魔神、降臨
全体に黒い姿をしているアムルの背中からはどす黒い魔力が放出しており、まるで四枚の翼を生やしているかの様にも見える。
そこだけではなく、尻尾の様な物も角の様な物さえ全て黒い魔力により形成されており、一目見たその姿は正しく悪名高い魔王か、神々の争いに登場する魔神そのものであった。
上半身には刺々しい黒い鎧、腕には痛々しい黒い籠手、爪先から太ももまでを禍々しい脚防具で覆われている。
先程まで何もつけていなかったアムルからすれば一気に重装備を身に付けている様にも見えるが、それを目にしているカレンにはどうにも心中の騒めきを抑える事が出来なかったのだ。
そんなカレンに目をくれる事も無く、アムルは何の前触れもなくセヘルマギアへ飛び掛かった。
「は……速いっ!」
アムルのその動きに、カレンは反射的にそう漏らしていた。
飛び掛かったと言うにはその動きはあまりにも素早過ぎるものであり、カレンは勿論セヘルマギアでさえその姿を追う事は困難であったのだ。
セヘルマギアが反応出来ない程の速さで至近へと詰め寄ったアムルは、その翼に依り重力を無視した動きで白竜の頭部へと出現すると、そのまま蹴りを見舞ったのだ。
「ぐふっ!」
蹴りと言うには余りにも凶悪なその蹴撃は、容易にセヘルマギアの頭部を吹き飛ばしその勢いで長い首が大きく
しかしセヘルマギアは首を吹き飛ばされながらも即座に態勢を整え、中空に滞空するアムル目掛けて巨大な前足を薙いだ。
その大きさからは想像も出来ない程速い攻撃がアムルを襲う。
だがセヘルマギアの前足は虚空を大きく泳ぐだけとなった。
何故ならば、アムルの姿は既にそこには存在していなかったからである。
残像すらも残して移動を終えていたアムルは、大きく隙を曝け出している白竜の腹部へと打撃を加えた。
「がはっ!」
強力な一撃に、再びセヘルマギアが呻き声をあげる。
それと同時に体の周囲から大量の白霧を噴出した。
触れるものを全て凍てつかせる白き霧が、瞬時に氷を張りながら至近距離にいたアムルを襲った。
しかしアムルはそれさえも躱し後方上空へと退避した。
それを待っていたかのように、セヘルマギアがアムルへ向けて白弾を連射する。
狙いすましたその連弾は、全て黒き魔神に着弾したのだが。
「……っ!? そんなっ!?」
だがアムルがその連弾でダメージを負う事は無かった。
それを察したセヘルマギアが、思わずそう絶句する。
僅かに凍り付いていた翼であったがそれ自体に実体はなく、純粋に魔力のみで形成されている翼は何事も無かった様に大きく広がりアムルの背後に納まった。
流石のセヘルマギアもその光景には驚愕を覚えたのか、僅かに動きを止めてしまった。
そしてアムルの姿がその場から霞み、またしてもセヘルマギアの顔が跳ね上がる。
まるで不可思議な動きを取り続けている様に、打撃音とそれに併せてセヘルマギアの身体が爆ぜる。
その間尋常で無い動きを取り続けているアムルの姿は殆ど確認出来ない程であり、圧倒的に一方的な攻撃をセヘルマギアへと加えているアムルの勝利は確約されているかの様であった。
恐るべき破壊力を発揮しているアムルの攻撃を、セヘルマギアがこれ程長時間堪えていられるのは偏に古龍族が有する底知れない耐久力のお蔭である。
古龍種以外であったならば、それが魔獣だろうと人族魔族であろうが、僅かな時間も立ってはいられなかっただろう。
しかしそれも、時間の問題であると思われていた。
「……アムル。あんた……」
カレンがそれを目にするまでは。
類稀なる動体視力を有しているカレンが、それでも一瞬しか確認出来なかったアムルの姿であったが、その一瞬で彼の状態が決して良好ではない事を知ってしまったのだ。
アムルは、セヘルマギアの返り血を浴びて滴らせている。
だが流れている血は白竜のものだけではなく、アムル自身もまた全身より
アムルは瞬時に神にも匹敵する力を手に入れ、神に近しい力を持つセヘルマギアを圧倒していた。
しかし急激に上がった超常能力は、アムルの肉体が耐える限界値を軽く突破していたのだ。
彼が動きを取る度に全身からは悲鳴が上がり、攻撃を加えた手足はその打撃に耐えきれず自らをも傷つけていたのだった。
アムルの黒き鎧には無数の血痕が付いている。
それは白竜に打撃を加えた折に付いたものであるのだが、黒き鎧の隙間から滴る鮮血は彼自身が流している血液に他ならなかったのだ。
「アムル―――ッ!」
カレンの叫びとアムルが動き出したのは殆ど同時であった。
黒き影となったアムルは、何十度目かの攻撃をセヘルマギアに加えその頭部を蹴り上げた。
天に向かい真っ直ぐに伸びるセヘルマギアの首が、一瞬そのまま硬直し。
そしてユックリと、まるでスローモーションの様にユックリした動きで、セヘルマギアは石床の上にその身を横たえたのだった。
着地したアムルは、それと同時に片膝をついた。
今にも倒れてしまいそうな体を、それを拒否する強靭な意志で支えており、肩で息を付く彼は一方的な展開で勝った筈であるのに満身創痍そのものだった。
「アムル―――ッ!」
そのアムルに、決着がついたと見て取ったカレンが彼の名を叫び駆け寄った。
カレンが近づいて見た彼の姿は、得た勝利に喜べる様な状態では無かった。
片手片膝をついた部分には彼の血が滴り血だまりを作っていた。
纏った黒き鎧の各所からは、内側から滲み出している鮮血が流れ幾本も筋を引いていた。
何よりも彼の表情は蒼白となっており、ダメージの深刻さを物語っていたのだった。
「アムルッ! 何やってんのよっ!? セヘルマギアも倒れたし、今なら魔法も使えるでしょ!? 早く回復しなさいよ!」
倒れた白竜は先程からピクリとも動かず、完全に気を失っている事がカレンにも分かった。
そしてそれを肯定する様に、彼女の見ている前でセヘルマギアが光に包まれ光粒を発しだしたのだ。
マロールがそうであったように、セヘルマギアもまた光の粒を撒き散らしながらその身体を小さくしてゆき、最後には人型のサイズで留まった。
「……ないんだ……」
アムルから漏れ出た言葉は、カレンの進言を否定するものだった。
「えっ!? 何っ!? 何が無いのよ!?」
しかし当然、カレンにはその言葉の意味が分からない。
焦れているカレンの言葉は、何処か怒っている様にも感じられた。
「……魔力……もうないんだ……すっからかん……」
そう言ったアムルからもまた、黒き光が発せられ黒粒を周囲へと散らせてゆく。
黒き粒が霧散して行くにつれアムルが纏っていた装備も、背中に生やした四枚の翼も、フリフリと動いていた尻尾も、そして頭から生えた二本の角もその存在感を薄めて行き、ついには完全に消え失せてしまった。
全ての黒き装備が消え失せると同時に、アムルは糸の切れた人形の様に血だまりの海へと倒れ込んだ。
「ちょっとっ!? アムルッ!?」
倒れたアムルからは未だに流血が続き、その顔からは精気が急激に薄れつつあった。
「アムルッ!?」
慌ててカレンが回復魔法を唱えた。
「もうっ! あたしあんまり得意じゃないんだけど……光を司る神の
魔法を唱えたカレンの右手が優しい光に包まれる。
その手をアムルの傷口に翳してゆくと、そこから発生していた出血が次々と止まっていった。
カレンは殆どアムルの全身に手を翳し、彼から流血する箇所が無くなった事を確認して魔法を解除した。
アムルは先程よりも顔色が良くなったものの、その呼吸は荒く未だに状態が良好でない事を物語る姿だった。
アムルが言った通り彼の魔力が枯渇しているならば、彼の中に留まったままとなっている毒が再度浸食を始めアムルを蝕み始める筈なのだ。
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