34匹目・子供のイタズラと剣の道

「それでは遠西さん――やんちゃしてご迷惑掛けるかもしれませんが卯流はるなよろしくお願いします」


「んもーそんなことないもん!

 ねっ☆綾ねーちゃん♪」


頭を深く下げる卯流パパさんママさんに対し、隣の卯流が膨れっつらになりながら私の腕に飛びつく。

その光景を見てパパさんママさんは安心した、といった表情を見せる。


あれから卯流一家は県内のテーマパークや温泉を巡り、親子水入らずを楽しんできたようだ。

再び卯流を預けに私の家に戻ってきたのが日曜日のお昼。


「それじゃあ卯流、パパ達必ず次の行事は参加するから。

 それと夏休みは一週間ぐらい旅行に行こうな!

 だからパパ達を嫌いに――」


「ほらパパ、ハンカチ。

 それでは卯流をお願いしますね遠西さん」


涙と鼻水を流しまくるパパさんにハンカチを渡しつつ、再び深々と頭を下げるママさん。

この後すぐに海外に戻らなくちゃいけないそうで。


「――パパ、ママ、約束、だからね♪」


卯流の言葉に『うん』と頷く二人。

そして待たせていたタクシーに乗り込み、走り出していった。

それを姿が見えなくなるまで手を振り見送る卯流と私。


「……綾ねーちゃん、本当にありがとう」


小声でポツリ。


「――何の事?」


私は卯流に視線を向けず、その言葉にとぼけてみる。


「綾ねーちゃんがこの前、パパに電話してアタシの事で怒ったんでしょ?

 『卯流を泣かせている事に気付きなさい!』って」


どうやら旅行中にパパさんが卯流に話したみたいだね。




そう――数日前、私は亥菜に頼んで卯流のパパさんに連絡を取った。

理由は、『卯流が泣いていたから』だ。


あの時の卯流は『夕食いらない』と言っていたけど、流石さすがに育ち盛りの子にご飯食べさせないのは駄目だろう。

そう思い夕食を卯流の部屋まで運んだんだけど。


卯流の部屋の前まで来ると――卯流のすすり泣きと呟きがかすかに私の耳に届いた。


『ひっく――アタシ――来て――ひっく――欲しかった――』

『アタシの――ひっく――小学校最後の――授業参観――ひっく――』


普段の卯流からは想像できない泣き声。

きっと電話の後あの場から走り去ったのは、自分の泣いている姿を誰にも見せたくなかったんだろう。


――私は少し間を置いてから部屋の扉にノックする。


「卯流――夕食、部屋の前に置いておくね」


『――!と、遠西ねーちゃん!?う、うん、ありがとう……』


夕食を載せたお盆を部屋の前に置いて私はその場から立ち去った。

その後は、まあ以前の通り。


亥菜りなを通して亥菜の親父さん、そこから卯流パパに電話を通してもらった。

そして卯流パパに電話が繋がってすぐに、


「私は卯流を預かっている遠西綾芽と申します。

 貴方達に一言伝えたくて猪林ししばやしさんから電話を繋げてもらいまして。

 単刀直入に――卯流を泣かせている事に気付きなさい!」


怒声を上げた。

隣に居た亥菜がめっちゃ驚いていたけど私はお構いなしに続ける。


「貴方達は今まで何度卯流との約束を破った!?

 その度に卯流の悲しそうな顔が見えなかったの!?

 その度に卯流の寂しそうな声が聞こえなかったの!?」


『それは、その――』


向こう側は口篭もり、しばし静寂が訪れる。

少しして私から口を開く。


「……もし、もしも卯流の事を愛しているのなら、すぐに来てあげてください。

 たとえ授業参観に間に合わなくても、卯流のそばに少しでも居て笑顔にさせてあげてください。

 ――すみません、初対面の方にいきなり怒鳴ってしまって」


『……いえ』


「用件はそれだけです――失礼します」


電話の向こうから『それでは……』と聞こえてから通話を終える。

私はふぅ、と溜息を吐くとスマホを持つ手を下ろす。


「すごい迫力でしたわね綾芽さん」


「ごめん、驚かせちゃって。

 それで亥菜、卯流の親御さんが授業参観に――」


「『間に合わなかったら私が参加する』ですか?」


「うん。それで――」


「任せてください!わたくしが綾芽さんにふさわしいコーデをバッチリ決めて差し上げますわ♪」


私の伝えたい事をすぐに理解してくれる亥菜に苦笑いする。

でも亥菜であれば私を授業参観に合う格好にしてくれるはず。


「きっと、綾芽さんだったら卯流ちゃんも喜んでくださいますわ」


「ははは、そうだったらいいけど」


正直私が行って卯流が喜ぶかどうか分からないけど、少しでも笑顔になってくれればいいなと思う。




そして卯流には内緒で授業参観へ参加して今に至る。

なんて言うか、卯流以外の人たちにも好評だったのが謎だったけど。


二人を見送った後、玄関前まで歩きながら一連の事柄を振り返っていると卯流が私の前に出てきて、


「綾ねーちゃんがパパ達に電話しなかったら、きっとアタシ今、笑顔になってなかったかも☆

 ……だからありがと綾ねーちゃん♪」


にししと笑う卯流。

私は笑顔でお礼を言う卯流から視線を逸らす。

だって、照れ臭いし。


「ま、まあ卯流は明るく能天気に笑ってた方が卯流らしいからね」


「あー!能天気ってひどくなーい?☆」


ぷくーと頬を膨らませる卯流に私は言葉を続ける。


「――それに卯流は笑顔の方が、可愛いし」


笑顔でそう言いながら卯流の頭を撫でる。

卯流は顔を真っ赤にし、同時にぽん!と干支化してしまう。


「も、もー!綾ねーちゃん!何言ってるの☆」


そう言いながらうつむく卯流。

こういう風に恥ずかしがる卯流も新鮮――


「隙ありっ☆」


俯き恥ずかしがっていた卯流は手を伸ばし、油断してた私の胸を掴む。


「ほうほう、綾ねーちゃん意外と……」


卯流はムニュムニュと揉みながらまじまじと私の胸を見ている。


「――こら!卯流ぁ!」


「あは☆子供の悪戯いたずら、子供の悪戯だよ♪綾ねーちゃん♪」


私の胸を揉む卯流を振り払おうとすると、それを察知してかぱっ!と手を離し数歩後ろに下がりえへへと笑う卯流。

まあ卯流の言う通りだし、その笑顔を見てたらこれ以上怒るに怒れないんだけどさ。


「全く……あんまりそーゆー悪戯は――」


「綾ねーちゃーん♪」


私がぶつぶつ独り言言っている最中さなか、卯流が私を呼びながら――私目掛けぴょん!と飛び跳ねる。

また胸を掴まれまいと胸をガードする、けど無駄だった。

だって卯流の目標は――


「だーい好き♪」


ちゅっ。


飛び跳ねた卯流は私の首に腕を回し抱き着く、と同時に卯流の唇が私の唇を奪う。

そしてすぐさま私から離れる。

ちょっと何が起こったのか分からず脳が混乱している。


「え、今、え?」


お陰で言葉が出てこない。

少しずつ考える、卯流に胸を揉まれ、卯流に抱き着かれ、卯流にキス――

途端私の顔に熱がこもる。


「あはは☆綾ねーちゃん、カーワーイーイー♪」


茶化すような卯流の言葉で我に返り、


「こらぁっ!卯流ぁっ!!」


声を荒げるも卯流は笑顔で家の中に逃げて行った。

これも子供の悪戯、なのかな?

とか考えながら卯流の唇が触れた部分を指でなぞる――


と私は急いで周囲をキョロキョロ見回す。

今の光景、誰にも見られていないよね!?

……どうやら誰も見ていなかったようで一安心。


私ははぁぁぁぁ、と大きく溜息を吐き独りちる。


「下手すりゃ私の人生、終わって――」


!!遠西さん!!」


「ひゃわぅ!?」


家の陰から午馳まちが顔を覗かせ、大声で話しかけてきた。

あまりの驚きに変な悲鳴を上げてしまった。恥ずかしい。


「ど、どうしたんですか遠西さん、私、変な事しましたか?」


「い、いや、うん。ちょっとばかし驚いただけだから、うん。気にしないで。

 そ、それで何か用?午馳」


卯流の件とかが吹っ飛び冷静になれた、ありがとう午馳。

その午馳は首を傾げながら私に近づいてくる。


「押忍!遠西さんにお聞きしたいんですが、あちらの道場にある竹刀とかは使えるのでしょうか?」


言いながら午馳が指差す方向には、我が家が所有する道場が建っている。

中には剣道に使う防具、竹刀などが置いてあるけど。


「んー……今はあんまり使ってないけど定期的に掃除や点検とかはしているから使えるはずだけど。

 どうしたの急に竹刀とかの事を聞いて」


「実は今度、剣道部の助っ人を頼まれたんですけど――」


剣道部の助っ人。

その言葉に過去を思い出し、胸がちくっと痛む。


「私、実は剣道とかの武術系ってやった事無いんですよね。

 それで――」


「ねぇ午馳。午馳って高3だよね?

 部活の助っ人って言ってるけど受験勉強とかいいの?」


私の言葉に午馳はたはは、と苦笑いを浮かべ頭を掻く。


「そうなんですけどねぇ……勉強は苦手だし、これといった就きたい職業も無いし。

 あ、でもスポーツ関係の仕事に就けたらなーとかはなんとなーく思っているんですけど、如何いかんせん具体的には思い浮かばなくて」


「……スポーツで有名な大学に行ってスポーツ選手を目指す、とかの選択肢は無かったの?」


「押忍、スポーツは確かに好きではあるんですけどそのスポーツ一筋で、となるとなんか違う気がして……」


今度は腕を組んでうんうん唸っている午馳。

私には分からない本人にしか分からないこだわりがある様だ。

……午馳の将来が私の現状と似たようなことにならなければいいけど。


「まあそれはともかく、それで?

 ずぶの素人しろうとが剣道部の助っ人をするって?」


「押忍!ルールや構えとかは本を読んで覚えようかと思いまして。

 道場にある道具で最終確認を――」


ぬるい」


ぴしゃりと言い放つ。


「お、押忍?遠西さん?」


「本を読んだだけで出来る程温くないよ、剣道は。

 ――しょうがない」


はぁ、と溜息を吐き私は道場へと歩き出す。


「あ、あの遠西さん?しょうがないって、一体――」


午馳が戸惑いながら聞いてくる。

その声に私は顔だけ午馳に向けて一言。


「私が午馳に叩きこんであげる――剣道のいろはを、ね」

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