聖霊王妃
巨大な力には、往々にして「リスク」が存在する。
自身が全く不利益を伴う事無く、巨大な力が使い放題……等と言う夢物語は、彼の知る限りでは今のところ存在していなかったのだ。
だからこそ生じた疑問。そして……確信。
(あれは……!? 色が変わって……!? いやっ! 浸食されているのかっ!?)
カレンの耳に掛かる、一房だけ蒼銀をしていた髪……。
アクセサリーの様に彼女の美しい金髪に映えていたが、逆を言えばその部分だけ違和感を覚える部位であった。
そして今やその部分は明らかに異質を醸し出しており、その色も何処か空恐ろし気な雰囲気を振りまいていた。
アムルの向けた視線の先では、その銀髪が明らかな変化を起こしていたのだ。
音も無く、正しくジワジワと言った態で、その銀髪が自らの“領土”を広げていった。
僅かに一房だけだった銀髪は、徐々にではあるがカレンの前髪から後ろへと流した髪へとその色を拡大していったのだ。
「……カレ……ッ!」
アムルがカレンへと声を掛けようとしたのと殆ど同時に、その声を振り切るかのように彼女は鬼神像へと駈け出していった。
「じゅ……重力の影響を受けていない……!?」
それは手品でも力づくで耐えている訳でもなく、カレンの動きはこの部屋へ来るまでに見せていたそのものであった。
アムルが見る限り今のカレンは、この部屋に掛けられている加重魔法の影響を一切受けていない。
瞬く間に巨像との距離を詰めるカレン。
元々、鬼神像とアムル達の距離はそう離れていない。
圧し掛かる重力が、実際の距離よりも遥かに互いを遠くに感じさせていただけに過ぎなかったのだ。
そしてアムルの驚愕は、この一点に留まる事は無かった。
星を撒き散らすかの様な煌きを放ち、涼やかな音色を発して、カレンの持つ剣が一閃された。
常時でも機敏な動きとは言えない鬼神像だが、重力の影響下にありその動きは更に緩慢となっており、彼女の一撃を躱す事など到底不可能だった。
それでも、魔界屈指の強度を誇るアダマンタイト製のボディである。
敵の攻撃を躱す事が難しい鬼神像の、鈍重な動きを補って余りある防御力を有しているのだ。
―――いや、有していた……と言い換えるべきだろう。
金属の擦れてズレる音。
その後に響く、巨大な物質が石床へと倒れ込む音がする。
「……斬った……のか……!?」
アムルの目の前で、巨人像の左腕が肩の部分から体より分離し、支えを失った腕は切り倒された樹の様に石床へと倒れたのだった。
カレンが鬼神像に剣を振り、その結果として巨像の腕が切り落とされたのだ。他に解釈のしようも無い。
もっとも、アムルの言葉には「バカな」と言う一驚が続く。
それは、ただ単にカレンが鬼神像の腕を斬り落とした事により紡ぎ出された言葉では無い。
彼女の所作が、余りにも滑らかであったからに他ならないのだ。
戦闘序盤でカレンが鬼神像に斬り付けた折、アムルから見ても彼女は渾身の一撃を放ち、それでも漸く巨像の身体に傷をつける程度だった。
しかし今、カレンが攻撃に際して強く力を込めたとアムルには感じられなかった。渾身の一撃を放ったようには思えなかったのだ。
ただ本当に、剣の具合を確かめるが如く振るった様にしか見えなかったというのが本当のところだ。
それなのにただそれだけで、アダマンタイト製のボディを誇る鬼神像の腕が切断されたのだ。
彼が驚嘆の声を上げるのも、仕方のない事であった。
「―――……ッ!」
声の出せない鬼神像が、まるで悲鳴を上げたかの様にアムルには見えた。
そんな彼に目もくれず、自らの時間を止めてしまったアムルを余所に、カレンは何の表情を浮かべる事無くただ黙々と剣を次々に振るった。
四つん這いの格好となっている鬼神像の首が飛ぶ。
宙に浮いた巨人像の頭部を、カレンは返す刀で両断した。
アムルの魔法で多分にひしゃげていた鬼神像の頭部は、カレンの斬撃で元が何であったのか分からない、唯の金属塊へと形を変えて石床の上に散らばった。
そんな鬼神像の残骸に一瞥も無く、カレンは3撃目で大きく巨像の胴を薙いだ。
その時、それまでと違った音色の切断音が反響する。
ビクリッと、鬼神像の身体が震える様な反応を見せたのだ。
そしてその直後、鬼神像は正しく糸の切れた傀儡の如く巨体から力を失わせて、再び石床の上へとその巨体を沈めたのだった。
その途端、フッとアムル達に圧し掛かっていた重力が消え失せる。
いや、正常に戻ったと言うべきだろう。
そしてそれが全ての終了を告げるが如く、カレンを包んでいた精霊光も急速に翳り、ついには完全に消え失せていた。
アムルはそこまでの一連の流れを、ただ目を見張って追う事しか出来ずにいた。
体を動かす事はおろか、声を発する事すら出来ないでいたのだ。
「……ふぅ―――……」
その呪縛を破ったのは、カレンの発した大きな吐息を耳にしてからだった。
「……カ……カレン……」
もっとも、今のアムルには彼女の名を絞り出すので精一杯で、未だに動き出すまでには至っていない。
そんなアムルの方へと振り返ったカレンは、いつものアムルが知る笑顔を湛えていた。
「漸く片付いたわね、アムル」
カレンはそのまま、アムルの方へと歩み寄って来る。
その間、アムルは彼女を迎える様に立ち尽くしていた。
だがその心境は、到底穏やかなものとは言えなかったのだが。
「ん……? アムル、どうしたの?」
明らかに平常とは言えない彼の状態に、カレンはやや軽い感じでそう問いかけた。
その声音には、アムルの抱えているものを受け流そうとする意図がありありと浮かんでいる。
「……カレン……お前……。何を……代償にしてるんだ……?」
流石の彼女も、アムルのこの言葉に体を硬直させ動きを止めてしまった。
アムルはカレンを見て、何をしたのかだとか、どうやって等と言う事も聞かず、いきなり核心を突いたのだ。
彼女が全身に力を込めたのも仕方の無い事であった。
「……何で……分かっちゃったの……?」
僅かな沈黙の後、今度は違う意味で四肢に力を籠めるカレンが、震え出そうとする声を抑え込みながらそう尋ね返した。
「……さっき、お前の使った精霊魔法……。あれは、内在する魔力を使ったものじゃ無い。外側から膨大な量の精霊力を取り込んでいた……。それに、その髪だ……。お前が精霊魔法を使い出したと同時に、その銀髪は今とは違う存在感を放っていたし、さっきまでよりも銀色の部分が多い……。無茶な魔法の行使で色素が変化したと言うよりも、その銀髪がお前を侵食している様に見えたんでな……」
アムルは自身の経験を以て、カレンの変貌にそう断定付けて言い切った。
そしてそれは正しく彼女の秘密、その根幹を突いていたのだ。
「……やっぱり、抜け目ないのね―――……。気付かなかったり、頓珍漢な事でも言えば、恍けようと思ってたんだけど……」
今やカレンの身体は、アムルからも分かる程小刻みに震えていた。
彼女は自身の両手で己が体を抱き、ひっしでその震えを抑え込もうと試みていたのだ。
それにも拘らずカレンは何とか笑顔を作り出し、アムルの方へと向けている。
それはまるで恐怖を我慢した苦笑にも、悲しみを堪えた微笑の様にも伺えた。
「……さっきあたしが使った魔法剣技は……『聖王剣』……。精霊王と共感しその寵愛を授かった者が、代償と引き換えに全ての精霊を配下に従える事の出来る究極の精霊魔法よ……」
アムルには即座に幾つもの疑問が湧きおっこり、カレンに問い質したい気持ちで一杯だった。
しかしそれは今では無い。
まだ、カレンは自身の話を終えていなかったのだ。
「聖王剣は、全ての精霊を配下に置く……。それはつまり、この世で精霊の影響を受けているものならば、その存在を活かすも殺すも自在……と言う事よ」
その言葉を、アムルは当然の事ながら予測していた。
だが同時に、そんな事は有り得ないと否定したかったのも事実であった。
この世界……人界は当然、魔界においても、精霊の影響を受けていないものなど皆無と言って良かった。
それは、どの様な有機無機の物質も例外では無い。
鬼神像を模っていたアダマンタイトも然り、そして人体の構成も然り……である。
もしカレンがその気になれば、その精霊魔法によって世界中の全て……生物も非生物すら灰燼と化す事が出来ると言う事なのだ。
ましてや重力の頸木を断ち切り、超硬度を誇る金属を断ち切る事など造作もない。
もっとも、その様に破格な力が何の“代償”も無く使える訳はない。
「あたしが謁見した聖霊王は、この力を授けてくれる代わりに一つの代償を強要したわ……。それは、あたしが『聖王剣』を使う度にこの髪を染めて行き、全てが蒼銀となった暁には、聖霊王の后として精霊界で永遠に暮らす……と言うものだった……」
それを聞いたアムルは、然して驚きを見せなかった。
余りにも驚きを露わにすれば、必死で恐怖を堪えているカレンに動揺なり怒りなりを与えてしまうかもしれないと言うのが一つ。
そして何よりも、神がその様な戯れを好むと言う事を、彼自身が良く知っていたからだった。
「……そうか……」
だからアムルは短く、小さな相槌を返しただけだった。
彼女が望んで精霊界の住人になりたいならば言う事は無い。
しかし、きっとそうでない事はアムルで無くても分かる事だ。
死ぬ事も許されない永遠の世界で、久遠を聖霊王の慰み者として過ごさなければならない……恐怖。
これは正しく、当事者として瀬戸際に立たされていなければ分からない事だった。
「……あら……? 以外ね―――……」
そんなある意味殊勝なアムルの態度に、先程まで眼前の恐怖に駆られていたカレンは随分と立ち直ってそう口にした。
「……何がだよ……?」
彼女とは対照的に、メッキリと口数が少なくなっているのはアムルの方であった。
カレンの心情を考え、それが分かるだけにアムルにも掛けるべき言葉が見つからないのだから、これは仕方ないと言えた。
だがその内心を知らないカレンにしてみれば、アムルの同情にも見える消沈した態度が逆に面白く映ったのだった。
「あんたなら、この機に根掘り葉掘り聞いて来ると思ったんだけど。ひょっとして……同情しちゃった?」
先程までと大きく違い、意地の悪い笑顔を湛えたカレンが目を半眼に造りアムルへと視線を投げ掛けた。
「ばっ……そんなんじゃ……っ!」
先程とは攻守を入れ替えて、心情をズバリと言い当てられると言う返し技に合い、アムルの反論も力の無い尻すぼみとなっていた。
「だったらお生憎様。あたしはあんたに同情される覚えなんて無いし、大人しく聖霊王のお嫁さんになんてなるつもりはありませんから」
キッパリとそう言い切りそっぽを向いたカレンを見て、アムルも微笑ましい気持ちとなって知らず笑顔になっていた。
もっともアムルに笑いが込み上げてきた理由は、彼女の態度も然る事ながら、カレンの言葉に在った「お嫁さん」と言うフレーズが余りにも可愛らしかったからだった。
「何よ、変な笑いなんか浮かべちゃって……気持ち悪いわね」
何だか
「さぁ、元気が出たんだったら、さっさと先へ進むわよ」
そんなカレンを見つめるアムルの視線から逃げるかのように、元気よくクルリと翻った彼女はそう言うとアムルの返事を待つ事も無く歩き始めたのだった。
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