恋と葛藤とプロポーズ
不思議と家族の影が見えず、歳も近く感じられたアムルがまさか家族を持っている等思いもよらなかったカレンは、自然な流れで彼を好きになっていたのだった。
しかし今アムルとその家族を目にして、自身の入り込む余地が全く無い事を痛感したカレンは、少なくないショックを受けているのだ。
今カレンは、その事が顔に出ない様に自分の感情をコントロールする事で精一杯だった。
「……それでカレン? お前、これからどうするんだ?」
心此処に非ずの状態だったカレンはアムルの質問が唐突に思え、彼の言葉がすぐに理解出来ずその問い掛けに即座の返答も出来なかったのだ。
だが例え彼女が冷静な状態であったとしても、やはりすぐに明確な返答をする事は困難だったに違いなかった。
まずアムルがカレンをそう扱わないとはいえ、今の彼女は魔族に捉えられた虜囚の身なのだ。
自分の今後を勝手に決定出来る訳もなく、本来ならばアムルがどの様な要求を突きつけても断れる立場にない。
そしてもし自由を保障されたとしても、彼女は喜んで人界に帰る事が出来なかった。
出来ない理由が彼女にはあるのだ。
「……お前……このまま人界には帰れないんだろ?」
カレンの事情をまるで知っているかの様に、アムルはハッキリとそう言い切った。
確信を突かれたカレンは言葉を失い、更に返答する事が出来なくなってしまっていた。
「……何で……何で知ってんの……?」
深く俯いたカレンが、それだけを漸く絞り出した。
「そりゃぁな。数百年も人界に拠点を構えてりゃ、情報網くらい確立出来てるよ。なんてったって魔界は人界にとって『敵国』だからなぁ」
所謂戦争とは、単純にただ侵略し占領すればそれで済むと言う話ではない。
相手国の事を知り、相手の文化や風土を理解し取り入れこちらの風習を馴染ませる。
そうして少しでもストレスを薄くしなければ、何時まで経っても占領地域との軋轢は無くならないのだ。
その為には広く情報が必要となり、それを流通させるシステムも構築されてゆく。
長く人界に拠点を構えていた魔族は、カレン達によって占領地域を失おうともそう言った情報網は確りと残しておけたのだ。
「……そう……」
顔を上げる事無くそう呟いたカレンは、再び押し黙ってしまった。
例えカレンがアムルより解放を言い渡されたとしても、諸手を上げて人界へと帰る事など出来なかった。
カレン達勇者一行は、決して失敗の許されない旅を強要されていたのだった。
王国連合より選りすぐられたカレン達は、いわば彼等の威信をかけた存在であり失敗など許されない立場にあった。
見事魔王を討ち果たすか、それが敵わなければ魔界の地で朽ち果てる決死行。
それがカレン達に与えられた使命だったのだ。
もし彼女がこのまま人界に戻っても、そのままお役御免とは済まないだろう。
背信の咎で悪ければ死罪、良くても囚われの身となり一生を牢獄で過ごす事になるかもしれなかったのだ。
それに人界の期待を一身に受けた勇者がおめおめと逃げ帰ってきたとあっては、勇者を立てるという事そのものに不信を持たれる。
新たに勇者を送り出すためにも、そして自分たちの保身のためにも、勇者たちには成功しての凱旋か失敗しての全滅を望まれていたのだ。
そんな状況の彼女が人界へと戻れば、やはり亡き者とされることは想像に難くないことであった。
今の彼女には魔界にも、そして人界にも居場所がない状況なのだ。
「……なあ、カレン。もしお前が良ければなんだが……」
黙り込み言葉を発しないカレンに、アムルが言い難そうにそう切り出した。
その声音はどこかしら照れている様にも聞こえ、カレンはユックリと重い眼差しを彼へと向けた。
「良ければ俺と結婚して、この魔界で一緒に暮らさないか?」
アムルは何の前触れもなく、突然そうカレンに切り出した。
今度こそ本当に、今までに無い程意識を彼方にまで飛ばされたカレンは、眼を見開いたまま気絶すると言う新たな技を再び会得するに至った。
息を止めているのではないかと思う程ピクリとも動かないカレンに、怪訝に感じたアムルが再び声を掛ける。
「おい……おい! カレン、大丈夫か? 俺の声が聞こえてるか?」
その声にようやくハッと意識を取り戻したカレンは、たちまち顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。
「ちょ……あ……な……何を……何言ってんのよっ!?」
アムルから顔を背けたまま、カレンは漸くそれだけを返答できた。
激しく照れた彼女の声は震え、その言葉も詰り、声音も取り乱したものだった。
カレンにしてみれば生涯で初めて告白されたプロポーズであり、一人の女性として心を揺さぶられない訳が無かったのだ。
「あ……あ……あんたにはその……か……家族がいるじゃないのっ!」
しかし先程紹介された通り、アムルにはれっきとした妻が居りすでに子供までもうけているのだ。
そこにカレンの入り込む隙があるとは到底思えなかった。
それ以前に家族の前でプロポーズなど、とても正気の沙汰ではない。
声高に浮気宣言、妾宣言をしている様なものなのだ。
だがここで、カレンは僅かに疑問を感じた。
人界でも王侯貴族や豪商の一部には、妾を囲う事も少なくないとカレンは聞き知っていた。
ただそれが常識的、道徳的に認められてはいないという事が、妾となった彼女達の立場から容易に推察出来ており社会通念でもあったのだ。
カレン自身も、まるで女性を卑下するかの様なその考え方を忌避してはいたが、やはり同じ女性として彼女達の気持ちが分からない訳でも無かった。
中には金銭目的でその立場に甘んじている者も少なくないであろうが、それも彼女達が糧を得る唯一の手段なのだ。
それに中には、お金ではない想いの者もいる。
彼女達の強い想いを、それが分からない者が否定する事など出来ない。
しかし先程アムルが口にしたのは「プロポーズ」であり、カレンを愛人として囲うと言う提案では無かった。
そこに彼女が疑問を感じる部分が存在していたのだ。
「え……。あんた今、結婚って言ったの……? 愛人……じゃなくて……?」
妾愛人とするならばわざわざプロポーズをする事もないし、何よりもそんな話を家族の前で持ち掛けるのもおかしな話である。
「ああ、そうだよ? 第二夫人って事になるけどな。いいよな、レギーナ?」
そう答えたアムルは、振り返って背後に控えているレギーナにそう声を掛けた。
レギーナは柔らかい笑みを湛えたまま、ユックリと頷いて同意の意を示した。
「はい、それはもう。カレンさんの様な方でしたら、きっと仲良くやっていけますわ」
その声には動揺や怒り、忌避も無く、どこか嬉しそうな声音ですらあった。
「アミラはどうだ? お姉ちゃんが家族になったら嬉しいか?」
アムルは次に娘のアミラへとそう尋ねた。
「うんっ! 嬉しい―――っ!」
体一杯で喜びを表現して、アミラは嬉しそうにそう答えた。
結婚話が既成の事実となっていきそうに感じたカレンは、慌てて言葉を挟んだ。
「ちょ……ちょっと待ってよっ! あ……あたしは……」
しかしカレンが全てを言い切る前に再び扉の向こうが騒がしくなり、彼女の言葉は中断を余儀なくされたのだった。
勢いよく開かれた扉から入って来たのは、カレンの思いも依らない人物達であった。
「おお、カレン。元気そうだなぁ!」
「なぁによ、やっぱりピンピンしてるじゃないのさ」
「カレン―――、本当に無事で―――何よりです―――」
部屋の中に入って来たのはカレンの仲間である戦士ブラハム、魔法使いマーニャ、僧侶エレーナであった。
「えっ!? ちょっ!? あんた達っ!?」
三者三様に声を掛けて来た仲間達に、カレンは驚きの余り口をパクパクとする以外になかった。
カレンの認識では、彼等は魔族との戦いで戦死したと言う事になっていたのだが。
「……まぁなんだ。お前が驚くのも無理ないけどな」
カレンの様子を見て状況を察したブラハムが彼女に口火を切った。
「私達は魔族達との戦いで見事に負けて、そのまま捕えられたのよ」
だがブラハムが口を開いたのは最初だけで、その後はマーニャに取って代わられてしまう。
「私達はそのまま―――魔王城の一室で―――もてなされておりましたの―――」
そのマーニャの言葉を、エレーナが更に引き継ぎ締め括った。
だがその説明だけでは到底納得出来ないカレンは、アムルに沈んだ視線を向けてユックリと尋ねる。
「……ちょっと……アムル……? これは……どういう事……?」
仄暗いオーラを発しながら、カレンがそう口にした。
彼女がアムルと対峙していた折、正しく最後の切っ掛けとなったのは彼の「仲間を殺した」と言う言葉だったのだが。
「……ん? 何が?」
しかし当のアムルに、悪びれた様子は一切ない。
それどころかカレンの質問内容に思い当たる節が無いのか、本当に彼女が何を言っているのか分かっていない表情を浮かべていた。
「……ん? 何が? じゃないわよっ! あんた、マーニャ達は死んだって言ったじゃないっ!」
カレンの大きな声から紡がれたその言葉に、その場の全員が話を止めて彼女とアムルに注視した。
「言ってないよ?」
だが、アムルの態度は変わらなかった。
カレンの言葉を、普段と変わらない口調で明確に否定しただけであった。
その態度はカレンの頭に血を昇らせて、更にアムルへと食って掛かる要因となった。
「でも確かにあんたはあの時……っ!」
「……バトラキール」
怒り心頭となったカレンの言葉を遮る様に、アムルは傍らに控える老執事バトラキールへと声を掛けた。
彼は声を出さずに、僅かに腰を折り返答としアムルの要望に応えた。
「魔王様がカレン様との戦闘直前におっしゃった言葉は『わざわざ魔王城を訪れた客の対処なんて、だいたい相場が決まってるだろ?』でございます」
正しく一語一句違う事無く、その時アムルが発した言葉を再現したバトラキール。
老執事の落ち着いた声音と間違いのない返答に、カレンは言葉を失ってしまった。
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