神代の龍

 扉のすぐ向う側は大きな空間、つまり巨大な部屋となっていた。

 大きさを揃えられた自然石が敷き詰められた造りの部屋はその広さも相まって、二人は妙に肌寒い印象を受けていた。

 部屋の奥には異常に大きなかなえが備えられ威容を醸し出しており、それが嫌でも視界に入った二人は部屋の中央付近で歩みを止め見入ってしまった。


「……長いっ!」


 その時、部屋を震わす程の大声がどこからか発せられ、アムルとカレンの体が飛び上がった。

 腹の底にまで響きそうなその声音には、強い力と少なくない怒気が含まれている。

 それと同時に、まるでそう仕掛けられていたかのように、壁に備え付けられている燭台すべてに火が点る。

 そして最後には、鼎にも点火し巨大な炎を吹き出し始めたのだ。

 その演出に驚きながらも、周囲を見回し声の発生源を探す2人は、鎮座する鼎の奥から大きな人影が現れたのに気付いた。

 一目見て大柄だと分かる人影は、それだけでアムルとカレンに威圧感を与えていた。


「長いわ―――っ!」


 再び上げた人影の咆哮を直接受けて、アムルとカレンはまるで強風でも受けたかの様に腕を翳してそれを凌いだのだった。




 その人影は鼎の前まで出て来ると、両腕を組んで仁王立ちの様に2人の前へと立った。

 その体躯は二メートルを超えた大男であり、腰まである長い頭髪は彼の怒りを体現している様に赤く猛々しい。

 身に付けている物が袖のない肌着に膝上までしか裾がないズボンと言う軽装であったが、それだけに彼の鍛え上げられている隆々とした筋肉が浮き彫りとなっており、赤銅色にも見える肌色も伴ってまるで金属の様に見える。

 端正な彫りの深い顔に浮かぶ双眸には自信に満ちた深紅の瞳が湛えられており、それがアムルとカレンを捉えて逃がさなかった。

 その余りに好戦的で挑発的な視線を受けて、2人は知れず戦いの構えを取っていた。


「……この部屋に居れば、いずれは腕のたつ戦士が来るとの話に待つ事、千数百年……。魔王の甘言に乗ってこの地に赴きこの部屋を守護しておれば、一向に訪れぬ強き者……。流石に俺も痺れを切らせていた処だったが……」


 まるで思い出語りの様に突然目を瞑り話し出した大男は、何やら感慨にふけっている様だった。

 眼前の巨人が取る動向の意味が図れず、アムルもカレンも大男の話をただ聞くしか出来なかった。


「……しかしっ! 待った甲斐があったと言うものだっ! 今日この日に、強者が二人もここへ訪れたのだからな―――っ!」


 カッと目を見開きそう告げた大男の声音には、先程よりも強い威圧が込められていた。

 しかもそこに含まれていたのは、怒気では無く喜気。

 今、この時が嬉しくて堪らないと言ったものであった。

 だがその声音を向けられるアムルとカレンにしてみれば感じられる威圧は同じであり、強大な圧力をその男から受けていたのだった。


「あ……あんたっ! な、何者なのっ!?」


 ただ声を受けるだけでも守勢に回ればダメージが蓄積しそうであり、カレンは口を開いてそう反問した。


「俺が名はマロールッ! 古よりこの世界に息づく龍族が一体っ!」


 全身から自信を滲ませて、カレンの問いかけにマロールが堂々と答えた。

 そしてカレンはその答えを聞いて僅かに黙考した後、大きく驚いた表情を浮かべた。


「マ……マロールですって!? 龍族でマロールって言ったら、創世神話に出て来る“悪龍”の名前じゃないのっ!?」


 カレンの言葉でアムルも何かに思い至ったのか、驚きの表情でマロールを見た。

 しかし、当のマロールはその言葉を受けても微動だにした様子はなく、ただ瞳を閉じて彼女の言葉に聞き入っていた。

 

 創世神話とはその名の通り、「この世界」を作り上げた神々に纏わる神話である。

 その神話は人界にも、そして魔界にも言い伝えとして今も語り継がれている。

 そして神に近しい力を以て世界を席巻した古龍の名は、伝承内容に違いはあれど、轟いていたのだった。

 その神話に謳われし古龍が、アムルとカレンの目の前に立ちはだかっているのだ。


「……そんな昔の事は既に忘れたわっ! 今、俺が興味を抱いているのはお前達だっ!」


 マロールの言葉は、カレンの指摘が的を射ていた事を示していた。

 だがその事にマロールが執着した様子はなく、彼の言う千数百年ぶりの“獲物”を前にギラついたその瞳を2人へと向けていたのだ。

 そして更に気勢の上がる声を向けられ、一瞬カレンもアムルでさえ怯んでしまった。


「行っくぞ―――っ!」


 その間隙をついて、マロールがカレン達の元へと飛び掛かった。

 その速度は、僅かに気を抜いただけで見失ってしまいそうなほど早く鋭い。

 マロールは狙いをカレンに付けたのか、一直線に彼女の元へと進んで行く。

 完全に虚を突かれていたカレンは僅かに態勢が整わず、タイミング的にマロールの攻撃を防げそうになかったのだが。

 カレンへと付きだしたマロールの拳は不可視の壁にぶつかり止められ、そのまませめぎ合いを続ける事となった。

 瞬時にアムルの築いた魔法障壁が、辛くもマロールの攻撃からカレンを守ったのだ。


 「……小僧……お主もやるではないか……」


 魔法に依る防御障壁に拳を押し当てながら、マロールは不敵な笑みを浮かべてアムルの方を見やった。

 しかしマロールは攻撃目標をアムルに変更する訳でも無く、そのまま防御障壁へと攻撃を続けだしたのだ。

 本来ならば攻撃の圧力と防御障壁の起こす反発力で、実体攻撃を仕掛けた者は跳ね飛ばされる魔法障壁だが、マロールにはその様な常識が通用しない様だった。

 ただ力任せに魔法障壁を食い破ろうと攻撃を続けている。

 強力なその一撃で、詠唱もなく作り出した障壁は薄氷のごとく砕かれてしまった。

 そしてアムルは、障壁が砕け散ったそばから即座に新たな障壁を作り出す。

 わずかな間、マロールの振るう拳と、その攻撃に砕かれながらもアムルは新たな障壁を作り続けるという攻防が展開されていたのだが。


「カレ―――ンッ! しっかりしろ―――っ!」


 魔法障壁とマロールの拳が起こすせめぎ合いは、このまま長引けばマロールに軍配が上がりそうな勢いであった。

 詠唱なしとは言え、強度も低く一撃で粉砕される魔法ではマロールの連打の前に長く持たないと感じたアムルが、大きくカレンへと叫び掛ける。

 その声にカレンの身体は飛び跳ねて反応し、殆ど条件反射で盾を構え抜刀して戦闘態勢を取った。


「……ア……アムル……?」


 剣と盾を構えはしたが、未だに呆けたカレンが彼の方へと顔を向けアムルの名を口にする。


「カレンッ! お前、仲間と再会すんだろがっ! こんな所で呆けてどうすんだよっ!」


 殆ど怒鳴る様に掛けられたアムルの言葉、そして仲間との再会を兼ね合いに出されて、カレンの瞳にはみるみる光が蘇っていった。


「わ……分かってるわよっ! ちょ……ちょっと油断しただけよっ!」


 売り言葉に買い言葉ではないが、アムルの激で意識の手綱を再び握り直したカレンが勝気にそう言い放ち、即座にその場からアムルの方へと大きく跳躍し退避する。

 カレンの行動と殆ど同時に魔法障壁群が突破され、先程まで彼女が立っていた場所にマロールの拳が着弾し、強力な炸裂魔法と見紛う爆発を引き起こした。


「……でも……ちょっとだけ……ありがと……」


 爆発の余波が岩弾となってアムル達を襲い、それを防ぐ為にアムルは再び防御障壁を張って凌いだ。


「あ―――っ!? 何か言ったか―――っ!?」


 魔法を駆使しているアムルの横で、カレンは彼に聞こえるか怪しい程の小声でそう呟いたが、その声は魔法障壁と岩弾がぶつかって発生する衝突音にかき消されてアムルには彼女が何を言ったのか全く分からなかった。


「な……なんでもない……何でもないわよっ! それより一緒にこいつを何とかするわよっ!」


 自分の発言が急に恥ずかしくなったのか、カレンは慌ててアムルの言葉にそう答えた。


「来いっ! 全力で来いっ! 全てを懸けて挑んで来いっ!」


 仕切り直し、体勢を立て直したアムル達を満足そうな笑顔で見つめるマロールは、その顔を更なる凶悪な笑みに変えて2人にそう叫んだのだった。

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