一か八かの取って置き

 白色の古龍セヘルマギアが吐きだしたブレスは、先程までの白弾と違い広範囲に効果の及ぶ吹雪の様であった。

 アムルは再びカレンに抱き付き、そのまま一気にブレスが届かない場所まで退避した。

 キラキラと煌めいた光を含むそのブレスが極低温である事をアムルも、そしてカレンも即座に理解した。

 粒子の乱反射が如き明滅が氷の結晶であり、白竜のブレスに触れた大気に含まれる水分が即座に凝固したものであったからだ。


 間一髪で死のブレスを躱す事に成功したアムル達ではあったが、現状打つ手がない事に変わりはなかった。

 彼等の寄る辺となる属性魔法や精霊魔法が使用不可能であり、純粋に武器か肉体を駆使した近接戦闘しか手段が残されていないのだが、最強クラスの古龍相手に何の強化や補助も無く立ち向かっていくなど自殺行為に他ならなかった。

 特にこの時点で、アムルが感じている危機感はカレンよりも強かった。


 カレンの装備は完全武装であり剣に楯、鎧一式を身に付けている。

 敵地であり魔界の最大拠点である魔王城に乗り込んでくるのだから、それは当然の事と言えた。

 対してアムルは、軽装備と言うのもおこがましい程の普段着に近い恰好であった。

 それもまた仕方のない事であり、彼は意図してその恰好でこの場に参加しているのではなく、望まずして状況に流された結果だったのだが。

 着替え途中で窓から落下するなど、恐らく魔界の神であっても想像する事は困難だったに違いない。

 これが下層の魔導生物ならば、そのレベルの違いから今のアムルでも余裕をもって倒す事が出来る。

 普段着に武器を全く装備していない状態であっても、魔法を使う事無く無力化する事が出来るのだが、レベルの近い相手となればそう言う訳にもいかない。

 一切ダメージを受けずにやり過ごす事は不可能であるし、攻撃するにしても武器が無ければどれ程ダメージを与えられるか知れたものではないのだ。




「あたしが前に出て戦うっ! アムル、あんたは後方でバックアップをお願いっ!」


 僅かに逡巡し言葉を失っていたアムルに、カレンがそう提案して白竜と対峙する為に前へと進み出る。

 しかし彼女の言葉は正しくもあり間違ってもいた。

 もしくは気遣っていたと言っても過言ではない。


 カレンが前へ出て戦う事に間違いはない。

 彼女はその装備から見ても、そして性格的に言っても前衛型である。

 例え魔法を抑え込まれた状況でなくとも、彼女は前へ出て戦う事となっただろう。

 だが後半の言葉は、完全にアムルを危険から回避させる言葉に他ならなかった。

 バックアップと言えば聞こえは良いが、その実魔法の使えないアムルは何も出来ない……する事が無いのだ。


「……っ!」


 カレンの言葉に異論を唱えようと試みたアムルだったが、彼の頭に浮かんだどの言葉も彼女の言葉を覆すだけの力を持ち合わせていなかった。

 更にどのような言葉を綴ってもそれは彼の我が儘、もしくは強がりにしかならず、現状を打破する事の出来る案ではないのだ。


「何してるのよっ!? 早くっ!」


 殆ど突き飛ばす様にカレンはアムルを後方へと押しやり、自身はそのままセヘルマギアの方へと駈け出していた。

 迎え撃つセヘルマギアの白弾を華麗なステップで回避し、何とか白竜の足元まで辿り着いたカレンは素早い斬撃を繰り出す。

 しかし何の効果も付与されていなければ、如何にオリハルコン製の剣と言えども古龍の表面を撫でているに違いはなく、殆どダメージを与える事が出来ないまま、振り下ろされたセヘルマギアの前足を回避する為大きく跳躍して後退するしかなかった。

 美しい弧を描いて着地し、再び間合いを詰めて剣撃を見舞うカレンの技はとても美しいものであった。

 一見すれば、精霊剣や聖王剣が無くともセヘルマギアと互角に渡り合っている様にも見える。

 だが実際は、到底互角と呼べる代物では無かった。


 そもそも、龍族のタフネスぶりは万人の知る処である。

 霊峰や深い森林の奥地で確認されている龍族であっても、倒すのには非常に骨が折れるのだ。

 それが古龍種、しかも神話級のバケモノともなれば、何の援護も無く自らの剣だけで倒すなど正気の沙汰と言えるものでは無い。

 勿論今のカレンとなればその例外となる事も無く、彼女の敗北は必至だと考えざるを得ない。

 無心に剣を振るい続け、ともすれば優勢に攻撃している様に見えるカレンであっても、無尽蔵の体力を有している訳では無くその影響は即座に現れ始めていた。


「きゃあ―――っ!」


 守勢に回らされた途端に、セヘルマギアの強烈な一撃を受けたカレンが大きく吹き飛ばされた。

 左手に構えた楯で致命的なダメージを受ける事は回避出来たが、流石にその威力全てを逸らす事の出来なかったカレンは少なくない痛手を負っており、口元からは一筋の流血が滴り落ちていた。


「カレンッ!」


 堪らずカレンの元へと駆け寄ったアムルに、彼女は震える脚に鞭を振るって立ち上がり強がりとも言える笑顔で彼を迎えた。

 彼女の瞳は確りと光を湛えており、未だ屈服していない事をアムルに伝えていた。


「……大丈夫っ! まだ……まだやれるっ!」


 そして自分を鼓舞するかのようにそう口にした。

 その気持ち、想いは間違いのないものであり、決死の覚悟である彼女の心情を示していたが、回復すら儘ならない現状では決定的な敗北を引き延ばしているだけだと言う事も物語っていた。

 しかし苦難に対して心を折る事無く立ち向かう彼女の姿が、アムルに一つの決断を促した。


「……カレン……一か八かの策があるんだが……乗るか?」


 アムルの言葉が何を意味しているのかカレンは怪訝に思ったが、彼の決意を秘めた真剣な眼差しに彼女は笑顔を湛えて頷いた。


「……わかったっ! 乗るわっ!」


 アムルに何も問う事はせず、二つ返事でそう答えた彼女にアムルは拍子抜けした表情となった。


「……呆れたやつだな……。内容も聞かずに了承するのかよ……」


 だがカレンは笑顔を崩す事無く、小さく声を出して笑った。

 その表情には、アムルの案を疑っている素振りすらない。


「……でも、その策を使えばあいつを……セヘルマギアを倒せるのよね?」


 彼女の信頼を一身に受けたアムルは力強く頷いたが、その次の瞬間には僅かに顔を曇らせた。


「ああ……多分な……。だけど失敗すれば俺達は……全滅だ」


 その言葉に嘘はないのだろうが、それだけに脅しとも取れるアムルの言葉だった。

 この場合全滅とは「死」を意味するのだ。


「分かってる! でも元々他に打つ手も無いし、このままじゃあ遅かれ早かれ結果は同じでしょ?」


 言葉に一切の淀みが無いカレンの答えは間違っていなかった。

 セヘルマギアを倒す画期的な算段が無い以上、このままではいずれ白竜の前に屍を二体晒す事となるのだ。

 しかし、だからこそカレンの笑顔でアムルは決心する事が出来、彼もまた知らず笑みを浮かべたのだった。


「分かったっ! だったらカレン、今度はお前が後方で見ていてくれっ! 決して前に出るんじゃないぞっ!」


 そう言ったアムルは、そっとカレンの肩を押して自分よりも後方に向かうよう促した。

 だが流石に、その行為にカレンは不審な表情を浮かべた。


「……えっ!? どういう事っ!?」


 カレンが後方へと下がってしまえば、アムルと一緒に戦う事も彼の楯となって守る事も出来なくなるのだ。


「奴とは俺一人で戦うっ! 絶対に前へ出て来るなよっ!」


 その問いに、アムルはハッキリとした意思を以てそう答えた。

 それでもカレンには、アムルの行動が不可解であり質さずにはいられない。


「でもアムルッ! あんた分かってるのっ!? 今は魔法が……っ!」


 魔法が得意であるアムルが前線へと赴く事は、殆ど自殺行為に等しい。

 まして今のアムルは、装備らしい装備を何も身に付けていないのだ。

 だがアムルはカレンの心配を気にした様子もなく、肩越しに彼女を見るとニッと口の端を吊り上げて微笑を返しただけであった。

 

 アムルには策があった。

 しかも取って置きの策が……である。

 しかしその策を行使するにあたり、彼には二つの懸念材料があった。

 それが、今までその策を行使する決断にブレーキを掛けていたのだった。


 一つは当然、この状況下で成功するか否かである。

 彼がこれから行う策は、魔法と言うよりも殆ど「スキル」に近いものである。

 己の全魔法力を使用してしまう代わりに、その魔力を以て驚異の攻撃力を得る事が出来ると言うものだった。

 セヘルマギアの結界内で魔法を顕現させるものではないので、その影響を受けずに行使する事が可能のはずであるが、その確証は何処にもない。

 万一失敗すれば、効果を得られないばかりか全魔力が消費されてしまう。

 今現在抑え込んでいる毒も活性を再開し、アムルは死へと突き進んでしまうだろう。


 そしてもう一つの懸念、それは実戦経験の少なさであった。

 アムル自身も実戦の場に身を晒す機会がなく、それ自体も大きな懸念材料である。

 ここまでの戦いは殆どがカレンのバックアップに徹しており、彼が中心として戦った事は僅かと言って良かった。

 だがそれよりもこれから行う「技」自体、実戦の場で行った事など一度もない。

 それどころか、使用する事も初めてであったのだ。

 その効果は知っているものの、それが果たしてセヘルマギアに通用するのか、そしてそれを行使するアムルの戦闘技能でセヘルマギアに太刀打ち出来るのか。

 これらは全く以て未知数であったのだ。


 しかし、すでに矢は放たれている。

 アムルは意を決して歩を進めセヘルマギアの前まで来ると、おもむろに魔力を高め出した。


「う……お……うお……うおぉ――――っ!」


 残存魔力を全て高め出したアムルを目の前にして、セヘルマギアでさえもその迫力にたじろぐ程であった。

 アムルの身体から仄暗い光が迸り始め、徐々に高まった魔力は今にもアムルの身体を突き破り暴走を始めてしまいそうな程であった。


「あ……ああぁっ……! 魔力アーク……転換ディベイション……っ!」


 アムルが満を持してそう叫ぶと、立ち昇っていた黒い光が一気に彼へと凝縮する様に集約し、彼を中心に小さな球形を成して安定した。

 その形は正しく黒い繭の様であり、アムルはその中で羽化を待つ生物と化している様であった。

 だが、その時間もそう長くは無かった。

 繭にひびが入り、黒い魔力の外殻が剥がれ落ちて行く。

 剥がれた魔力は霧と化し、即座にアムルの元へと吸い込まれていった。

 見る見るうちに全ての外殻が剥がれ落ち“変形”を果たしたアムルが中から姿を現したのだった。


「……ア……アムル……あんた……」


 その光景にカレンは絶句するしかなかった。

 先程とは全く違うアムルの姿は、カレンが声を失うには十分すぎるものだったのだ。

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