魔王と勇者

 アムルが自身の名を高らかに宣言するのをカレンはその正面でハッキリと聞いたにも関わらず、彼女にはその意味が即座に理解出来ないで困惑して声も出せずにいた。

 僅かに体を震えさせ、まるで怯えているかの様なカレンに気を止めた様子もなくアムルは更に声を発した。


「バトラキールッ!」


「はい、お傍に」


 アムルがその名を口にすると、何時から居たのかその人物は、玉座より一番近い大理石柱の影からスッとその姿を現した。

 その姿はキッチリとした燕尾服を見事に着こなし、白髪に口髭と言った如何にも執事然としている老紳士であった。

 人界でも豪邸などで見かけそうな人物像であるが、その肌は薄っすらと紫色であり彼が魔族である事を物語っていたのだった。


「バトラキール。僅かな間とは言え玉座を空席にした事、すまなかった。我が不在だった間、何か報告すべき事はあったか?」


 威厳を発してそう告げるアムルは、明らかにその老紳士の主であった。

 アムルとバトラキールとのやり取りを、カレンはただ黙って見守る事しか出来ずにいた。


「お帰りなさいませ、魔王様。魔王様がご不在の間も万事抜かりなく、何事も滞ってはおりません」


 やや腰を折って恭しくそう答えたバトラキールに、アムルは大きく確りと頷き返答としていた。


「リィツアーノッ!」


 次いでアムルは別の名を大きく叫んだ。

 広々とした魔王の間に、アムルの声が反響してゆく。


「はっ! 親衛騎士団長リィツアーノ、御前にっ!」


 バトラキールが現れた柱とは赤絨毯を挟んで反対の柱から、如何にも武人然とした鎧姿の魔族が現れた。

 その姿は紳士然として見ようによっては人族と大差のないバトラキールと違い、如何にも頑強な魔族戦士だと見て取れた。

 全身を銀色に輝く重装な鎧に身を固めた身の丈二メートルを超える巨体の主は、猫科の動物を思わせる顔立ちに爬虫類の表皮を思わせる肌をしており背部からは尻尾が覗き見えた。

 屈強な腕には自身の身長を超える巨大な戦斧槍ハルバードが握られており、柄を床に付けて構えるその姿は堂々とした丈夫ますらおぶりであった。

 現れた親衛騎士団長はアムルに軽く一礼を取ると、直立不動の体勢を取って彼の言葉を待っていた。


「リィツアーノ、我の身辺警護を旨とするお前の任務に穴をあけてしまい心苦しく思う。許してくれ」


 アムルは、リィツアーノへと視線を向けてそう告げた。

 それを受けて、重装の騎士が再び恭しく頭を下げて答えた。


「滅相もございません。それよりも無事にお戻りになられて、大変嬉しく存じ上げます」


 アムルは鷹揚おうように頷いてその返答とした。


「我はこれよりそこの勇者と一戦交えねばならない。お前にはその間一切の手出しをせぬ事、申し付ける」


「お……お待ちくださいっ!」


 しかしリィツアーノはアムルが告げたその言葉を聞き、慌てた様に即座の反論をした。


「魔王様のお力はよく存じておりますし、その勝利も疑ってはおりませんっ! しかし事勝負となれば絶対など存在いたしませんっ! なればこそここは私めにその任、お与え願いとう御座いますっ!」


 リィツアーノは先程よりも更に深く頭を下げて、必死に懇願していた。

 臣下の反駁はんばくに、それでもアムルが気分を害した様子もなく言葉を返した。


「リィツアーノ、面を上げろ。お前の忠誠とその力は疑っていないし、その進言も間違ってはいない。しかし、我にはこの勇者に大きな借りがある。それに彼女は、たった一人でこの場所まで辿り着いたのだ。彼女が仲間を率いていたならばお前の力も借りようが、たった一人の女性を相手に魔界の王たる我が引き下がったとあっては、それこそ魔族の恥だと思わないか?」


 その声音は叱責などでは無く、リィツアーノを言い含める様に優しいものだった。

 その声と魔族の矜持を持ち出されては、リィツアーノにそれ以上反論する事など出来なかったのだった。

 彼が小さく礼をした事で肯定と受け取ったアムルは、最後に目の前で立ち尽くしているカレンへとその視線を向けた。




 すでに大きすぎる動揺から立ち直っていたカレンは状況を正確に把握しており、その燃えるような瞳で射る様にアムルを見つめていた。


「……アムル。まさかあんたがこの城の魔王だったとはね……。あたしを騙してたんだ?」


 そう言ったカレンの声は、怒りの余り震えている。

 今にも飛び掛かっていきそうな程の怒気を孕んだ彼女を前にして、それでもアムルが怯んだ様子はなかった。


「心外だな……カレン。俺は今までに、一言でも自分が魔王じゃないだなんて言った事は無かったぞ?」


 その言葉に嘘は無かった。

 アムルはカレンに対して、ただの一度も自身が魔王ではないと言った事など無かったのだ。

 更に言えば、カレンがアムルに対して魔王であるかと問うた事も一度としてない。


「で……でもあんた、あたしが勇者だって事知っていたじゃないっ!」


 見事に言い返されてカレンは僅かに動揺するも、アムルに食って掛かる事を止めなかった。

 だがその勢いは失われ、先程よりも弱まっている。


「それもカレン、お前から俺に話した事であって、俺からお前に聞いた話じゃないな」


 それもまた真実であり、カレンに反論の余地など全くなかった。

 初めて彼女がアムルと出会った折、カレンが勇者だと言う事を言い出したのは彼女自身だったのだ。


「もっともこの魔王城に乗り込んでくる人族なんて、勇者かそのパーティメンバー以外に考えられないけどな」


 完全に言い負かされているカレンは流石にグウの音も出す事が出来ず、怒りと羞恥でただただ歯噛みするより他になかったのだった。


「それで? 俺とるんだろ? その為にここまで来たんだもんな?」


 そう言いながら、アムルは玉座より一歩カレンの方へと歩み寄った。




 彼が、カレンに対して特別威圧感を発揮している事は無い。

 その物言いも普段の彼が話す声音であり、どちらかと言えば話した内容にそぐわない程自然であった。

 しかしカレンは、それに併せて一歩後退る。

 アムルと戦わなければならないと言う事実と、先程のやり取りで言い負かされたショックから、どこか彼に気圧されていたのだ。

 その彼女らしからぬ行動と雰囲気に、アムルは僅かながら眉根を寄せて怪訝な表情を作った。


「……そう言えば、バトラキール……」


 カレンから視線を外す事無く、僅かに口の端を吊り上げたアムルが老執事バトラキールへと話しかけた。

 声を掛けられたバトラキールは、僅かに腰を折り声は出さずに答えとした。


「侵入して来た他の勇者一味は……どうなった?」


 突然話題を変えたアムルだったが、その言葉でカレンの瞳には明らかな変化が齎された。

 見開かれた両目に力が戻ったのだ。

 今まで自身の事で精一杯であったカレンは、不覚にも仲間の安否を気遣う事に意識が回らなかった事を思い出したのだった。


「は……。侵入して来た者は全員、戦闘不能といたしました」


 腰を折ったまま答えたバトラキールの言葉に、カレンの表情はみるみると険しさを増してゆく。


「な……仲間を……。みんなをどうしたのっ!?」


 怒鳴る様に、叫ぶ様な声でアムルへと問い質すカレン。

 相当の剣幕で彼に対しているカレンであったが、アムルがそれに怯んだ様子は見受けられない。


「どうした……って。カレン……奴らはこの魔王城に侵入して来た『』だぜ? わざわざ魔王城を訪れた『客』の対処なんて、だいたい相場が決まってるだろ?」


 薄ら笑いさえ浮かべるアムルに、カレンの怒りは一気に頂点へと達した。

 その姿は正しくカレンが思い描いていた魔王のそれであり、それがアムルの本性だとカレンは思い知ったのだった。

 それまで控えていたバトラキールが、スッと動き魔王の背後まで音もなく近寄った。

 そしてその手に持っていた魔王の衣装である「至高の宝冠」「王者のマント」「覇者の杖」を、テキパキとアムルに装着させていった。

 正装をしたアムルは紛う事無き魔王の姿をしており、それを見たカレンはアムルに対して躊躇していた気持ちなど完全に吹き飛んでいたのだった。


「魔王っ! 魔王アムル―――ッ!」


 今や怒髪天を衝くカレンの咆哮は、魔王の間を震わし魔王城全体に及ぼうかと言う程のものであった。


「魔王っ! お前を倒すっ!」


 怒りの炎をその瞳に輝かせて、カレンがアムルへこれまでにない程鋭い眼差しを向ける。

 殺気の籠るその視線を正面から受けて、それでも魔王アムルは不敵な笑みを絶やす事は無かった。


「勇者カレンッ! 魔王に刃向かうその愚かさを、その身を以て思い知るが良いっ!」


 カレンの啖呵に、アムルも相応の気勢を以て答えた。

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