先へ
「……あんた……ほんっっっっと―――に、大丈夫なんでしょうね?」
鬼神像の守護していた部屋を抜け只管に上へと向かう階段を上りながら、カレンは何度目かの疑問を投げかけていた。
「……あのなぁ、カレン……。それ、何度目だよ? 大丈夫だって、説明しただろ?」
彼女の執拗な質問攻めにやや辟易しつつあったアムルは、かなり投げやりな言い方でそう答えていた。
―――今から10分前……。
「……っ!? カレンッ!」
奥にある、恐らくは先へと進む扉へと向かっていたアムルとカレンだったが、動かぬ鬼神像の横へと差し掛かった時、突然アムルがそう叫んだと思うと彼女の襟首を掴んで思いっきり後方に、2人の元居た方へと引き摺り投げた。
「きゃあっ!」
不意打ちの如く投げ飛ばされたカレンは短く悲鳴を上げた後、文字通り石床を転がり倒れる。
「ちょっ、ちょっと、アムルッ! いきなり何……っ!?」
即座に体を起こしたカレンは、彼の方を見据えて怒りの声を上げようとして……全てを言い切る前に絶句してしまったのだった。
先程まで彼女がいた場所では……いや、その周囲一帯には、見るからに毒々しい紫色の煙が充満していたのだ。
そしてその真っ只中には、彼女を投げ飛ばした本人が未だ取り残されていた。
「ア……アムル……!? ……アムル―――ッ!」
立ち込める煙の色、そして何よりもその濃度が、猛毒かそれ以上の効果を物語っている。
カレンは見た目通りの紫煙へと向かって、姿の見えないアムルの名を叫んでいた。
煙の比重が高いせいなのかその紫煙は一定の範囲で留まり、部屋全体へと拡散する様な事は無かった。
だがそれだけに、煙の持つ濃密な効力が被害者に余すところなく浸透する事が想像出来たのだった。
カレンの叫びに、アムルからの返答は無い。
カレンは最悪の事態を想像して、その顔を青くしていた。
そして再びアムルの名を呼ぼうとした時、カレンは煙の中に動く人影を見止めたのだった。
「アムルッ!」
カレンは先程と違う、喜色ばんだ声で彼の名を呼んだ。
「そう何回も呼ばなくったって、確り聞こえてるよ」
彼女の心配を知ってか知らずに、煙の中から姿を現したアムルは開口一番、カレンに対して気だるげにそう返したのだった。
「何よっ! 聞こえてるならすぐに返事しなさいよねっ! ……それで……大丈夫なの……よね?」
怒ったり心配したりと目まぐるしいカレンの対応だが、それが彼女の素だと知っているだけにアムルも今更いちいち反応したりしない。
彼にも、カレンが最後に呟いた言葉が最も心を占めている感情なのだと心得ていたのだ。
「……ああ、俺は大丈夫だけどな。お前はあの煙に近づくなよ」
そう答えるアムルの様子を目の当たりにして、カレンの顔は優れるどころか更に不安げな表情へと変わっていった。
アムルがそうであるように、カレンにも彼の心情が随分と理解できるようになっていたのだ。
戦いというものは、まさしく生きるか死ぬかの決断を連続で迫られるものである。
そんな過酷な状況下を同じ目的で……生き延びるために共闘すれば、ただ年数を重ねた友人知人よりも深く分かり合えるというものだ。
それは種族や立場……互いに反目したり対立していたりしていても同様であり。
実際カレンの仲間であるマーニャとエレーナなどは、顕著な例と言っても差し支えない。
そしてこの2人も、ともに行動した時間がわずかであっても、その濃密な内容によりずいぶんと互いの事を把握していたのだった。
「やっぱり……毒ね? しかも……かなり強力な」
一目見ただけでは何も異常をきたしていないアムルの表情なのだが、今のカレンにはその様なポーカーフェイスは通用しない。
更には彼の様子や今も沈殿している毒々しい煙を見れば、その中に巻き込まれた彼がどの様な状態となっているのかは想像に難くない。
「……ふ―――……。その通りだ。しかも今俺の体は、簡単に解毒できないほど強力な毒に侵されているな」
観念したようにため息をついたアムルは、どこか他人事のような物言いでそう説明した。
「そう……なんだ。……って、ダメじゃんっ! あんた、毒状態って大丈夫なんでしょうねっ!?」
そのあまりに自然な言い方に、それを聞いていたカレンは思わず聞き流そうとして……ツッコんだ。
そして彼女が慌ててそう問いただした通り、決して楽観できるような状況ではなかったのだ。
一般的に人の行動を抑制したり延いては命を奪うのに、毒は非常に効果的だといってよい。
毒の種類を特定できなければ解毒のしようがなく、体外から何らかの方法で毒の効果を弱める事も出来ない。
遅効性や即効性といった効果も思いのままであり、一時的や恒久的なものといった種類も豊富である。
古より罠や暗殺手段に用いられ、いまだにそれを防ぐ明確な手段が存在しないのだ。
これほど有名かつ有用な攻撃手段も、そうなかなか無いのではないだろうか。
そして事実、アムルは今毒状態にあるのだ。
しかも、その種類は不明。
しかし、その効果ははっきりしていた。
実際にその毒に苛まれる者の告発によって。
「まぁ……遅効性なのは間違いないんだろうが……。今すぐに俺の体がどうにかなるといった代物じゃあないな。ただ毒の影響で、魔法にも多少の影響は受けるか……。さっきから俺の中にある魔力がかき乱されて仕方がねぇ」
この通り、魔王城を攻略に来た者にとっては厄介この上ないものであった。
確かにカレンから見ても、今のアムルは歩くだけならば問題はなさそうである。
苦しんでいる……というよりも気怠そうであるといった表現がピッタリであり、今すぐに重篤な問題があるとは思えなかった。
ただしそれは、あくまでも「今は」大丈夫なのであって、徐々に蝕まれて更に悪化していくことは目に見えている。
暫くアムルを見つめて考え込んでいたカレンだが、何かを決したように顔を上げ瞳の色を変えたのだが。
「……おい。だからって『神聖精霊魔法』を使って毒を消し去る……なんてくだらないことはするなよ」
「え……と……」
彼女の思惑をアムルにズバリと見透かされて、瞬く間にカレンは挙動不審となった。
「わ……分かってるわよ! でも何!? くだらないって何よ!?」
もっとも、やられっぱなしで終わらないのがカレンという少女であり、アムルの台詞の中に引っかかった文言を見つけ即座に食いついてきた。
確かに、彼女の心情はアムルの事を思ってであり、それを「くだらない」と一笑に付されてはカレンが頭にくるのも当然であった。
「毒を受けただけで、お前の切り札のいちいち使うってのが下らないって言ってんだよ。体内の毒は俺の魔力で抑え込んでるから今すぐにどうこうはならねぇよ。それに上に行けば、解毒する手段に心当たりがある。あと少しで目的地なんだし、それまでは俺の体ももつだろう」
しかし今回は、アムルのいう事の方に筋が通っており、カレンもそれ以上食い下がるような真似はしなかった。
もしもカレンが聖王剣を用いてアムルの中にある毒を無力化すれば、彼はすぐにでも快方に向かうことは疑いない。
だがそんな事でわざわざリスクのある聖王剣を使うことは、どう考えても現実的ではないのだ。
今すぐに命の危機ならば論じるまでもないが、アムルのいう通り彼が毒を抑え込めているならば時間的猶予があるという事であり、他に回復の手段があるならばそちらの方が都合も良いに違いないのだ。
「……分かったわよ」
それでも、理屈では理解していても渋々といった態で、カレンはアムルの言い分を受け入れた。
彼女にしてみても、聖王剣は何度も使用できる技でない以上、使わなくとも問題ないならばそれに越した事は無いのだ。
「それじゃあ、行くか。まだどんな罠や守護者が待ち受けてるか分からないからな」
カレンが了承したことで、アムルは先へ進むことを提言し。
「ええ……そうね」
やや意気消沈気味のカレンがそれに応じる。
随分としおらしい彼女の態度に、アムルは盛大なため息をついた。
「……あのなぁ。お前がそんなんでどうするんだよ? この先は、お前に頑張ってもらわないとダメなんだからな? 分かってるのかよ?」
そして、やや呆れるようにそう言葉をかけたのだった。
それを聞いたカレンが、表情に生気を取り戻して彼を見つめる。
「だってそうだろ? 俺は自分の中にある毒を抑え込むので精いっぱいだ。魔法をまともに使えるのかも疑わしい。いうなれば今の俺は、たんなる同行者で……足手まといだ。そんな俺を連れてこの先に進むってんだから……お前が頑張るしかないだろ?」
そしてアムルは、更に彼女を挑発するような言い方でその理由を述べたのだった。
それを聞いたカレンの瞳が、ランランとした輝きを取り戻す。
「そう……そうよね。この先へは、わ・た・し・が! 連れてってあげるんだから。あんたはのんびりと付いてきなさい!」
アムルの言いようがカレンを元気づける為の挑発じみたもの出るという事を正確に理解してなお、彼女はそれに便乗することにしたのだった。
「じゃあ、行くわよっ! ほら、アムルッ! さっさと付いてきなさいっ!」
そしてやや空元気ながらも、笑顔をたたえてそう告げ歩き出したのだった。
―――……やれやれ。
カレンが元気を取り戻したことに安堵しながらも、アムルは小さく嘆息してそう頭の中で呟いたのだった。
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