重力に苛まれて

「……アダマンタイト……?」


 しかしアムルの口にした鉱石に心当たりのなかったであろうカレンは、再度彼に対してそう疑問を口にする。


「アダマンタイトは、この魔界で採れる希少鉱物だ。高硬度を誇り、魔法耐性も高い鉱物で、主に鎧や盾と言った防具に用いられる事が多いな。一説では、オリハルコンに次ぐ硬さがあるって話だけど、肝心のオリハルコンは魔界では手に入らないから真偽は分からないけどな」


 解説を終えたアムルは、肩をすくめるようにしてそう締め括った。

 多種多様な書物を目にしたアムルであっても、実際に見た事が無く、手に入れる事も出来ない鉱物を比較の材料にする事など出来なかったのだ。


「あら? それならその話、あながち嘘じゃないかもよ?」


 だが、意外な答えが意外な人物から返される事となった。

 アムルが隣に目をやると、呆れているとも挑戦的にも取れる瞳を浮かべて、苦笑気味な表情のカレンが彼を見つめ返していた。


「だってこの剣……オリハルコン製だもの」


 カレンの告白を聞いて、アムルは即座に声を返す事が出来ずにいた。

 文字通り目が点となり、カレンの発した言葉を咀嚼しようと頭だけが必死に高速回転している状態であった。

 ただし勿論、それもほんの僅かな間だけの事であったのだが。


「……オ……オリ……オリハルコンだってっ!? マジかっ!?」


 叫びに近い声を上げたアムルは、直後にはカレンの顔からその手に持つ剣へと視線を移動し終えていた。




 カレンの様な美女を前にして、彼女よりも剣に注意を惹かれるなど本当ならば大ゲンカの種となる処だ。

 自分よりも他の事……しかも剣などに興味を優先されるのだから、女性は気分を害し、男性はその機嫌を取ることに四苦八苦すると言う、ある種在り来たりな展開があっても不思議ではない。

 ただそれも、至極ありふれた状況であれば……だ。

 ここは魔王城、その上階一室。

 魔王の間へと続く部屋であり、そこには「守衛者ゲートキーパー」と呼ばれる守護者や守護像が配置され、侵入者を容赦のない歓迎で持て成してくれるのだ。

 そして今、アムルとカレンの眼前では、巨大な鬼神像を模した守衛像が立ちはだかっている。

 そんな甘やかなイベントが起こるなど有り得ない話であった。


「勇者が嘘ついてどうするのよ……。さっきあたしが目一杯攻撃しても、あの像には僅かな切り傷しか付けられなかった……。多分あの鬼神像は、あんたの言うアダマンタイトで出来てるんじゃないかしら?」


 カレンの考えは、殆どアムルに異存の無いものだった。

 何よりも、実際に攻撃したカレンがその結果を明確に告げてくれているのだ、疑いようもない。

 勿論、アダマンタイト製の鬼神像をオリハルコン製の剣で斬り付ければ、それだけで鬼神像に傷がつく……と言う訳ではない。

 例えばこちらがオリハルコン製の剣を持ち、魔法石エーテル純銀ミスリル製の相手を斬り付けたとしても、それだけで大きなダメージを与える事は出来ない。

 硬度の優劣から傷つける事は出来ても、「剣で斬り付けたダメージ」を残す事が出来るとは言えないのだ。

 斬撃の結果は、それを放った者の技量に大きく依るところなのだから。


 しかしその事について、アムルは一切の懸念を抱いていない。

 何せその攻撃を放ったのが、人界最高の攻撃力を持つ「勇者」カレンなのだ。

 つまり、カレンが鬼神像に対して行った「打撃・斬撃耐久試験」の結果から、鬼神像の構成物質はアムルの考えていた通りアダマンタイトであると言う結果が出たという事に他ならない。


「……だとしたら……最悪だな……。剣撃のダメージも、魔法のダメージも通りにくい……。長期戦は覚悟しないとな……」


 戦いは長期に亘る程に、物心両面に消耗を強いられる事となる。

 しかも、相手は疲れや痛みを感じているとは思えない鬼神像。

 それだけを考えても、アムル達の立たされた状況がとても楽観出来ない事を物語っていた。


「長期? 申し訳ないけど、あたしはそんなに時間かけるつもりなんてないから」


 アムルの、恐らくは客観的な展望を聞いて、それでもカレンはアッサリと否定し反論した。


「つまりは、あの鬼神像をボッコボコにして、粉々に砕けばいいんでしょ?」


 呆気に取られているアムルに、カレンはどうと言う事は無いと言った面持でそう続けたのだった。

 ただ驚くべき事は、カレンのその言葉は冗談でも何でもなく、本心でそう考えているとアムルは読み取った……いや、そうとしか読み取り様が無かったのだが。


「……ふ……ふは……あははははっ!」


 そしてその直後には、抑える事の出来ない笑い声が上がっていた。


「ちょ……アムル? どうしたのよ?」


 状況としては、到底笑っていられる場合では無い。

 既に巨像は動き出し、こちらへと向かっているのだ。

 自分の発した言葉がアムルに影響を与えているとは考えてもいなかったカレンは、彼と鬼神像を交互に見やりながらそう口にしていた。


「……いや、悪い。うん……そうだよな。それしかない」


 カレンにそう言ったアムルは、一人納得した様に頷きながらそう独り言ちていた。




 アムルが考えるよりも、物事はもっと単純だと言う事に彼はこの場で気付いたのだ。

 勿論、どの様な事でも、どんな場面で在ろうが、何時でも単純明快とはいかない。それは彼も心得ている。

 だが今、この時においては、目の前の敵を無力化する事に勘案する事など少ないのだとアムルは改めて思い知ったのだ。

 可能な限りこちらが有利に、ダメージも最小限で、効率よく、無駄を省き……その事ばかりに頭が行っていたアムルだったが、時にはカレンの言うような「強引に、力尽くでも」が有効である場合もある。

 そして今がその時だと感じ取ったのだった。


「よし、カレンッ! お前は思いっきり突っ込めっ! 俺がフォローするっ!」


 怪訝な顔のカレンに、満面の笑みを浮かべたアムルがそう提言した。

 即座に事態を呑み込めなかったカレンであったが、アムルの何処か吹っ切れた様な顔つきを見て普段の彼女が戻って来る。


「へぇ―――……。良いアイデアじゃない」


 カレンの作り出した表情は、勇者と言うよりも悪戯をする直前の少女染みていた。

 そしてアムルの顔にも、同様の笑みが浮かび上がっている。


「ただ、俺も後ろから攻撃するからな。俺の声が聞こえたら、大きく後退しろよ」


 その言葉を聞いて、カレンの笑みに引きつったものがブレンドされた。


「あ……あんた……どんだけ強力な魔法を撃とうとしているのよ……」


 アムルの言い様は、巻き込まれればただでは済まないと明言しているに等しかったのだ。


「お前が考えてるよりも、強力な奴だよ」


 彼女の言葉を聞いて、アムルの笑顔は留まるところを知らない。

 これぞ正しく魔界の魔王……とでも言うかの様に、嫌らしいまでに邪悪感まで含まれていた。


「へぇ……。それじゃあ、お手並み拝見させてもらおうかしらっ!」


 そう言ってカレンは、剣を握り直して鬼神像へと駈け出そうとした。


「……なんだ……? カレンッ!」


 しかし、決意も固まり行動を開始しようとして矢先、アムルは不穏な魔力の動きを感知し瞬間的にカレンを呼び止めていた。


「……っ!?」


 文字通り出足を挫かれたカレンは、アムルに対して抗議の声を上げようとして思い留まった。

 それはアムルの様に異様な魔力を感じたからでは無く、もっと直接的に自身の体に変調をきたしたからに他ならない。


「……な……。な……に……?」


「こ……これは……重力か……」


 二人の身体は不可思議な圧力に押し付けられ、動く事も儘ならずにいた。

 アムルは即座に、周囲に渦巻く魔力の波動を探る試みを開始した。


「ば……ばかな……」


 そして彼は、驚くべき状況……いや、鬼神像の設置されたこの部屋の仕掛けに絶句していた。


「な……何よ……? これって……やばいんじゃない……?」


 互いに片膝をつかなければもはや己の身体を支える事も厳しい状況で、カレンは何とかそう声を絞り出した。

 アムルの目には、鬼神像から発せられたであろう魔力の結界がに亘って展開されている様が見て取れていた。


 ―――そう……この部屋全域……。


 それはつまり、アムルやカレンだけでなく、鬼神像も術の影響下にあると言う事だった。

 ただ巨像の方はと言えば、強力な重力に影響を受けて立ち往生している様には見えなかった。

 いや、影響は受けている。

 事実、鬼神像の動きはさらに鈍くなっているのが明らかなのだ。

 だが鬼神像は人工建造物であり、生命の無い非生物だ。

 魔法で仮初の生命を与えられ、記録された任務を忠実にこなす事だけを目的とした、言わば木偶人形に過ぎない。

 だからこそ、人間の感じる痛みや苦しみに無縁と言える。

 アムル達が今その場を動けないのも、その人間的な感性に依るものだ。

 重圧が上方から圧し掛かれば、人はその圧から逃れる様に行動する。

 何故ならば、そうしなければ身体を維持し続ける事が難しくなる可能性があるからだ。

 それに対して鬼神像は、自身に掛かる重力を苦にしている様子は伺えず、ただアムル達を排除する為だけに迫って来ているのだった。

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