崇められし鬼神

「でも……意外だな―――……。あたしはてっきり、魔界には宗教なんてないって思ってた……」


 心底感慨深げに、カレンはそう呟いた。


「魔界にだって、宗教ぐらいあるさ。それも各街、各地域にそれぞれ異なった神がいる位なんだぜ? それよりも俺には、たった一つの神様しか信仰をしない……いや、信仰を人界の方が、不思議でしょうがないけどな」


 その言葉は、アムルにとっては極自然に口をついたものだった。

 いや、この魔界に住む者ならば、誰でもそう口にしていたに違いない。


「……それは、どういう意味かしら……?」


 そうアムルの方へと顔を向けたカレンの表情には少なくない怒気が含まれており、彼を見るその瞳は鋭いものとなっていた。

 どうやらカレンは自身の所属する宗派、そして人界が執り行っている施策を馬鹿にされたと思ったのかもしれない。

 ただアムルにしてみればその様な意図も無く、突如向けられた彼女の敵意に少なからず動揺していた。


「い……いや、だってよ? 自身の宗教を認めさせるために、他宗教を排除しあっててるんだろ? 魔界では考えられないな―――……ってな?」


 アムルが、かなり焦りながらそう言い訳をした。

 あたふたと当たり障りのない様に答えたアムルだったが、彼の気付かない内にその言葉はカレンの地雷を踏みまくっていたのだった。

 もっとも、その事実に疑問を抱かない彼女では無かっただけに、カレンの怒気は急激に鳴りを潜め代わりに悲哀を感じさせる雰囲気を醸しだいていた。


「……ほん……っと……。何で、他の宗教は『異教』として認めてはいけないのかしらね……? それどころか、異教を奉じるその信者達を『異教徒』として捕え、改宗を勧めるか、それがダメなら弾圧するだなんて……ね……」


 カレンの気の落とし様は、隣にいたアムルが慌てる程だった。


「お……おい、カレン……」


 そう声を掛けたアムルだったがその言葉にカレンは応えず、ギュッと口を引き結んで足元に視線を落としていた。




 カレンの住む世界……つまり人界は、たった一神を奉じる宗教が大勢を占めていた。

 ただ、全世界の住人がそれを支持し望まれての一神教ならば、カレンにも思う所はない。

 だが現実は、平和的な手法が用いられているとは言い難かったのだ。

 先程カレンが口にした通り、その宗教は他宗教の廃絶を唱え、実行に移した。

 それも、口の端に乗せるのも憚られる程、かなり強硬な手段が採られたのだった。

 勿論それはカレンが物心つく前の話であり、彼女が幼い頃に聞き知らされた内容は随分とオブラートに包まれ、如何に正義の為の処置であったか、どれだけ正しい行いであったかと言う事と、それに反してどれだけ多神教が野蛮な邪法であったかを語ったものであった。

 幼き日のカレンはそれを信じて疑わず、他宗教には少なくない嫌悪を示していたものであった。

 もっともそれは相対する宗派の者も同様の考えを抱いており、互いに相容れぬ存在だと考えあっているという処が度し難いん部分ではあるのだが。


「でも……でもね……。今はあたし、その考えに疑問を持っているのよ……?」


 言い淀みながらアムルに応えたカレンだったが、その表情には戸惑いなど含まれていなかった。

 彼女が変わったのは、勇者として人界を旅した事が切っ掛けである。


 ―――勇者パーティ―と呼ばれる、仲間達と共に……。


 魔族を人界より排すため、カレン達は世界中を旅する事となった。

 遭遇する様々な事件やアクシデントは、少女の価値観を大きく揺さぶるのに決して低くはない影響を与えていた。

 そして決定的だったのが、“魔女”マーニャの同行である。

 カレン達は魔女の助力を得る必要となり、“魔女の里”を訪れたのだった。

 そこでカレン達に同行する事を承諾したのは、彼女達と同年代の“魔女”マーニャだった。

 勿論、その事について全く問題がなかった訳ではない。

 殊更に忌避感を見せていたのは、何といっても「暁の聖女」と呼ばれていた僧侶エレーナであった。

 物言いこそ穏やかな風情を装っていたが、その言葉には随所に嫌悪が含まれており、その時はパーティでの行動も不可能かと思われた。

 カレンにしてもエレーナ程じゃないにしろ、得体が知れず忌み嫌われている魔女のマーニャに良い印象を持っている訳では無かった。

 当時、マーニャと普通に接することが出来ていたには、唯一人の男性であった戦士ブラハムくらいであっただろう。

 だが、命を懸ける旅と言うのは、理屈を抜きにして仲間同士の絆を強めるものである。

 幾多の危機を乗り越え、艱難辛苦の旅を共にして行くうちに、少なくともカレンの中からマーニャに対しての……魔女に対しての偏見は薄れていたのだった。

 そしてそれは、エレーナも同様であったのは言うまでもない。

 ただ彼女がどう思おうとも、世界の情勢が様変わりする訳はなく。

 その事を苦々しく感じているカレンは、その想いを素直にアムルへと告げたのだった。




「いずれはね……人界でも、人々が自由に宗教を選べるようにしたいって考えてるのよ。あたしが勇者としての責務を果たせば、その名声は小さくない。それを使って、あたしは今の人界で『おかしい』って思う事を、声高に伝えて行こうと思ってるの」


 そう話したカレンの顔は先程までと打って変わって輝かしく、そして誇らしかった。


「……そうか。頑張れよ」


 ただ、その様に打ち明けられたアムルは、どうにも複雑な心境がない交ぜとなっており、何とか表情に笑みを作ってそう応えるより他は無かった。


「……うん!」


 それに対して、彼の胸中など窺い知れないカレンは些かの惑いも無く、明るい笑顔でそう答えたのだった。


 カレンの言う「名声」が彼女の手に入った時、それは彼女が勇者として人界に凱旋した事を意味する。

 そしてそれは、カレンが魔王を打倒したと言う意味以外に他ならない。


 ―――そう……。「勇者カレン」が「魔王アムル」を倒したと言う事に……。


 その事を知らないカレンに、アムルが異議や異論を唱えても詮無い事だ。

 そしてそれを把握しているアムルだからこそ、彼女を励ます様な言葉を投げ掛けたのだった。





 突如、彼等の背後で軋み音が起こり、開け放っていた入り口の扉が動き出し勢いよく閉じたのだった。

 ご丁寧に、鍵の掛かる音までも添えて。

 僅かな光源であった入り口の陽光が遮られ、瞬く間に暗色がアムル達の周囲を支配した。


「……アムルッ!」


 事の異常を感じ取ったカレンが、即座にアムルへと声を掛ける。

 そしてその意味を違う事無く理解したアムルが、明かりをともす為に精神を集中しだした。

 だが、その試みは途中で中断を余儀なくされる。

 部屋の壁沿いに一定間隔で据え置かれていた燭台。

 そこに刺さっていた蝋燭が、一斉に光を灯し出した。

 明らかにそう仕掛けられていたかの如く、灯りは瞬く間に部屋の壁をグルリと照らし。

 最後には、部屋の中央に置かれていた大きな焙烙ほうろくの中で、巨大な炎を出現させたのだった。

 その様は仕様は違えど、先のマロールの部屋に施されていた仕掛けに酷似していた。


「……ねぇ……。これは魔界の、何かの儀式なの……?」


 ただし、その雰囲気と部屋の装飾が先ほどとは大きく異なっており、カレンにこのセリフを口にさせたのだが。

 大小様々な炎が周囲を照らし、灯りに浮かび上がった光景を目にしながら、カレンは顔を引きつらせつつアムルに向かってそう問いかけた。

 冷ややかだった石造りの部屋だが、これだけ多くの炎を焚けば一気に室温も上昇する。

 醸し出されている風情も相まって、カレンの額にはすでに小さな汗玉が浮かび上がっていた。


「……しらねぇ……って言うか、ここは魔王城だろ? そんな宗教染みた儀式が魔王城で行われてるなんて、聞いた事もねぇよ……」


 アムルもまた薄っすらと額を濡らしながらカレンと同様、部屋の中央に目を向けている。

 しかし2人が見つめていたのは、中央で大きく火柱を上げる焙烙ではない。

 その後ろに鎮座する巨大な置物……石像……御神体に他ならなかった。


「……アレは……鬼神像……か……?」


「……何よ……それ……?」


 アムルがポツリと呟いた名称に、カレンが訝し気に問い質した。


「……鬼神は……魔界で最も信仰の対象とされている神様だ……。ちゃんとした宗教でも何でもなく、ただ民間信仰の対象となっているんだが……。あれは、その御神体だ……」




 鬼神は二本の角を生やし、恐ろしい形相をした鬼面に女性の身体を持ったである。

 そして鬼神像は、その女神を模した物だった。

 体の前面で腕を組んだその両手には、それぞれに巨大な剣を携えている。

 鬼神像本来の大きさは、全長でも成人男性の膝下程度しかなく、街や村の小さな祠や各家庭に祀られている、平和と安全を司る神様だ。

 その由来は古く、太古の大戦時、戦禍に巻き込まれた村の逃げ遅れた母親が、自分の子を守る為にその身を鬼へと変えて、自身の命を引き換えに子供を最後まで守り切った……と言う、どこにでもありそうな逸話から来ていた。

 ただ、その余りにも激しい慈愛の心が魔界の住人達に感銘を齎し、今に至っても多くの者が崇めている。

 もっともそれは、身近にいて平穏を見守ってくれている神様としての認識であり、確りとした宗教の象徴としてではない。

 誰もが崇め、慕い、敬っている、魔界でも最もポピュラーな女神……それが鬼神であった。




「……随分と立派な御神体じゃない……。魔界では、あんな巨像を祀ってるんだ……?」


 しかし今、2人の目の前にある鬼神像は、多くの魔族が親しんでいるそれとは大きく違っていた。

 その全長は10メートルに届こうかと言う巨体であり、その鬼面は慈愛の欠片も感じられない。

 恐ろしく吊り上がった双眸を、まるでアムル達を射殺そうとでもしているかのように鋭く向けていたのだった。


「……あんな悪趣味な鬼神像なんか、誰も崇めねぇよ……」


 造られた鬼面に浮かぶ、生気の無い眼球……。

 だがアムルにはその瞳が自分たちを睨みつけている様に思え、その視線を外さず睨み返す様にしながらカレンに答えた。


「ここは魔王城だぜ? 魔王の間に向かおうかって部屋に、宗教さながらに神像を祀るだけなんて考えられないだろう……?」


「……そうね……っ!?」


 アムルの呟きにカレンが答えたその直後、眼前の巨像に大きな異変が訪れた。

 



 大きな音を立てて、その鬼神像が動き出していたのだ。

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