勇者の力

「……くそっ! どうする、カレンッ!?」


 刻一刻と悪化して行く状況に焦りを覚えているのか、カレンに問いかけるアムルの声は焦燥感に駆られていた。

 マロールの特殊技能スペシャル・スキルにより、時間と共に能力が低下して行く状況で、アムルがどれ程思考を巡らせても有効な打開策が浮かばないでいたのだ。

 カレンの攻撃力は兎も角、少なくともアムルが自身で戦う事を想定したとして、彼がどれほど強力な魔法を駆使しようとも、精霊に守られているマロールへどの程度有効な攻撃が出来るか彼にも疑わしかったのだ。

 そしてそれはアムルだけではなく、身体能力が低下してゆくカレンにも当てはまる事だった。

 今はアムルの使用した身体能力フィジカル・向上魔法レインフォースの効果が続いているものの、それが何処まで彼女の助けとなっているのかは分からない。

 しかもそれは、時間と共に低下して行くのだ。


「……わかってる……」


 アムルの言葉を受けたカレンは、どこか決意した眼差しでそう言うと、アムルが形成している防御障壁より外へと踏み出した。


「お……おい、カレン……」


 魔法防御の外へと踏み出せば今よりもマロールの龍気に触れる事となり、更に能力が減衰する事が考えられる。

 それが分からないカレンでは無いにも拘らず、彼女はそれを気にする様子もなく確りとした足取りで歩を進めて行った。

 そしてそれを具に感じ取っていたアムルだからこそ、彼女に声をかけようとして思い止まったのだった。


「……大いなるクレーメンス・この世のモデルノ・事象をフィスィ・司る者達オルデン・ラウフ我汝らにラ・ラウフ・命ずるイラーダ我に集いてラ・サユース・その力を示しコドラ・アマル我が敵をラ・アドゥ・打ち破るエピセスィ・合力となれズィミナ……」


 そんなカレンはマロールの龍気に晒されながら、囁く様に、歌う様に何事かを口にしていた。

 先程は彼女の呟きが聞こえなかったアムルだが、今度は確りと聞き取る事が出来ていた。

 だがその詠唱は、とても不思議な旋律で紡がれている。


「……上位精霊語詠唱ハイ・スピリッツ・スペル……?」


 それは、アムルでさえ耳にする事が初めての神秘的な韻を踏んだ言葉だった。

 当然、その意味を解するなど彼には出来ない。

 ただ、そういう言葉が存在していると言う事はアムルも知っており、殆ど直感的にそう呟いていたのだ。


 この世に数多ある魔法言語の中でも、精霊言語は稀有な部類に入る。

 魔界では勿論、人界であっても「精霊魔法」は使い手が少なく、それを用いるために口にする精霊言語を耳にする機会は余りないだろう。

 更にその上位魔法に当たる「上位精霊魔法」とその為に紡がれる「上位精霊言語」に至っては、それを聞いた者もその言葉の意味を知る者さえ殆ど居ないとされているのだ。


 神代の言語とも謳われる、古の上位精霊言語に依る魔法詠唱。


 それが今、アムルの眼前で執り行われているのだ。


顕現せよっウィデーレッ! 我に従ずる者達っラ・セルヴェンテッ! 我の敵は汝の敵なりやっラ・アドゥ・カーデム・ブラエドーッ!」


 カレンが一際強い語調でその呪文を締め括った。

 アムルにはカレンの口にした内容を知る事が出来なかったものの、それが詠唱の終了した合図だと言う事は理解出来ていた。

 そして、それはそのまま大きな変化として彼の目前で事象となって現れた。


「……精霊……が……付き従って……?」


 アムルの目には先程と明らかに違う、精霊を顕現させそれを付き従わせているカレンの姿が映っていた。




 彼女の身体を覆う青い光はその強さを増し、姿を現した精霊も先程の様な小型の羽根を生やした妖精ではなく、より大きくまるで青い狼の様な姿をしていたのだ。

 そして何よりも、ただ顕現させて力を借りていた先刻とは大きく違い、完全にその蒼き狼を支配下に置いていたのだった。

 カレンは、その足元で従属し待機している青狼の頭をソッと撫でた。

 気持ち良さそうに、まるで喉を鳴らすかのような表情をした蒼き狼はその途端、青い光の粒子となって姿を消し、その粒子は吸い寄せられたかの様にカレンの持つ剣へと集約されていった。


「……あれが……精霊剣……?」


 何もかも初めて目にする魔法を前に、アムルでさえただ様子を見守るしか出来ないでいたのだった。




 属性を指定し、武器に付与して属性効果を与える「付与武器魔法エンチャント・ウェポン」と言う魔法がある。

 対属性攻撃に措いて高い効果が期待出来るが、それも魔力によって生み出された所謂「疑似属性」であり、精霊が生み出す本物の属性効果には及ばない。

 しかし精霊魔法の使い手が稀有となった現在では、精霊の力を己が武器に宿らせる「精霊剣」を目にする機会など殆ど無いのが現実であった。

 実際アムルも書物でその存在を知っているだけで、実際に「精霊剣」を行使する瞬間を目撃する機会があるなど思いもよらなかった事なのだ。

 上位精霊をその身と武器に纏った今のカレンに、この部屋で猛威を振るっていた火煙ガスの効果は無効化されており、更なる能力の劣化を防ぐ事が出来ていた。

 そして、その状況は目の前にいるマロールも知る処となる。


「貴様……その剣は精霊を宿らせているのか?」


 マロールは、精霊を使役して武器に宿らせる術を久しぶりに見たかの様に、懐かしそうに目を眇めてまじまじとカレンの持つ剣を注視していた。

 幻獣であるマロールの目にそれがどの様に映っているのか定かではないが、表情の読み辛い古龍の頭部は非常に興味深そうであった。

 だがその問いにカレンは、言葉ではなく剣を以て答えた。


 声を発する事無く、青い光をその身体に纏ったカレンが高速でマロールとの間合いを詰める。

 しかし、予めそれを察していたかのようにマロールは口腔を大きく開き、巨大な炎弾を一瞬で彼女へ吐きだした。

 向かい来る炎弾に、カレンは自身の持つ剣を一閃した。

 青い剣閃の尾を引いて横薙ぎに払われたカレンの剣は、飛来する炎弾をいとも簡単に割裂し、そのまま氷粒へと変えて霧散せしめたのだ。

 彼女の跳躍スピードは衰える事無く、一気に間合いへと入った。

 甲高く澄んだ音色を発して、カレンの繰り出した剣が上段から下段へと振り下ろされる。

 それに対してマロールは、咄嗟に左前脚を翳して防御行動をとった。

 先の交戦では、その硬質な爪でカレンの斬撃を防いだマロールであったが、今回は勝手が違った。

 彼の鋭利な爪は僅かな抵抗を示しただけで、彼女の攻撃により切り離されてしまったのだ。


「むうっ!?」


 カレンの剣先が、自身の身体を切り裂く直前に辛うじて躱す事を成功させたマロールであったが、その動揺は少なくなかった。


 マロールはその身に宿る能力に依り、火煙ガスを振りまく事で火の精霊を呼び寄せる事は出来る。

 だが実際はその精霊を使役している訳ではなく、助力を得ているに過ぎない。

 無作為に集まってくる精霊たちを好きに遊ばせている……とも言えるのだ。

 対してカレンは、マロールの呼び寄せた精霊よりも上位の精霊を完全に支配下としている。

 そして、マロール自身も属性が火である事を考えれば、カレンの斬撃に耐性が低くなっていても仕方のない事だった。

 マロールはその長い首を大きく後方へと逸らしながら、頭部だけでカレンに標準を付けた。

 そしてそのまま、炎弾の連射を見舞ったのだ。

 先程よりは小さいながらも、威力は十分にあるだろう火炎弾が狙い違わずカレンに襲い掛かる。


 しかしそのどれも、カレンに火傷どころかかすり傷一つ負わす事も出来ずに、彼女が振るう剣舞によって全て霧氷となり消え失せてしまったのだった。

 舞い散る氷の粒を周囲に纏ったカレンは、まるで雪の中に麗舞を披露する踊り子の様に妖艶そのものであった。


「ふんっ! やるなっ!」


 戦いの趨勢すうせいを完全に握られたマロールだが、それでもその声に焦りや恐怖はなかった。

 劣勢に立たされようとしているこの状況であっても、マロールはこの戦いを楽しんでいる様にアムルには見えたのだった。

 それを証明する様に、一旦大きく後退したマロールと、着地したばかりのカレンとの間に大きな間合いが出来る。

 そしてその距離を再度詰める様に動き出したのは、不利だと思われるマロールの方であった。


 彼には選択肢として、時間を稼ぐと言う戦術も取り得た。

 この部屋は彼に地の利があり、長期戦となれば明らかにアムルとカレンには分が悪いのだ。

 ただ単純に勝つだけならば、何かしらの策を弄して時間稼ぎに徹する事が良策と言える。

 だがマロールはその策をとらず、早期の決着を望んで動き出していた。

 勿論、彼は敗けるつもりなど無く、真っ向勝負でカレンを打ち破るつもりなのだ。

 勝敗は兎も角として、自身の拳でケリを付けようと考える辺り、マロールと言う古龍は本当に戦闘狂なのかもしれない。


 マロールが炎弾を放つ。

 しかし、先程からこの攻撃はカレンに完封されており通用しない。

 そして、その事をマロールも重々承知していた。

 紛れもなくこれは牽制である。

 炎弾を吐きだしたと同時に、その巨体をカレンへと向けて疾駆させた。

 大よそその巨体に見合わない動きで、マロールは炎弾の影に隠れる動きを取ったのだ。

 マロールと殆ど同時に走り出していたカレンの剣が閃いた。

 美しい音色を奏でて、マロールが放った炎弾は幾度目かの氷粒へと姿を変えて舞い上がる。

 美麗な氷霧が舞い散り、まるで煌めく光の中で両雄はその距離を詰めていった。

 未だどちらの間合いにも達していない距離で、突如マロールが急制動を掛けて止まった。

 その巨体の陰に隠れていた様に、彼の背後から地面を這うように、カレンへ向けて尾撃が薙ぎ払われた。

 巨大な壁にも似た一撃が、側面からカレンを襲ったのだ。

 カレンはそれを前上方へと飛び上がり回避し、更にマロールとの距離を縮めようとする。

 だがその試みは、彼の予測する範疇であった。

 マロールは回避の取れないカレンに向けて、左右の腕を時間差で放った。

 先に到達する腕が剣撃に晒されて使い物とならなくなろうとも、もう片方の腕でカレンを仕留める算段なのだ。

 それは正しく、捨て身の一撃と言えた。


「なっ……なんとっ!?」


 しかしその両腕ともが、カレンが迎撃せずとも、彼女の身体に到達する事は無かった。

 アムルが彼女の両側に構築した魔法障壁が、マロール渾身の攻撃を完全に防ぎ切ったのだった。

 既に能力減衰状態であったアムルは戦力外だと思い込んでいたマロールは完全に虚を突かれた状態となり、その動きも、そして思考も停止させられてしまったのだった。

 アムルの最大限にまで集中を高めた防御障壁は驚くべき強度を発揮して彼の攻撃を止め、その間を跳躍していたカレンはまるでそれが動きを澱ませる事無く攻撃に転じる。

 カレンの剣閃が、完全に無防備となっているマロールの胸部へと綺麗な横一文字に払われた。


「どうっ! ぐおおおっ!」


 マロールは今までにない絶叫を上げた。

 カレンの一撃は、彼の胸に一筋の鋭利な切り口を残すに留まらず、そのままその部分を氷結させたのだ。

 致命傷に近いダメージを受けてマロールは古龍の巨体を石床へと沈め、漸くその動きを止めたのだった。

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