第7話 【七】


 突然、前を歩く子どもが立ち止った。


「とうま」


 つややかな前髪をゆらし、大きな眸で大野をとらえる。


「ひゃくしょうをみたことがあるか?」


「百姓でございますか?」


 意外すぎる下問に、当惑する小姓。


「わしは、ひゃくしょうをみたことがない」


「いえ、さようなはずは。厠の下掃除人は何度かご覧になっておられましょう?」


 言ったそばから、つよい臭気が鼻腔をつらぬいた。

 いままさに屋敷のどこかで、下肥汲み作業をしているらしい。


「なに!? あれがひゃくしょうか!」


「葛西の百姓でございます」


 会津藩邸は、厠の下肥汲み取りを、葛西の名主に委託している。

 名主は、汲み取り権を配下の村人に小分けにして売り、日々の作業は買い取った者が交替でおこなう。

 屋敷内にはいくつもの厠があり、朝から昼にかけて収集したあと、近くに係留した葛西船に肥桶を積んで運んでいく。

 ほぼ毎日出入りする下掃除人の姿は、金之助も何度か目にしているはずだ。


「そうか~」


 金之助は虚空を見あげ、なぜかニンマリ。


「では、しょうないのひゃくしょうも、みておかねばの~」


(なぜ???)


 またひとつ謎がふえた。




 若君一行は、軒唐破風のきからはふの重厚な玄関から外に出た。


 和田倉屋敷正門――表大御門は、玄関のほぼ正面、馬場先堀の土塁に面して建つ長屋門形式の屋敷門で、門扉の左右には会津二十三万石の格式にふさわしく、唐破風屋根をもつ番所が一対もうけられている。


 玄関から分厚い門扉までの十間少々(約20m)の竟内きょうないは、騒動を聞いて駆けつけた藩士であふれ返っていた。


 その人込みの中に、よく知った顔を見つけた。


「椿先生?」


「おお、冬馬か」


「どうなさったのですか、このようなところで?」


「いや、急に崋山殿に会いとうなってな。ところが、御門を入るやいなや後ろで騒ぎが……」

 

 いつも無口な椿が、めずらしく饒舌になっている。

 

「門内には入れたものの、山川殿に取りついでくれる者がおらず、困っていたのだ」


「わしに? では、本日は椿殿が講義を?」


 自分の名が出たためか、山川が話を引き取る。


「そのつもりで来たのですが、みな取次それどころではないようで」


 めったに感情をあらわさない男が、品のいい面長な顔に苦笑をうかべた。

 


 会津屋敷では、いま、ひとりの罪人を預かっている。

 もと三河田原藩家老・渡辺定静さだやす(崋山)という男だ。


 天保十年五月にはじまった言論弾圧――蛮社の獄で、渡辺は蘭方医・高野長英らとともに幕政批判の罪で逮捕され、同年十二月十八日、国許において蟄居という裁定を受けた。


 この大獄は、二年前のモリソン号事件後におこった幕政批判――処士横議(身分的制約を越え、国事について意見交換しあうこと)に対する見せしめとして断行された。


 蟄居命令が出た渡辺だったが、家老として藩を立て直すため、大胆な改革をおこなってきたこの男には敵が多かった。

 

 主君・三宅土佐守康直は、失脚した渡辺が国許蟄居となれば、反渡辺派によって危害がくわえられるのではないかと恐れた。


 そこで三宅は、幕府内につよい影響力をもつ常溜(溜詰世襲の家柄)の会津藩主・松平容敬に功臣を託すことにした。


 容敬としても、この大獄では、同じ容疑で告発されながら幕臣たちは咎めを受けず、陪臣・町人だけが処罰された裁定ことに疑問をもっており、三宅の依頼をこころよく引き受けた。


 こうして昨年、天保十一年一月、国許に移送されるはずだった渡辺の身柄は、会津藩あずかりとなり、和田倉屋敷に収容されたのであった。


 会津藩では、邸内にあった重役用の役宅を改修し、渡辺の謹慎所――囲み屋敷を用意した。


 急きょしつらえられた謹慎所は、南の八畳間を渡辺の居室とし、座敷の東と南にははめ殺しの格子戸で囲われた広縁をめぐらせ、縁の南西に厠と風呂をもうけた。

 居室西にはちいさい中庭、居室北側には十畳ほどの番人詰所がつくられた。


 居室と詰所は一見壁にみえる板戸で仕切られているが、これは簡単に取り外すことができ、戸を抜くと渡辺の謹慎室とつづき部屋になるように設計されている。


 じつは、表向き『番人詰所』と名付けられたこの座敷が若君の学習室だった。

 そして、金之助の侍読は、かつて「蘭学にして大施主」と称された蘭学者で、儒学から農政・海防・行政まで幅広い知識と経験をもつ逸材――渡辺崋山なのだ。


 渡辺を預かった容敬は、当代一の学者が理不尽な弾圧で社会的に抹殺され、朽ちていくのを惜しみ、この俊才を人材育成に活用しようと考えた。


 こうしてつくられた学習室は、若君だけでなく、大野ら江戸勤番・藩士子弟の受講希望者を受け入れ、ちいさいながら充実した教場となっている。


 また、渡辺は蟄居中の身で、本来は外部の人間との接触はかたく禁じられていたが、面会を希望する友人たちには、事前に登録した少数の者だけに、居室には立ち入らないことを条件に来訪をゆるした。

 そこで、椿らは山川に面会するていをよそおって、渡辺のもとを訪ねてくるのだ。



 椿――椿椿山つばきちんざん、本名は椿たすく


 もとは槍組同心として徳川家に仕えていた幕臣だったが、いまはそれを辞し、私塾『琢華堂たくげどう』を主宰し、書画・素読・居合などを教え、生計を立てている。


 同心など御家人の家禄は総じて低く、それだけでは生活ができなかった。

 そのため椿は、副収入を得る手段として画を志し、はじめは金子金陵から沈南蘋しんなんびん風花鳥画を学んだ。

 ほどなく金陵が没したため、金陵の師・谷文晁の門下に入ったが、そののち同門の渡辺崋山の画塾に移り、以後、渡辺を生涯の師とあおいでいる。


 

 おととし十二月、蟄居の判決が下りると、藩は渡辺の家禄をはく奪した。

 崋山の高弟で親友でもある椿は、実家の窮乏を案じ、江戸で書画会を開き、渡辺や自分の画を売り、相弟子・友人から志を募って、生活支援をつづけてきた。

 

 だが、罪人となった渡辺から距離をおく者もすくなくなく、蟄居から一年たち、椿は仕送りの金策に頭を悩ませていたところ、渡辺が侍読となり、会津藩から月並銭つきなみせん(月謝)名目の送金がはじまり、田原の生活費を工面する必要はなくなった。


 容敬は、収監当初から実家支援を申し出ていたが、「これ以上の迷惑はかけられない」と、本人が頑なに拒否していたため、援助をひかえていた。

 しかし、教授料という立派な名分ができ、この頑固者もやっと援助を受け入れたのだった。


 そこで椿は、自分自身も無償で講師をつとめ、師が受けた恩をともに返そうと決意したらしい。

 

 いまは画家として高名な椿だが、もとは代々槍組同心をつとめる家柄。

 兵学・槍術・居合・馬術などにも通じており、大野はおもに武芸指南を受けている。


 また、和田倉に通うほかの友人たちも、各分野で名を知られた人物ばかり。

 こちらも椿同様自発的に講義をはじめ、和田倉学習室にはその規模に似合わぬ一流の教授がそろうこととなった。

 

 

 

 表大御門にたどりつくと、門外は竟内以上の人だかり。


 群衆の前方には他藩の侍たちがずらっと居並び、その後ろは町人衆でびっしり埋めつくされている。


 そして、その最前列、門前の敷石には三人の男が正座していた。


 無精ヒゲの生える日焼けした顔。

 ほつれぎみの鬢。

 旅塵にまみれた木綿の野良着。

 蓑でおおわれた背。


 三人とも、一目で百姓とわかる出立いでたちだった。

 

「会津中将さまご嫡男金之助君!」


 家臣がそう告げると、百姓たちは、はじかれたように平伏。


 一方、後ろの群集からは、


「「「なんとうつくしい御子じゃ!」」」


 若君の美貌に大きな感嘆の声があがった。


「むふふふ、町人どもは正直だ」


 山川は上機嫌でニヤニヤ。

 若君を溺愛している老人は、どんなことであれ、金之助が褒められるとひどくうれしいらしい。


 が、横の椿は、


「……これはまずい……」と、渋面をつくり嘆息。


(まずい?)


 憂鬱そうな師の表情にとまどう大野をよそに、金之助は、


「おお、これがしょうないのひゃくしょうか~」


 ニコニコ笑いながら、遠慮なくまじまじ。


「かさいのひゃくしょうと、にておるの~」


 と、突如、中央の百姓が書状をはさんだ青竹を差し出し、叫んだ。


「お願ぇいたします、会津さま! おだすけくだされ!」


「な、なんじゃ?」

 

 ノンキに観察していた金之助は相手の勢いにのまれ、じわじわ後退。


「お願ぇの筋でございます! どうかお口添えを!」


「お頼みもうします、お頼みもうします!」


 ほかのふたりも必死に懇願。


「……うぐ……」


 すさまじい迫力に、若君は半泣きで定位置――大野の後ろにかくれた。


 そこへ、


「ご家老!」

 

 門外から駆けこんできた数人の藩士が人込みをかき分け、山川のもとに。


「先ほど、大下馬において庄内の百姓どもがご大老・ご老中方のお駕籠に越訴おっそを!」 


 大下馬は大手門前の広場で、各藩の登城行列はここで供を減らし、城内に入っていく。

 この和田倉からは、堀をはさんだ北側――至近の場所だ。


「なに、駕籠訴とな!?」


「さようでございますっ!」


「「「駕籠訴っ!」」」

 

 門内は騒然となった。


「かごそ?」


 金之助に涙目で問いかけられた大野は、


「駕籠訴とは越訴のひとつにて、行列のお駕籠に訴状を差し出すことです。

 本来百姓は、訴えの筋あらば、まずは名主・代官、もしくは所轄の奉行所に申し出ることになっておりますが、越訴はその決まりを破り、いきなり公方さま・幕閣・藩主に訴えるのです。

 場合によっては、死罪となることもございます」


「しざい!?」


 蒼白になる若君。


「死は覚悟のうえにございます!」


「百姓たりといえども、二君に仕えず! われら庄内の百姓が殿とお慕いいたすは酒井さまのみ!」


「先祖代々二百年、われらは左衛門尉さまの百姓として生きてきたのです」


「「「どうかお助けくだされ!」」」


 鬼気迫る訴えに、門内外の群衆は沈黙。


『百姓たりといえども、二君に仕えず』


 眼下の男たちから立ち上る気迫に、大野の胸は熱くたぎった。


 戦のない世になり、早二百有余年。

 一朝事あらば死をも辞さずと標榜し、百姓たちの上に立ってきた武士。

 だが、はたして有事の際、すべての武士がこうもいさぎよく、命を捨てられるだろうか?

 長い泰平に慣れ、武芸を怠り、死への覚悟もないまま太刀を佩く、いまの侍たちに。


 それにくらべ、庄内の百姓たちは……。


 たしかに直訴自体を罰する法はない。

 しかし、幕府は島原の乱以降、徒党を組んで騒動をおこす行為については容赦しない。


 複数の幕閣に同時に直訴となれば、それは『徒党を組んで』謀議し、実行したのは歴然。

 当然、死罪はまぬがれないだろう。

 

 先年、飢饉のときは全国で一揆がおきたが、あれは領主の収奪に対し、反抗した百姓が立ちあがったもの。


 だが、庄内の民は領主を引き留めるため、厳寒の故郷を出、雪中を踏破し、文字どおり命がけで越訴におよんだ。


 もし同様の立場におかれたら、おれたち侍にこのような義挙マネができるのか?


「……義民……」


 思わずつぶやくと、背後にかくれていた金之助が問いかけるように顔をあげた。

 

「ぎみん?」


「己の犠牲も厭わず、人々のため、義のために立つ百姓のことでございます」

 

 懸命に落涙をこらえ、大野はごまかすように早口でつづけた。

  

「『百姓たりといえども、二君に仕えず』……『史記』にある『忠臣は二君に仕えず』――忠義の心篤き臣は、決してほかの主君には仕えぬ、にならったのでしょう」


「それは、よいことなのか?」


「賞賛に価します」


「ふむ、そうか」


 若君は大野の羽織をつかんだまま、こわごわと前方をうかがった。


「ふっ……若いな」


 横の椿が、かすかに笑ったような気がした。

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