十分条件でーー」

「ああ!なるほど!」

カリカリと鳴るシャーペンの音。

放課後の教室は、驚くほど静かだ。

「…和真はすごいな」

数字とにらめっこしながら、翔は呟いた。

長い睫毛の奥の目は真剣で、こちらを見ない。

「…どうしたんだよ、急に」

「ん?いや…こんなに綺麗に教えてくれて、なんか、すごいなぁって」

顔を上げ、にっこりと笑ってみせた。

空の夕日。

そのオレンジ色が翔の髪と似ていたからだろう。

一瞬、目の前が橙色に染まったんだ。


俺と翔は幼馴染みだ。

幼稚園から小学、中学、高校とずっと一緒だった。

中学の時、俺と一緒の高校に行きたいと、毎日必死に勉強していた翔の姿が思い出される。

図書館で勉強をみてやっていると、船をこぐ翔の姿が日に何度かあった。

その時に、弟っていうのはこんな感じなのかってことを思ったりした。


多分、その時からずっと、翔は俺の弟みたいなもんだって、意識的に思うようになった。


「なぁ、和真。お前ってさ、彼女、いんの?」

突然の質問に、食べていた卵焼きを喉に詰まらせそうになった。

「ごほっごほっ!何、急に…」

「え?いや、別に気になっただけ」

小さな棒つきの飴を舌の上で転がしながら、翔は、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

ベランダでの弁当は入学した頃と変わらない。

冬でもマフラーを巻いてずっと二人で食べている。

そう言えば、もう肌寒い季節になってきていた。

もう少しで高校生活2年目の生活も終わる。

「…その飴、どうしたの」

「ん?高田がくれた。いるか?」

そう言って、食べていた飴を差し出してきた。

「いや、待て。くれるなら新しいのだろ」

「別にいーだろ。幼馴染みだし」

けらけらと笑う翔。

楽しそうだ。

「いや、いくらなんでも男同士でそれはーーんぐ?!」

「はいはいはいはい。美味しければ全て良し。ことわざにもあるだろ」

翔は和真の頬を掴み、飴を押し込んだ。

お弁当を片付けていた和真の手は止まり、目は思いきり開かれている。

「うまいだろ?」

「…終わりよければ、だ」

飴を口から出して、和真は言った。

「終わりよければ全て良し、だ」

「…それ、今言わなくてもいーだろ!」

翔は赤面して和真を小突く。

「いや、間違いは訂正しないとだろ?」

「そんなんだと、もう飴やんないからな!」

和真は手に持ったままの飴を口に入れ、ガリッと噛み砕いた。

「ああ!!」

「俺にくれたんだろ?頂いとく」

いちご味の甘い欠片が、口の中に広がった。


このときは、何も疑っていなかった。

これから先、こんなにも自分を狂わせる感情が現れるだなんて。



「かーらーすーなぜなくのーからすの勝手でしょー」

「その替え歌、まだ覚えてんの?」

「えー?忘れないだろ。懐かしくもないぐらいだ」

「そんなにしょっちゅう歌ってるのか…」

昔流行った替え歌。

誰が作ったのか分からない、茶番の歌。

それを口ずさみながら、通学路を歩く。

通いなれた、歩きなれた一本道。

間違うはずもない、日常を表したような道だ。

「なー、和真。俺さ、彼女、出来たんだよね」

その言葉に思わず足が止まった。

何だって?

今、なんて?

「あー、えっと…一昨日にさ、告白されて…んで、付き合った。」

恥ずかしそうに、頭をかきながら話す翔。

夕日が、二人の影を長く長く伸ばしていく。

のっぺりとしたコンクリートの上、のっぺりとした影が2つ。

そして。

「ほら、お前も知ってるだろ、佐々木さん。佐々木 穂乃佳」

影が1つ、増える。

「あ、えっと…こんにちは!石井君」

ボブの髪。

短いスカートから伸びる細い足と細い腕。

屈託の無い笑顔は、どこか翔に似ている。

「お前にさ、紹介?したくて。ずっと一緒に、いたからさ、なんか、認めて?ほしいっていうかさ…」

「あはは。なんか、翔君、石井君のこと大好きで…」

「大好きじゃねーし!照れるだろ!言うなよ!」

「だってホントのことじゃん」

笑い合う二人がなんて幸せそうなんだろうって。

そう、思った。

思った、けどーーーー

「翔は相変わらずだな…おめでとう。良かったね、翔」

にっこりと笑って、和真は言った。

祝いの言葉を。

その言葉を口にしたとき、胸が痛くて仕方なかったけれど。

それを隠すように、笑い続けた。


夕焼けの公園。

並ぶ、2つの影。

高さの違う、黒い亡霊。

以前、並んでいたのは高さの変わらない影だったのに。

揺れるブランコ。

彼の手が伸ばされる先。

自分よりも小さく儚い存在がいる。

儚い?

違うだろ。

あれは、悪魔だ。





何だろう…

何だろう…

何だろう…

頭の中がぐちゃぐちゃで。

胸の中には大きな穴が空いていて。

目の奥が痛くて。

いや、痛いのはやっぱり胸か? 

喉が潰れるくらい叫びだしたい。

浮かんでくる翔の顔。

浮かんでくる佐々木 穂乃佳の顔。

黒く、黒く黒く黒く。

塗り潰してやりたいような。

そんな少女と少年の顔。



あれ。

これ、悪魔って、俺か?


ぴりりりりり!

スマホの着信で我にかえった。

時計を見ると、7時半過ぎだ。

あれから1時間ほど経っていた。

「もしもし…」

「あ、もしもし?」

電話の相手は翔。

いつも通りの声だ。

「翔?どうか、したのか?」

「あ?どうかしたのはお前じゃねーの?」

予想外の切り返しに言葉を失う。

翔はこちらの答えを待っているのか、喋らない。

背後から、車の走行する音が聞こえた。

「…なんで?何も、変わってないよ。」

とりあえず、そう返す。

「いや、何か今日変だったぞ?何かあったのか?…佐々木か?あいつ、なんかしたのか?」

それでも、踏み込んでくる翔はきっとお人好しだ。

何処までも彼はそのまま、突き進んでいくのだろう。

こんな、どす黒い感情なんて知らずに。

「…いや、佐々木さんは何もしてない。ただーーー」

「ただ?」

宙を仰ぐ。

天井の蛍光灯が白く光っている。

眩しくて、それが目にしみた。

「……ううん。なんでも。それより彼女と一緒なんだろ?もう切るぞ」

「あ?ああ。もう切るけど…」


ピンポーン


チャイムが鳴り、それを合図に電話を切る。

母親が帰ってきたのかと、玄関を開ける。

「あ、オス」

立っていたのは翔だった。

走ってきたのだろう、息が上がっている。

本人はそれを悟られまいとしているようだが、バレバレだ。

「翔?どうかしたのか?」

すると翔はいきなり和真の額に手を当てたかと思うと、身体中を調べ始めた。

「お、おい??何ーー」

「あーーー!良かった!!健康か!」

「は??」

状況が飲み込めず、されるがままになる和真。

翔にガクガクと揺さぶられ、頭が揺れる。

「和真がどっか悪いんじゃないかって心配でさぁー!もう、何だよ!健康じゃんかよ!心配させんなよぉ!」

ぎゅうぅっと抱き締められ、茫然とする。

でも。

でもーーーー

翔の髪の匂い。

心音。

腕の力。

肌の温もり。

全部、全部が手元にある、感覚。

さっきの、おかしくなりそうなほどの感情は消えていた。

いや、完全に消えた訳じゃない。

心の奥に、燻りはある。

けれど。

うん。

もう、いいかな。

「ふふ、はははは」

笑みがこぼれて、手を、翔の背中にまわす。

「何だよ、やっぱ何かおかしいのか??」

翔はまだ心配なようだ。

「いや?どこもおかしくないよ」


おかしくないよ。

ただ。

ただーーー



いや。

きっと、違う。



「翔は俺の弟みたいなもんだって、思ってさ。」





そうだろ?

だって、夕日がこんなにも綺麗だもんな。

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