第6話 【六】


「では、大野、そろそろ若さまを―― 「「「ご家老ぉーーーっ!」」」


 山川の指示は、複数の呼号と足音にかき消された。


「「「い、一大事にございまするーっ!」」」


 男たちは呼吸を乱しながら、重臣の膝下にひざまずいた。


「なんだ、そのように取り乱しおって!」


 不機嫌に目をやる山川。


 だが、男たちは山川の機嫌など意にも介さず、


「「「ご門前に百姓どもがっ!」」」


 怒声にちかい報告に、青ざめる老臣。


「なに、強訴かっ!?」


 強訴とは、百姓一揆の一形態で、百姓が徒党を組んで、公儀や藩主に年貢減免などを訴える抗議行動のこと。

 領内で大規模な一揆がおきると、藩主は統治不行き届きをとがめられ、場合によっては改易に発展することもある。

 どの家中でも『一揆』『強訴』と聞くと緊張がはしるのだ。


「どこの郷の者だ?」

 

 山川が語気荒く問いただす。


「一昨年・昨年は天候にめぐまれ、作柄もよく、苛酷な取り立てもなかったというに」


 天保四年(1833)、大雨による洪水と冷害による大凶作ではじまった飢饉は、陸奥・出羽を中心に多くの餓死者を出した。


 この大飢饉は発生から六年ちかくもつづき、天領の甲州での大規模武装一揆(天保騒動)や、大塩平八郎の乱、生田万の乱など、多くの騒乱を起こした。

 しかし、この二年は平年作にもどったおかげで、全国的にも落ち着きがもどっていたはずだった。 

 

「いえ、わが領内の百姓にはあらずっ!」


 山川のぼやきに、男のひとりが答えた。


「庄内の百姓にございまするっ!」


「庄内の者どもが訴状をたずさえ、当家にっ!」

 

 さらに別の侍が補足する。


「庄内だとっ!?」


 事態は想像以上に深刻だった。



 庄内は、出羽国南部にひろがる肥沃な平野で、二百年以上にわたって譜代の雄・酒井左衛門尉家が統治している。


 別名鶴岡藩ともよばれるこの藩は、表高は十五万石だが、領内には西廻にしまわり海運の中継地で、「西の堺、東の酒田」と称される酒田港があり、その取引から生じる繁栄により、実高は二十万石以上といわれている。

 

 いま、その庄内藩は立藩以来最大の危機に直面していた。


 昨年十一月、突如、三家による領地交換――いわゆる『三方国替え』の幕命が下ったためである。


 これは、庄内とは関係のないある藩――武州川越藩の窮迫からはじまった。


 現在武州川越を領する松平氏は、家康の次男・結城秀康の五男直基なおもとを祖とする御家門のひとつ。

 

 この家は初代・直基をはじめ代々転封つづきで、引っ越しにかかる借財が積み重なっていた。

 うわさによると、その累積債務は二十三万両以上(一両=十万円換算で約230億円)ともいわれ、そのうえ、近年領内をおそった水害による荒廃で、財政は破たん状態におちいっているらしい。


 二十五年前に家督をついだ現川越藩主斉典なりつねは明敏な人物だったが、就任直後から、必死に財政再建に取り組んだものの、その借財は生半なまなかな節約・殖産ていどではどうにもならない額に達していた。


 そこで斉典は上りの悪い自領を捨て、内実の豊かな他領へ転封する道を選んだ。


 まずは、文政八年(1825)、先代将軍家斉の二十五男斉省なりさだを引き取り、養子縁組の見返りとして転封を承諾させようと謀った。

 このとき斉典自身にも男子はいたが、あえて大御所(家斉)の息子を養嗣子とし、なりふりかまわぬ裏工作を開始したのである。


 斉典ははじめ、藩祖以来三度入部した姫路をねらったが、賄賂わいろ攻勢をかけていた老中・水野忠成ただあきらが天保五年に急死し、計画は頓挫とんざした。

 

 つぎに斉典は、大御所側近――俗に三佞人とよばれる若年寄・林忠英、御側御用取次・水野忠篤、小納戸頭取・美濃部茂育もちなるや、大奥の斉省生母・お以登いとの方周辺に多額の賄賂をばらまき、ついに天保十一年十一月、庄内転封の幕命が下された。 


 ただ、二藩間の交換となると、あまりに露骨すぎるため、ここに七万四千石越後長岡藩をまじえ、幕初以来、何度かおこなわれてきた三藩による移封――三方国替えという体裁にしたてたのだ。


 窮乏する川越藩にねらわれた庄内だが、左衛門尉家としても、労せずして今日の富を手にしたわけではない。

 酒井家も結城松平家同様、過去にはそれなりの財政難があり、いろいろな手をつくし、ときには本来藩政に参画できない商人――酒田の豪商・本間一族に財政を任せ、また越後村上藩にならい、鮭の養殖を手がけるなどし、ようやくつかんだ豊かさなのだ。


 今回の領地替えは、他家が苦労のすえ築きあげた豊土を、安易に手に入れようとする陰謀だった。


 だが、結城松平家側にも同情すべき点はある。

 譜代大名は転封が多いものだが、この家はとくに転封続きで、歴代藩主の中で多いときは一代で六回もの移封を命じられ、いまの川越に落ち着くまでには十五回も転封を繰りかえしている。

 

 数年で転封する可能性があるとなれば、殖産など長期に計画をたてて実高を上げるという施策は取れず、結局きびしく年貢を取りたてて増収をはかるしかない。


 その点、元和八年に入部して以来、一度も国替えを経験せず、二百二十年間その地でいろいろな試みを実行できた酒井はある意味幸運だったともいえる。


 また、酒井家のように長期統治ともなれば、苛政は農村の疲弊・逃散(土地を捨て、領外に逃げること)につながるため、自然と領民保護が藩の基本政策になる。

 

 従来、百姓による幕府への越訴は、藩政の非道を領主・代官を飛び越えて直に訴えるものだが、酒井家は領民に慕われ、こうした自発的な転封命令撤回の直訴――越訴おっそ――につながったのだろう。

  

 とはいえ、寛保二年に定められた公事方御定書では、百姓一揆についての罰則を成文化・厳格化し、とくに民衆が徒党を組み、抗議行動をおこなうことは重罪とされた。

 具体的には、一揆首謀者・強訴発起人は極刑――死罪――と定められている。

 つまり、庄内の百姓たちは命がけで幕命にあらがっているのだ。


 そしていま、当該藩の領民が会津藩上屋敷に訴状をもって現れたという。


「相わかった」


 そう苦々しげに答え、正門にむかう山川。


「まったく、どうしたのだ、今日は。こうも次から次へと……」


「わしもゆくぞ~」


 いままでベソをかいていた子どもが、すばやくあとにつづく。


「なりませぬ!」


 奮怒の表情でふり返る傅役。


「この儀、若さまには関わりなきことにございます! 学習室にいらせられませ!」


 この時点ですでに、授業開始から半時ちかく経過している。

 これ以上遅れれば、午前中の授業は出席できなくなる。


「……おや?」


 小首をかしげ、黒々とした瞳で老人を見すえる金之助。


「ちちうえがおらぬときは、わしがここのあるじではないのか?」


「……ぅ……っ」


 思いがけない切りかえしに、たじろぐ山川。


「じいが、いつもそういうていたぞ?」


「そ、それは……」


 たしかにその言葉は、山川が説教のたびにしつこく繰り返し言い聞かせているもの。


 そして、最後には必ず、

「なれば、もそっとしっかりなさってくだされ」

 というため息まじりの一言が添えられるのだが。


「『いちだいじ』ならば、あるじがいかねばのう?」


 白いほほをうっすらそめ、若君はいつになくしっかりした口調で主張。


「ではないか、じい?」


「し、しかし……」


 これ以上ない正論に、絶句する山川。 


「とうま、ついてまいれ!」


 うつくしい童顔をりりしく引き締め、山川を置き去りにする金之助。


 だが、大野はその姿に、どことなくウキウキした気配ものを嗅ぎ取った。

 

(……受講から逃れる格好の口実……)


 案外、若君は大人たちが思っている以上にしたたかなのでは?


 大野の心中に、再度疑念がわき起こる。


 無邪気だが、完璧な主張。

 先ほどの絶妙な合いの手。

 そして、その言に黙認するしかなかった傅役。 


(……もしや……若さまは……みなが思うほど残念な御子ではないのでは?)


 いや、それどころか、名君の誉れ高い父・容敬にまさるとも劣らない、英主の資質をもった逸材なのではないか?


 みな、若さまの腺病質で華奢な外見に惑わされているだけで、本当は……。

 

 幼君を追いながら、大野は奇妙な想いにとらわれた。



 台所からふたつの渡り廊下を通り、東の玄関へ。

 

 あわただしく行きかう藩士たちが、金之助の姿をみとめたとたん、足を止め、立礼を送る。


 そんな大人たちの間をすすみながら、大野は眼前のちいさな身体から妙な威圧感を感じはじめていた。

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