お願いだからもうついてこないでください!何でもしますから!

1(1)0日目 出会いの朝

 このアラーム音なら絶対に起きられる自信がある。

 どんなに夜更かししても絶対に設定した七時半に起きられる。

 社会人として当たり前のことではあるけど、就職してから一回も寝坊したことはない。

 学生時代? ナニソレ、イツノコトダッケ。


『おはよう。よく眠れた? 早く起きないと遅刻しちゃうよ』

『おい、寝ぼすけ。いい加減起きろ。俺様の作った朝飯が冷めるだろ』


 時間になったのか枕元に置いていたスマートフォンが、目覚めのいいメロディと共に男性の声を再生し始めた。

 声音はちょっと違うがどちらも同じ人の声だ。

 耳から全身に伝わる幸福感。寝起きに聞く推しの声はやっぱりいいね。

 私はのそのそと布団から手を出し、枕元のスマートフォンを掴む。

 画面をするするとなぞり、ここだという場所を勘でタップする。


『おっはよー! 起きて起きて! 今日も張り切っ』


 推しボイスの途中ですが、ここで私古之屋このやモトコの目覚めをお知らせ致します。


「……ょいしょっと」


 むくりと寝起きでだるい身体を起こす。

 ヘッドボードに好きなアニメのマスコットキャラクターのぬいぐるみたち、ナンバーワンくじで当てた好きなゲームのポスターを飾った壁が目に入る。


 何の変哲もない、暮らし始めて二年ほどのワンルーム内。


 ぐーっと伸びをして私は支度に取り掛かろうとベッドを降りる。

 世間じゃ土日は休日扱いだけど、アニメグッズまで扱うメディアショップで働く私には関係ないこと。それなりに忙しいけど同じ趣味の人が多いから楽しい。


 私の支度は女にしては早いほうだと思う。

 歯磨きして洗顔して化粧水をパシャパシャ。メイクは眉ペンにコンシーラーとファンデーションくらいでいい。アイメイクしたところでどうせ眼鏡掛けちゃうし。

 二ヶ月に一回格安美容院で毛量を整えるくらいの髪はシンプルなヘアゴムで一括にする。


 ここまでで約十五分前後。


 あとは着替えて出るだけ。制服は職場のロッカーにあるし、Tシャツジーパンというラフスタイルでいざ出陣です。あ、もう寒くなってきたからジャケットも。

 それから忘れちゃいけないお弁当。推しキャラのモチーフエンブレムがプリントされた保冷バッグで必ず持っていくんだ。


 至っていつも通りの朝。

 少し違うのは私のテンションがちょっと高いことくらいかな。

 つい最近観てるアニメのオープニングを口ずさんでしまうくらいに。


 実は明日から七日間の有給休暇を取ってあるんだな。

 別にどこへ行くわけでもないけど、録り溜めていたアニメや積み本積みゲーの消化、先日買ったゲームの実写舞台版DVDの視聴に費すつもり。

 まあ一番の目的は、ハマってるイケメンアイドル育成アプリのイベント周回だけどね! 推しのURウルトラレアカードを確実にゲットするために! これは最優先事項です。絶対取り漏らすワケにはいかないのである。


「…………ん?」


 明日の昼から始まるイベントにメラメラと闘志を燃やしていると、ボトッという落下音がすぐそばから聞こえた。

 ちょうど住んでいるアパートのごみ捨て場の前を通り過ぎようとしていた時だった。


 よく見るブロック塀で囲って作られたスペース。塀にはカラスや野良猫のイタズラ防止ネットが掛けられている。

 燃えるゴミは明日だから何もないはずなのに、そこには本が一冊ポツンと置いてあった。


 紫色に金細工が施された装丁。

 背表紙には箔押しされた見慣れない文字。

 まるでゲームに出てくる魔導書のような見た目にオタク心がうずうずと刺激される。

 気になった私はその本へと近付いてみた。


「……何の本だろうこれ」


 そして、つい手に取ってしまった。

 想像よりずっしりと重たい。

 付着した塵を払ってあげると、天辺目指して登る太陽に照らされて金細工がギラギラと輝いた。


 何ていうか、……とても妖しい感じのする本だ。

でもなんか目が離せない。

 強い存在感を放つこの本が気になって仕方ない。


 まさか本当に魔導書だったりして、なんて思いながらその本を開こうとしてみた────のだけど。


「……ひらけ、ない?」


 両面とも同じデザインだからどっちが表か裏か分かんないけど、瞬間接着剤で貼り付けられたみたいに表紙がぎちぎちにくっついてて開けなかった。

 もしかして、見た目は本のアクセサリーボックスとか? そう思って引き出せそうな場所を探すけど、それっぽいのはどこにも見当たらない。

 ということは箱ではなさそう。まあ側面をなぞってみた感じ、やっぱり本みたいだし。

 だけど開けない。

 つい意地になってグギギと歯を食いしばり力いっぱい開こうとしたけど無理。

 だめだこりゃ、と息を吐く私の目に、手首に巻いた腕時計が目に入る。


「しまったっ! コンビニ寄る時間が無くなっちゃう!」


 いつも朝ご飯はコンビニのパンで済ませている私。

 早く行かなければ電車もギリギリになってしまう。

 急がねばと手に持っていた本を塀の上に置こうとした。


「…………」


 ────なのに、何故か手が離せない目が離せない。

 どうしてか分からないんだけど、まるで……捨てられた子猫が『置いてっちゃうの?』ってつぶらな瞳で訴えてきた時のような、そんな罪悪感に苛まれる。


 いや、出来るなら拾っていきたいよ?


 でもさ、でもさ、普通の賃貸アパートだからペットは飼えないわけで、どんなに連れて行ってやりたくても抗えない事情に阻まれるのよ。どうにもできない事ってあるよね。

 本当に本当に、捨て猫とか見てられないんだけど!

 ……捨て猫じゃなくて本なんだけど!


(うぐぐ……! すまない、来世でまた会おう!)


 罪悪感を振り払うように塀の上に本を載せた。

 ていうかそもそもごみ捨て場とは言え、他人のものを勝手に持って行ったら泥棒だし。

 確かに見た目は好みだし物凄く興味を惹かれるんだけど、犯罪者にはなりたくないもん。


(でもなんかすごく惜しい気がして……)


 とか言いつつ後ろ髪引かれてたり。

 しかし時間は止まってはくれない。私には仕事があるんです。

 きっと大型書店か通販サイトを探せば同じ本があるかもしれない。今拾ってはあげられないけど、また出会えますように。

 いつか再会したその時には絶対お迎えするから!


 そう心に決めて角を曲がった時、視界の隅で妖艶な紫色がギラリと光ったような気がした。



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