芽生え
カレンの斬撃を受けて、胸に真一文字の裂傷を負ったマロールはその巨体を響かせながら足元の石床へと沈んでいった。
それと同時に、その古龍の身体から光の粒が無数に湧き立ち中空へと霧散して行く。
立ち昇る光粒の量に比例してみるみる小さくなってゆくマロールの身体は、
「……よくあたしが考えてた事、わかったね」
その様子を見つめていたカレンが、ユックリと視線をアムルの方へと向けて話しかけた。
その顔にはいつの間にか、戦いの終了を告げる柔らかい表情が湛えられていた。
「……わかったね……じゃねぇよ。よくあの状況であんな無茶をやろうなんて考えたもんだ……」
呆れ顔でそう返したアムルの顔にもまた、薄っすらと笑みが浮かんでいた。
だがその笑顔はどちらかと言えば苦笑に近いものであり、心底カレンの“勇気”に呆れていたのであった。
最後の戦闘時、カレンは兎も角、アムルは立ち込める龍気から身を躱す術を持っておらず、少なからずその影響を受けていたのだった。
アムルの能力が刻一刻と減衰して行く最中、彼を信用して防御を捨て攻撃に専念するなど、アムルには正しく正気の沙汰とは思えなかったのだ。
万一、アムルの防御障壁がマロールの攻撃を食い止められなければ、無防備に突出していたカレンは間違いなく大ダメージを負い、下手をすれば即死の可能性すらあったのである。
「うふふ……。でも、あの時はあれ以上時間も掛けれなかったし、咄嗟に思いついた手段はあれしかなかったし……。それにあんたなら、必死でマロールの攻撃を食い止めてくれるって分かってたしね」
カレンは悪戯っぽい笑顔にウインクを添え、楽しそうにしてそう答えた。
あの時アムルは、減衰した自分の魔法力を限界以上に引き絞って魔法を行使したのだった。
アムル自身、信じられない程の集中力を見せた訳だが、それでもあの場面でマロールの攻撃を防ぎきれると言う保証はどこにもなく、それこそ運が良かったとしか言えない結果であったのだった。
「……おいおい……。思い付きの行き当たりばったりも程々にしてくれ……」
彼女の答えを聞いたアムルは、心底脱力してそう呟いた。
今更ながらに、乾坤一擲の攻防だったのだと実感が湧いて来たのだ。
「……お前達……よく俺を打ち破った……。全く以て見事だった……」
既に人の姿へと戻り切ったマロールが意識を取り戻し、傍らに立つアムルとカレンへ話しかけて来た。
「そなた……人族の
そう言って自嘲気味に笑うマロールは、本当に満足した表情をしていた。
その言葉にカレンは何も返答せず、ただ彼を見つめるだけであった。
「そして魔族の若者よ……。お主もこの状況下で、よくぞ俺の一撃を食い止めた……。あれには驚き以外の何ものも無い……。感服した……」
恐らくは最大の賛辞を込めたマロールの言葉に、アムルと言えども随分と気を良くしたのだろう。
「まあな、あれくらいどうって事ねぇよ。何せ俺はま……」
そこまで言って、アムルは慌てて口を閉ざした。
危うくこの場で、自分が魔王である事を公言してしまう処だったのだ。
「何よ、アムル? ま……何なのよ?」
怪訝に思ったのか、カレンがアムルに追求の手を伸ばして来た。
今ここで真実を公表すれば、すかさず魔王対勇者による第二ラウンドが開始されるのであろうが、精神的に疲労困憊のアムルとしては今すぐにカレンとやり合う事は勘弁願いたかったのだ。
「ま……魔法にはちょっとした自信があるからなっ! は……ははっ!」
僅かと言わず動揺したアムルが、苦しい言い訳を展開した。
この場に居たのがもしも執事である「バトラキール」であったなら、即座に彼の嘘は見破られていたであろう。
「まぁ確かに、あんたの魔法は威力も強度も大したものだったからね」
しかしその事にカレンも、そして。
「うむ。更に研鑽を積めば、魔界随一の使い手になるやもしれぬな」
マロールも気付いた様子はなかった。
それを確信したアムルは、密かに嘆息をついて安堵していた。
彼がこの戦いで間違いなく学習した事それは、前衛を好んで熟す者は総じて思考が単純だと言う事であった。
ムクリと体を起こして胡坐をかいた姿勢で座ったマロールが、背後から何かを取り出した。
よく見れば胸の傷は随分と小さくなり、傷口も徐々に塞がって来ているのが2人にも分かった。
「……呆れた回復力ね……」
それを見たカレンが溜息交じりにそう呟き、そんな彼女を見たマロールが小さいながらも豪快に笑った。
「わはは! 俺達龍族は強い生命力を持っているからな。とりわけ古龍種の生命力は並じゃないのだ」
それを聞いたカレンとアムルは心底辟易した。
もしこの後も古龍種が出現すれば、苦戦や長期戦も十分あり得るからである。
特にアムルは、この先に待っている者が間違いなく古龍種やそれに匹敵する力を持つ魔物だと感じ取っていた。
自らの居城を悪く言うのもおかしな話であるが、この段階で古龍種であるマロールをぶつける配置をしているのである。
この城を作った者の意地悪さからして、この先にも彼に匹敵する強者や難解な罠が待ち受けていると容易に推察でき、そこからくる疲労感たるや相当のものであったのだ。
「ほれ、これがこの先に進む為の扉を開く鍵だ」
マロールは左手で鍵を差し出しながら、右手の親指で自身の背後を指差した。
アムルとカレンも、部屋の片隅にある随分と小さい扉をその場から何とか確認出来ていた。
「それじゃあ遠慮なく。さ、アムル。のんびりなんてしてられないし、早く先へ進みましょ」
マロールから鍵を受け取ったカレンが、アムルに振り返りそう促した。
それを受けたアムルも、カレンに頷き返して同意の意を示す。
「本当に満足のいく戦いであったぞ、二人とも……。願わくば再び
通り過ぎるカレンを満足そうな笑顔で座ったまま見送り、マロールはそう声を掛けて来た。
「嫌よ、面倒臭い」
だがカレンは、ピシャリと否の返答をしてスタスタと扉へ向かって行った。
その後ろ姿を見ていたマロールが、彼の前を通り過ぎるアムルにも声を掛けた。
「ところでお主のその魔法力、どうにも尋常ではない……。あれ程の力は、全魔界にも……いや、歴代の魔王にすら感じられなかった。よもやお主、今代のまお……もごおぅっ!」
何かを言おうとしたマロールが全てを言い切る前に、アムルは神速を以て彼の口を塞いだのだった。
「その先はそれ以上言うな……。でなきゃお前……殺すぞ」
その顔には、浮かべている笑顔とは裏腹に殺気が込められており、マロールは今までにない戦慄を感じコクコクと首を上下に振った。
ユックリと彼を解放したアムルは、再び先行するカレンの元へと歩を進める。
「……何とも不思議な組み合わせな事だ……」
そう呟いたマロールの顔には、先程までのどれとも違う楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「アムル、マロールと何話してたの?」
先を歩いていたカレンがクルリと振り返って、アムルの正面に立ちそう問いかけた。
アムルは先ほどのマロールとの会話でも十分に注意を払っており、彼女に話の内容が知られているとは考えていない。
だがその内容が内容だけに、不意に問いかけられればその動揺は具に顔に現れてしまうのだ。
「ああ……なんでもねぇよ」
危うく取り乱しそうになったアムルであったが、これまでに無い程の自制心を発揮して強引に慌てる心を抑え込み、努めて平常心でそう答えた。
これがもし、彼の執事たるバトラキールからの問いかけならば以下略。
「ふ―――ん……。ま、良いけどね」
しかし相手がカレンであればこの通り、特に深い詮索は求められなかったのである。
彼女もアムルとマロールが話していた内容に、それ程深い興味が無かったのも幸いしたのだろう。
「それよりもお前のあの技……精霊剣だっけか? 凄い威力だな」
アムルは自然に話題が逸れる様、先程カレンが見せた剣技について質問を投げ掛けた。
実際アムルが感嘆するのも頷ける話であり、人界でも精霊剣を実際に目にする者は極稀なのだ。
「ふっふ―――ん……。あんなの序の口よ、じょ―――の―――く―――ち。実はもっと凄いのが……おっと」
慌てて両手で口を押えて言葉を呑み込んだカレンだったが、時すでに遅しとはこの事を言うのだろう。
どうやら彼女は、放っておけば自ら自滅するタイプであるらしかった。
アムルには相手の隠し事を明確に読み取る様なスキルは無いが、流石にそこまで話されてはだいたい予想が出来ると言うものであった。
「ふ―――ん……。まぁ、別に良いけどな」
アムルにしても、その事を深く追求するつもりなど更々無かった。
カレンの言葉から、先程の精霊剣よりも更に強力な技を彼女は隠し持っている。
隠しているとの言い方に語弊があるものの、今のアムルにはそれだけ分かれば十分だったのだ。
「ま、お互い本来は敵同士なんだし、ホイホイと手の内を明かすのはマズいでしょ?」
折角、アムルが話を切ろうとしてくれたにも拘らず、またしてもカレンは自滅の道を突き進んだのだった。
正しく、“口は禍の門”を地で行くカレンであった。
だが、彼女の言う事ももっともであり、本来は敵同士……かどうかは兎も角、相容れぬ仲である事に違いはない。
この様な状況にでもならなければ、決して轡を並べて歩く様な二人ではないのだ。
何よりもアムルは魔王であり、カレンは勇者。
彼女の最終目標は、魔王であるアムル討伐に他ならないのだ。
「でもとりあえず、今はあんたの事信用してるから。次も頼むわよっ!」
そう言ってアムルの背中をバンと叩くカレンと、その勢いと強烈さに前のめりになって咳き込むアムル。
しかし、アムルは不思議と嫌な思いを感じなかったのだった。
「……ああ、こちらこそよろしく頼む」
それどころか、口元に笑みを浮かべてそう答えていた。
敵となればこれ以上手強い者は居ないが、味方となればこれ程心強い相手は居ない。
それが分かっているだけに、アムルは不思議と居心地の良いこの距離感を、好ましいものに感じ始めていたのだった。
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