絶望の勇者達

「カレン―――ッ! カ―――レ―――ン―――ッ!」


 マーニャが、カレンの落ちた穴へ向けて大声を上げている。

 しかし当然とでも言おうか、暗闇で底も伺う事の出来ない深淵からカレンがその声に応えるような事はなく。

 彼女達の目の前で崩れ去った床が瞬く間に再生され、数秒後には何事も無かったかのように元通りとなったのだった。

 呆然自失となったマーニャ達であったが、幸いだったのは先程の戦闘で周囲の魔獣を駆逐する事に成功したのか、項垂れる彼女達に襲い掛かる影は無かった。

 跪き、もう亀裂の跡さえ見止められない床に眼を落とすマーニャとエレーナ。

 そしてそんな彼女達の背後に、何とも渋い顔をしたブラハムが近づき無言で同じく床へと視線を落とした……のだが。


「……おい!」


 そんな彼が、感傷に浸る事は無かった。

 それは彼が、この場の誰よりも薄情で冷血漢である……と言う訳では無く。


「……ブラハム……? ……っ!? 一体……何時から……!?」


 ブラハムの声音に違和感を覚えたマーニャは、顔を上げて彼に質問を投げ掛けようとしてその理由を察し絶句してしまった。


「あんな所に―――人なんていましたか―――?」


 エレーナにしてもどうにも間延びして緊迫感を欠く物言いだが、その表情は緊張感がMAXと言った処だ。

 そして。

 3人共同じ方向……カレンが呑み込まれた廊下の更に先を見据えていた。


 そこには……初老の男性……見紛う事無い執事が、姿勢正しく立っていたのだ。


 この場所が魔王の住処とは言え城である事を考えれば、執事の1人や2人いても全くおかしな話ではない。

 問題なのはその執事がそこに現れるまで、この場の誰もその接近に気付かなかった点にあった。


 人が動けば、気配を発する。それは、万物に共通する事象だ。

 呼吸、体温、血流、思考、感情は言うに及ばず、衣擦れ、足音、空気の揺らぎ……。

 およそ人が存在知れば、その事実はこの世界に影響を与える……それが気配だ。

 そして中にはその気配を抑え、鎮め、偽る技術に長けた者もおり、その技能を活かした職に就いている者も多い。

 常人であれば、そう言った気配を隠せる者達の動きを探るのは至難だ。

 だがここにいるのは、人界でも屈指の実力者たちである。

 こと戦闘においては言うに及ばず、荒事や揉め事においても様々な経験と高い技術でそれ等を治めて来た猛者たちなのだ。

 マーニャ達が相対して来た中には盗賊を生業としている者たちや、暗殺者集団といったものまであった。

 彼等は気配を消す事を得意としており、闇に溶け込み背後を取り命を狙う輩もいた。

 マーニャ、エレーナ、ブラハムはそう言った者たちを退けて、今この場に立っているのだ。

 そんなマーニャ達が、目の前の執事が接近する気配すら気付けなかったのである。

 彼女達が驚愕とするのも、仕方の無い事であった。




「おめぇは……何者なにもんだ?」


 注意深く眼前の人物を探りながら、ブラハムがそう質問を投げ掛けた。

 勿論、返答など期待していた訳では無い。

 これはただ単に時間稼ぎであり、自分も含めてマーニャやエレーナが心理的に落ち着きを取り戻すためのものでもあったのだが。


「私はバトラキールと申します。魔王様にお仕えしておりまする第一執事を務めさせて頂いておりますれば、どうぞお見知りおきを」


 彼の予想に反して、目の前の執事は恭しく頭を下げて丁寧にそう自己紹介したのだった。

 その動きはどこか客を迎える動作に似ており、頭を下げた彼はどうにも隙だらけである。

 そしてブラハムが、そんなチャンスを逃す筈も無かった。

 彼は音も無く声も出さず、かなりの距離をその身に似合わぬ驚くべき速度で、正しく一足飛びで距離を詰めてその執事に斬りかかった。

 不意打ちとしてはこれ以上なく、完璧と言って良い奇襲である。

 これを卑怯……などと、甘い事を言ってはいけない。

 例えその執事が律儀に返答していたのだとしても、此処は魔王城でありブラハム達にとっては敵地なのだ。

 敵の本拠地に於いて、自分達以外の人物が味方である筈はない。

 と言うよりも、味方では無いと言う考えで動かなければいずれは寝首を搔かれるのだろうが。


「……っ!?」


 手に持つ愛斧を横に薙いだ姿勢のまま、ブラハムは動きを止めて固まり絶句していた。


「……うそ」


「あのタイミングで―――……躱したのですか―――……!?」


 比喩でも無く目にも止まらぬ動きで接敵したブラハムの一撃は、それを上回っていたのであろうバトラキールの姿さえ霞む回避に虚しく宙を斬ったのだった。

 当のバトラキールは、先程と何ら変わらない姿勢のままブラハムとの距離を大きくとって佇んでいた。


「……化け物かよ……」


 嫌な汗を額に浮かべて、ブラハムはそう口にするだけで精一杯だった。

 そしてそれは、彼の後方で成り行きを窺っていたマーニャとエレーナも同感であった。

 ブラハムは人界随一の戦士だ。

 それは万人が……彼の所属する王国のみならず、人界に住む全ての民が認める処なのだ。

 その理由とは。


「驚くべき剣技ですな。流石はブラハム殿と言った処でしょうか」


 何も声を発しないブラハムたちに、バトラキールがゆっくりと、そして先程と何ら変わらない声音でそう口にした。

 もっとも。


「てめぇ……。その攻撃を躱しておいて、嫌味にしか聞こえねぇっての」


 賞賛している本人が、彼の攻撃をいともアッサリと回避して見せたのだ。

 これでは、ブラハムの言った様にバトラキールが彼を嘲っていると思われても仕方がない。


「これは大変失礼を。その様な考えなど決して……」


 ブラハムの言に謝罪を告げようとしたバトラキールであったが、それを最後まで言う事が……言わせてもらう事が出来なかった。

 何故なら。


「ぉぉぉおおおおおっ!」


 何処からともなく、低い……それでいて大声量と思われる声が響き渡って来たからだ。

 その声は最初こそ小さかったものの、徐々に大きくなり。


「……うおっ!?」


「おおおおおっ!」


 突如ブラハムの右側面にある壁が弾け飛び、そこから声の主が飛び出して来たのだ。

 驚きながらも即座に対応したブラハムは神速と言って良い反応で持っていた戦斧を構え、振り下ろされて来た戦鉾グレイブの強力な一撃を受け止めていた。


「……ふぅ。いつも言っているでしょう、リィツアーノ? 奇襲をかけるなら、雄叫びを上げては意味が無いと」


 ブラハムと猛烈な鍔迫り合いを行う戦士をみて、バトラキールは眉間に指を当てながら首を横に振ってそう零していた。

 壁を爆砕して現れたのは、巨漢と言って差し支えないブラハムよりも更に大柄な、如何にもパワーファイターと言った戦士だ。

 そして彼はバトラキールと違い、どう見ても……魔族だった。

 そして彼こそが魔王親衛隊長であるところのリィツアーノであったのだ。


「ふふふ……ふぁ―――っはっはっはっ! いいぞっ! 流石は『赤の勇者』だっ! 俺の一撃を受け止めたぞっ!」


 リィツアーノは、ブラハムを見て歓喜し大声で笑っていた。

 そしてそのセリフを聞いたブラハムは……そしてマーニャとエレーナも、少なくない動揺を覚えていた。


「こいつら……なんでそれを知っているの?」


「存じておりますとも。『黒の勇者』マーニャ様に、『青の勇者』エレーナ様」


 思わず零れたマーニャの疑問に答えたのは、いつの間にか彼女達の背後に立っていたバトラキールだった。

 ビクリと肩を震わせた2人は、慌てて彼の方へと向き直る。


「つい先日まで、人界には魔界の拠点があったのです。人界の情報も、少なからず入ってきておりますれば」


 そう答えながら、老執事はまたもや恭しく腰を折った。

 彼の言葉に偽りがない事を、マーニャ達は沈黙を以て答えてしまっていた。


「……ですが、まさか『勇者の中の勇者ブレイズ・オブ・ブレイバー』で在られる所の『神色の勇者カラード』であるあなた方がこの魔界に投入されるとは……。人界は、短期決戦を望まれているのでしょうか? それとも、選ぶほど人材がいない……と言う事なのでしょうか?」


 口ひげを整える様に軽く摘まみながら、バトラキールは自身の考えをつらつらと述べて行く。

 それに対してマーニャとエレーナには、何ら口を挿めないでいたのだがそれも仕方の無い事であった。


 彼の言っている事が、そのどちらもほぼ間違い無いのだから。


 その問いに答える代わりに、彼女達は別の行動を開始していたのだった。

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