カレンの切り札
轟音を周囲に響かせ、鬼神像は石床の上へと倒れ込んだ。
大質量の巨像が何の受け身も取らずに倒れ込む事で、この部屋には強い振動が起こり、唯一立っている2人の身体を揺さぶった。
体を穴だらけとし両足を膝より下から圧し折られた鬼神像は、それを成した攻撃を受けたからなのかピクリとも動かない。
アムルとカレンの周囲を、静寂が包み込もうとして……いなかった。
「ちょっとっ、アムルッ! あんた、あたしを巻き込もうと考えてなかったっ!?」
未だ重力の掛かった部屋で膝に両手をついて激しく息を付くアムルに、カレンもまた疲労困憊の様子を見せながらも、それでも彼に歩み寄る努力をしながらそう文句の声を上げた。
アムルの放った魔法「四神撃砕破」は、確かに強力だった……いや、強力過ぎた。
そしてカレンは、その効果範囲を寸での処で回避できたのだった。
もし巻き込まれていたならば、如何なカレンと言えどもただでは済まない。
多少のダメージどころでは無いと言う事は、倒れている鬼神像を見れば一目瞭然だ。
「……んな訳……ねぇよ……。俺はお前が……躱せると思ったから……魔法を発動したんだ……」
息も絶え絶えに、アムルはそうカレンに答えた。
それを見たカレンは、先程までの威勢は何処へやら、即座にアムルを気遣う姿勢に変化していた。
「ちょっと、あんた……大丈夫……?」
その言葉を聞いたアムルは、玉の汗を石床へと滴らせながら、それでも込み上げてくる感情を抑える事が出来ずに小さく笑い声を溢した。
アムルにしてみれば、カレンの言葉が妙に可笑しかったのだ。
如何に共同戦線を張っているとは言え、彼女は勇者で自分は魔族……魔王である。
そんな自分に、人族から掛けられた「大丈夫?」と言う言葉が妙に現実離れしている様に感じられて、こんな時であるにも拘らず思わず笑いが込み上げてしまったのだ。
ただ、その笑い声を耳にしたカレンはと言えば、アムルが苦笑いを口にしたのだと誤解してすぐさま機嫌を損ねる結果となる。
「何よ、あんた! 折角、人が心配してるって言うのに!」
姿勢と動きは兎も角、彼女の見せる剣幕は割と本気の度合いが濃かった。
アムルは慌てて弁明する事となる。
「い……いや……、誤解……だって……。別に……他意なんか……無いよ……」
もっとも、息の荒い彼の弁明には勢いがない。
ただこの場合、それが功を奏す事となる。
流石のカレンも、息も絶え絶えなアムルにこれ以上の追撃は控えた様だった。
「……それにしても……。鬼神像は倒れたって言うのに、この部屋の重力は元に戻らないわね……」
だから彼女は、今現在2人の置かれている状況について言及したのだった。
本来魔法は、そう長時間放ち続けられるものでは無い。
どれ程魔力を有していても、いずれは底を突くのだ。
であるならば、魔法の放出は必要最小限にとどめるのがセオリーと言えた。
しかし相手は、知性の有無すら疑わしい人口建造物である。
後先の事を考えず、全力で行動するとも考えられた。
だから戦闘中であるにも拘らず、重力結界を張り続けると言う“愚行”を行っていたと思われたのだった。
だが今、その鬼神像も地に伏して動きを見せない。
これが人間の行使した魔法であったならば、その時点で効力も切れていておかしくはないのだ。
「……ああ……。恐らくは、この部屋に仕掛けられた“魔法的トラップ”の類だろう……。一度発動すれば、一定時間は解除しない仕組みになってるんじゃないかな……?」
随分と息も落ち着いて来たアムルが、そう彼女へ向けて説明した。
トラップ型魔法の特徴は、事前に魔力を注入したシンボルを魔法発生の道具とし、そこに蓄積された魔力が無くなるまで発動すると言う性質がある。
一度発動すれば、仕掛けた本人以外に解除の方法は分からないのだ。
「なら、さっさとこの部屋から出た方が良いって訳ね……。アムル……あんた、歩けそう?」
ここで言うカレンの「歩く」とは、動けそうかと言う問い掛け。
それ程アムルの疲労は、肉体的に見て濃い様に思われたのだ。
「……ああ……。何より、こんな所で休んでも体力が回復する気がしねえよ……」
冗談めかして答えたアムルの表情を見て、カレンはクスリと笑って同意の意を示した。
何時まで魔法が発動し続けるか分からない部屋で、十分な休息など取れよう筈も無い。
「……そうね。なら、さっさとここから出て……っ!?」
しかしカレンの提案は、最後まで口にする事が許されなかった。
重質量の金属が放つ擦過音が、2人の話声以外に静まっていた室内を満たす。
その音源が何処から発せられたものなのかは、アムルもカレンにも改めて探る必要など無かった。
完全に沈黙したと思われていた鬼神像が両手を地面に付き、その上半身を起こそうとしていたのだ。
希少金属アダマンタイトと石床の擦れる音が、2人の耳に届く音の正体だった。
「……あっきれた……。アレを喰らって、まだ動けるなんてね―――……」
カレンのセリフは何処か呆れた物言いとなってはいるが、その表情には驚愕が浮かび上がり言葉ほど楽観していないことを物語っている。
そしてそれは、アムルも同様だった。
属性と物理の合成攻撃、その最上級呪文「四神撃砕破」。
如何にアダマンタイトとは言え、この攻撃でならば倒せるはずだとアムルは少なからず考えていたのだ。
だが結果は、鬼神像の足を圧し折り機動力を奪ったに過ぎない。
そしてその機動力も、鬼神像の行動を目の当たりにして完全に奪えなかったと言う事が立証されてしまった。
鬼神像は両手で上半身を起こすと、折れた足をも使い、まるで四つん這いの様な姿で行動を開始したのだった。
これが人であったなら……生物であったならば、折れた足を使うなど激痛の極みに他ならず、その様な事をしようなどとは余程の理由がない限り行わないだろう。
しかし、鬼神像に生物の様な苦痛の感覚など皆無だ。
巨像は当たり前のように気にした様子もなく、膝から下の無い脚を駆使していた。
ただそれは流石に自由な行動とは言えず、
その動きは、二足歩行の時よりも更に鈍重と言えた
もっとも、次の瞬間に鬼神像が見せた攻撃を鑑みれば、それほど機動力が必要とはされなかったのだが。
2人が鬼神像を見つめる前で、その鬼女の顔に亀裂が入った。
頬の部分に、真横に浮かび上がったそのヒビは、見ようによっては気味の悪い笑みを浮かべているようにも見て取れる。
そしてそれは、気のせいでもなんでもなく。
鬼面に作られた口腔は大きく開かれ、そこに異常な魔力が集中しだしたのだ。
「……っ! カレンッ!」
アムルがそう叫んだだけで、カレンも状況を察したのか彼の背に隠れるような位置まで後退した。
そしてその直後、巨像の口元からは魔力を凝縮した攻撃が発せられたのだった。
それはまるで、先ほどアムルが使用した「インテンスヒート・ライン」と酷似している。
しかしその大きさや威力、そして速度は、それをはるかに凌駕していた。
一直線に2人を襲うその魔力光線を、アムルは即座に張った魔法障壁で防ぐ。
「く……っ! ぐうぅ……っ!」
だがその圧力は想像以上であり、更に彼は先ほどの魔法行使で少なからず疲弊している。
強力な攻撃にさらされては、それを防ぐだけでも困難となっていたのだった。
「ちょ……、アムル! 大丈夫!?」
攻撃が止み、カレンはアムルにそう声をかけたのだが、彼からの返事は無かった。
すでに肩で息をしているアムルに、軽口をたたく余力はもちろん、まっとうに返答する力も残っていなかったのだった。
何よりもこの部屋は、抑えつける重力場で満ちている。
ただ立っているだけでも、多大な体力と精神力が必要となるのだ。
ダメージを受けたわけではなくとも、すでに2人は満身創痍である。
だが巨像の方はといえば、確実に2人の元へと近づきつつあり、次の攻撃に備えている節もあった。
そんな鬼神像に対して、今やアムルとカレンには対抗手段を持ち得ていなかったのだ。
―――いや、だった……と言い換えるべきだろう。
「……ふぅ―――……。これは……仕方ないわね……」
諦めた様な声音のカレン。
しかしその表情には、諦観したような色は僅かも伺えない。
それどころか、何かを決意した瞳さえ湛えている。
「……おい、カレン……? 何が……?」
彼女の雰囲気に差し迫ったものを感じたアムルが怪訝な声でそう質すものの、その答えは彼女の口からは得られなかった。答えは……。
―――彼女自身が、その身を以て体現し始めていたのだ……。
「
声の出せないアムルの目の前で、カレンは呟くように、そして謳うように詠唱を開始したのだった。
「……これは……
聞きなれない……いや、アムルも初めて聞く言葉。
それはマロールとの戦いで耳にした調べよりも、更に複雑で理解出来るようなものでは無かった。
その旋律は、もはや言葉と言うよりも歌に近い。
それでもアムルは、その語源に当たりを付けていた。
今まで目にした書物に、それに関する文言の記憶を見つけ出したのだった。
勿論、そこに「神聖精霊語」に対しての聞き方や読み方が記していた訳ではない。
あくまでもそう言ったものが存在している、と言う記述を見たに過ぎなかった。
それでもアムルは、カレンの口にする“言葉”を耳にした時、咄嗟にそう口走っていたのだった。
「
そして、アムルの推測に誤りはなかった。
神聖精霊語が奏でる詠唱は、そのまま上位精霊魔法の更に上位となる精霊魔法の行使に繋がる。
唱え切ったカレンの身体から、眩しい程の精霊力が溢れ返った。
「こ……これ程……っ!」
アムルはこの時、鬼神像の存在も忘れてカレンの姿に魅入っていた。
美しい精霊光を発し、その中心で凛々しく立つカレンは正しく「美しい」の言葉がピッタリであったのだ。
戦の女神もかくや……とも思われる彼女の勇姿だが、アムルはまた違った瞳を以て彼女を見つめていたのだった。
(精霊力を……集めているだって……っ!?)
魔法術、神聖術、呪術……大よそ「魔法」と呼ばれる技術は、その内に秘めた「魔力」を行使して発現される。
それには限度があり、また限界も設定されている。
自身に内在する魔力が尽きれば、魔法は使えない道理だ。
それはどんな種類の魔法であっても例外では無い。
人が「魔法」を行使するためには、自身に内在する「魔力」を使う以外に方法はないのが通常である。
そして世界にはごく自然に魔力や精霊力が存在してはいるが、それはこれを用いて魔法を行使する為では無い。
本来それ等は何かに寄与している訳でもなく、ただそこに存在しているだけの代物であった。
もっともその魔力や精霊力、神聖力に晒され続けた結果、魔族は魔力の行使に特化し人族は神聖魔法を得意とする種族となったのだ。
まったく影響力がない……とは言えないのだが。
(大気中に漂う精霊力を、無制限に取り込むなんて……可能なのか……!?)
しかし目の前で「神聖精霊魔法」を唱えたカレンは、その道理をいとも容易く覆して見せているのだ。
周囲に存在する精霊力を取り込む……という形で。
少なくとも、アムルはその様な技術など知らなかった。
無制限に漂ってはいるが、人がそれを取り込んで使用する事の出来ない「魔力」「神聖力」そして「精霊力」……。
いずれ技術的に可能となれば、それらを利用した技法が誕生するだろう。
しかし、今の世にそれを可能とした技も術も存在していなかったのだ。
そして、彼の感じた疑問には続きがある。
それは何も、「信じられない」と言った思いから発せられた事では無かったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます