伝説の悪龍

 炎の如く、灼熱の闘気が竜巻となってマロールを包み込んだ。

 その熱波がカレンとアムルを襲い、2人はその場へと止まる為に手を翳して四肢に力を込める必要さえあったのだ。

 恐ろしい程の闘気がマロールに集中しているのを、2人共感じていた。


 その闘気の正体は「龍気」。


 龍族のみが纏う、攻防一体の闘気がそれなのだ。

 龍気には属性があり、反対属性の攻撃から受けるダメージを軽減する効果があると共に、自身の属性を向上させる効果がある。

 マロールの纏う龍気は炎と見紛う程の熱気を有しており、一目で彼の属性が火だと言う事を象徴していた。

 これにより彼の使う火属性の魔法やブレスは効果が向上され、火の精霊が活性化した事により、水や氷と言ったマロールに不利な攻撃を軽減させる効果が発現したのだ。

 そして何よりも、火の精霊が活性化する事でマロールの肉体能力も向上につながってゆく。

 直接戦闘を好むマロールにとっては、それが何よりも都合の良い効果であるのは想像に難くない事だった。


 マロールを取り巻いて、渦を模っていた炎と思しき龍気が急激に膨張して行く。

 まるで中に居るマロールが巨大化するかのように大きく半円形となった炎の龍気は、そのまま何かが生まれる前の卵であった。


「……っ! カレン、来るぞっ!」


 炎の中で急激に膨らむ実体の気配と、同じくらいに膨張する龍気に逸早く気づいたアムルがカレンへと注意を喚起する。

 その声を聴いたカレンもまた、剣を握り直してに備えた。


 一際大きく炎が湧き上がり、灼熱の炎卵が天上へと向かって火柱を起こした。

 荘重そうちょうささえ感じられる目の前の儀式が2人の目前で進められ、ついにその時が訪れたのだった。

 カレンとアムルが見つめる先には、薄っすらと炎さえ纏っている巨大な龍が顕現していた。

 それはアムルは勿論、カレンでさえ初めて目にする程の神々しさと猛々しさを併せ持った立派な龍だった。

 伝説に謳われる古龍の再臨に、2人は気圧されまいとするだけで必死だった。


 小山ほどの大きさを持つその巨体は全身を真紅の竜鱗で覆われており、それを見ただけで高い防御力があると思わされた。

 胴体から長く延びる首と尻尾、四肢は強靭そのもので硬い石床に軽々と爪を立てている。

 背中と思われる小山の頂上付近には二枚の翼がキッチリと折りたたまれており、その気になればこの城を破壊して飛び立つ事も可能であろうことは簡単に想像がつく。

 伸びた尻尾の先端は二股に分かれ、それぞれの先端に生えている棘は太い上に鋭く、まるで上質の鉱石で作られた長槍ランスの様であり、それだけでも高い殺傷力のある事が窺い知れた。

 長い首の先端には、燃え盛る様な瞳を湛えた鋭い眼を持つ頭部があり、そこからも鋭く立派な角が二本生えている。

 口は大きく裂けて、牛でさえ軽く一飲みに出来そうな程だ。

 その口には鋭利な牙が生え揃い、噛みつかれれば恐らく助からない事は想像するまでも無い。

 見ただけでも荘厳で凶悪なその体躯は、古代の壁画や書物に記された、正しく伝説に謳われし悪龍の姿そのものであった。





 突如赤龍の全身から、炎と見紛う火煙ガスが噴き出された。

 濛々と沸き立つその紅い煙は、瞬く間に部屋中を覆う程に充満して行った。


「……っ! カレンッ!」


 それを見たアムルは、即座にカレンを呼び寄せて魔法の準備を行った。


「耐炎魔法陣っ! アイスフィールドッ!」


 カレンが自分の近くへと降り立ったのを確認して、アムルは即座に自身を中心とした半円形の魔法障壁を展開した。

 赤龍が噴出させた火煙は、それまで2人が受けていた龍気とは比べ物にならない熱気を帯びているとアムルは即座に判断したのだが、それが正しかった事はすぐに2人の実感として現れた。

 火煙が充満すると同時に、一気に部屋の温度が急上昇し、アムルとカレンの額からは汗が滴って来ていたのだ。


「……待たせたな……。早速再開と行こうか……」


 表情の分かり辛い竜頭であるにも拘らず、その顔が間違いなくニヤリと口角を吊り上げた事が2人にも見て取れた。

 その言葉の直後、赤龍となったマロールが長い首を上方へと一直線に伸ばし、周囲の空気をその喉に集め出す。

 見る間に倍以上となった彼の喉は、その中身を示す様に赤銅色と輝いている。


「……っ!? 来るぞっ!」


 アムルの想像した通り、マロールは喉に溜め込んだ炎気を一気に吐き出した。

 赤龍のブレスは彼自身の属性である火炎を纏って、灼熱のブレスとなりアムル達に襲い掛かったのだ。

 一瞬で周囲は火の海と化し、2人を呑み込み燃え盛った。

 しかもそれは只の炎では無く、マロールによって高温と化しており、もしその場で何の備えも無く待ち構えていたならば一瞬で消し炭になっていただろうと言う程であった。


「ぐ……ぐぐっ……」


「きゃ―――っ!」


 その余波は防御フィールド内に居るアムル達にまで及び、2人とも熱波を少なからず受ける事となった。

 アムルの張った魔法障壁は中級クラスのものであり、先程までの火煙を防ぐ程度ならば問題なかったが、マロールが直に吐きだしたブレスを防ぎきるには力不足だったのだ。

 それでも障壁を維持し続けたアムルの魔法力により、大きなダメージとなる事は防いだのだが。


「だ……大丈夫か、カレンっ!?」


 炎波が去り、アムルはカレンの状況を確認した。


「だ……大丈夫よっ!」


 そう答えたカレンだったが、アムルの見た所僅かに顔が蒼ざめている。




 先程見たマロールの変形へんぎょう、その姿が紛う事無き古の悪龍であった事、神話に謳われる存在と相対する畏怖。

 そして何よりも、炎は潜在的に人の心を恐怖に落とし込む。

 直接のダメージは無くとも、「人」ならばそれを見て体感すれば心も挫けようと言うものなのだ。

 アムルの認識では、人族の信仰に対する想いは魔族のそれより遥かに高い。

 神を畏敬する気持ちは勿論、それに近しい存在に恐れを抱く事もまた仕方のない事であった。


「カレンッ、確りしろよっ! 本番はここからみたいだぞっ!」


 それを知識で知っており、実際カレンからそう感じたアムルが彼女に発破をかける。

 自身はその瞳を悪龍から逸らす事無く、意識をカレンへと向け、彼女の状態を探るアムル。

 カレンが戦えない様ならば相性云々は兎も角、アムルが前に出て戦うしかないのだ。


「……うん……うんっ! 分かったっ!」


 しかし、妙に素直ではっきりとした返事が彼女から返って来た。

 もしかすれば、これが彼女本来の姿なのかもしれない。

 少し拍子抜けしたアムルだったが、今はそれを気にしている場合ではない事を、目の前の巨龍が物語っていた。


「よくぞ……耐えきったな、人間。やはりお前達が、俺の待ち望んだ存在だ」


 その声は非常に満足そうであり、やはりその口端は吊り上がりニヤリと笑っている様に見えた。


「カレンッ、耐熱魔法を掛けるからこの場から離れるぞっ! ここに留まり続けるのは不利だっ!」


 魔法障壁の中では、炎波を防ぐ事は出来るが移動する事が出来ない。

 その状態で直接攻撃を受ければ、一溜りもないのだ。


「アムルッ! それよりも私に肉体強化の魔法をお願いっ!」


 だが、カレンはアムルに違う魔法を要望した。

 肉体強化の魔法は、自身の運動能力を全般的に向上させる効果を与えるのだが、熱波を遮断しダメージを防ぐ事は出来ない。

 今、この魔法障壁から何の備えも無く飛び出せば、肌を焦がし肉が焼ける炎波に依り何もしなくともダメージを負ってしまうのだ。


「カレン!? それじゃあ……」


 訝しく感じたアムルが反論しようと口を開いた機先を制して、カレンが言葉を被せた。


「私は大丈夫だからっ! だからお願いっ!」


 アムルから見たカレンの瞳には何か考えがあると言う意志が感じられ、彼はそれ以上反論する愚を犯さなかった。

 こうしている間にも、悪龍が攻撃を仕掛けてくるやも知れないのだ。


「この者の肉体に強化の力をっ! フィジカルレインフォースッ!」


 即座にアムルが呪文を唱えると、カレンの身体が淡く輝いた。

 その光は消える事無く、彼女の身体を薄い皮膜の様に覆って留まった。


「……へぇ―――……すごい効果……。やっぱりあんた、結構な魔法使いだったのね。それで効果時間はどれくらい?」


 左掌で広げ握り直しを繰り返して、カレンは自身の能力向上度合いを測りながらそう言った。

 そこには感嘆の声音が含まれており、心底感心している様であった。


「何時まで? ふざけろ。この戦いが終わるまでは余裕で持つよ」


 それを感じ取ったのか、アムルは少し照れたようにそう答えた。


「ほんと、すごいね。マーニャに匹敵する使い手かも」


 カレンはニッコリと微笑んでそう返した。

 アムルには面識がないが、彼女の話からマーニャと言う魔法使いがカレンの仲間だろうという事は知っていた。

 そしてその者は勇者のパーティに名前を連ねる程の魔法使いなのだ、間違いなく相当の手練れだろう事も彼には理解出来ていた。

 しかし、仮にも魔王が一冒険者と比較されるとは思ってもいなかったアムルは、呆れたように僅かに苦笑した。


「でも勘違いしないでよね。マーニャはもっと凄いなんだから」


 即座に訂正するカレンの言葉を聞いて、アムルにも思う所があったが今はそれを言わずにおいた。

 魔界でも「魔女」の存在は注視するほどであったのだが、今はその事を聞き質しても仕方のない事である。


「分かったよ。それよりも本当にそれだけで大丈夫なのか? この外は灼熱地獄だぞ?」


 話を元へと戻したアムルに、カレンはウインクをして答えた。


「大丈夫よ。あんたは今まで通りバックアップでお願いね」


 そう言うが早いか、カレンはアムルの造り出している魔法障壁から颯爽と飛び出して行った。


「おっ……おいっ、カレンッ!」


 それを見たアムルは、慌てて彼女を呼び止めようと声を掛けた。

 身体強化魔法だけでは、今この部屋を満たしている火煙は防ぎようがないからだ。


「凍てつく舞姫、氷雪の踊り子達、我に集いてその身に宿れ」


 しかし、彼女の身体が焦がされるまでに、カレンは何事か小さく呟いた。

 アムルにはその何かが聞き取れなかったが、その効果はすぐに彼にも分かる形で現れる。

 アムルの魔法で淡く光る彼女の身体を、更に外側から包み込む様に仄青い光が包み込んだのだった。

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