魔王城の猛攻

 三人が見上げる魔王城、その先には青く広がる空が広がっている。

 魔王城を取り囲む様に先の鋭い頂を持つ山脈が連なっており、それが天険の要害として魔王城を外敵より守ってはいるものの、それ自体に禍々しい感じはない。


「そう……そうよね……。ここって……魔界なのよね……」


 特に何かに思い至った訳では無いだろうが、カレンはポツリとそう零していた。

 剣山に至る裾野には緑の草原が広がっており、広大な野原を心地よい風がそよいでいた。

 そのおおよそが、彼女達の緊張感を削いでいた事は否めなかった。

 この風景は、彼女達の知る人界と何ら変わるものではないのだ。


 彼女達の“知る”魔界は、血のように紅い空が広がり太陽など無く、死の海と、毒の沼と、炎の河が流れており、朽ちた大地が何処までも広がっていると言うものだった。

 そこは到底「人」の住める世界ではなく、暮らせるのは「魔界の王」に寵愛を受けた悪しき存在だけであり、危険な魔物と、凶悪な幻獣と、醜悪な魔族だけの筈であった。


 だが彼女達が乗り込んできた世界は、自分達の暮らす世界と何ら変わりのない風景が続いており、僅かに垣間見たそこに暮らす魔族の生活も殆ど同じ様式であった。

 それどころかこの魔界には、種族間で小さな諍いはあったとしても大きな戦乱と呼べるものは無く、この世界の住人達は概ね平和に暮らしていたのだ。

 それに比べれば人界には戦がそこかしこで繰り広げられ、平民は飢餓と疫病に苛まれているのに対して、一部の特権貴族達は我が世の春を謳歌している。

 戦争は国家間に留まらず宗教間での争いも顕著となっており、もはや即座の収拾など望めない程であった。

 それでも束の間とは言え戦乱が治まっているのは、偏に魔族の存在が要因となっていた。

 戦火で荒らされた諸国の大地に対して、“異界門トロン・ゲート”が出現して間もなく魔族に支配された地域の土地は手付かずであり、:広大で肥沃な地が未だに多く残っていたのだ。

 当初はその地の奪還を謳って、勇者のパーティが結成された。

 無数に蔓延るとても人界の生き物と思えない異形の魔獣と、異界門に程近い場所に城塞を築城しそこに居座っていた魔族を彼女たち勇者パーティは討伐し駆逐した。

 実に1700年ぶりに人類は魔族に奪われていた土地を奪い返し、人界より魔族を排除する事に成功したのだった。


 ―――しかし、勇者たちの戦いはそれで終わりとはならなかった……。


 一度の勝利は、二度三度とその高揚感を求めるものである。

 長きに渡る戦乱で鬱屈うっくつしていた人々は、胸のすく様なその吉報に湧き立った。

 勇者達を褒め称え、彼女等を派遣した王国連合に賞賛の嵐を浴びせたのだ。

 それに気を良くした王族達は、勇者一行に更なる指令を下した。


 それが魔界への侵攻である。


 魔族を悪と断じる人界の教えから世界各国の宗教がそれを支持し、それにより殆どの人々が魔族と、その魔族を統べる魔王の討伐を望んだのだ。

 王命とあっては逆らう事も出来ず、半ば強制的に魔界へ向かい魔王を討伐する様に任命されたカレン達は、魔界に徘徊する魔獣の屈強さに辟易しながらも何とか魔王城へと辿り着いたのだった。

 だがここに至って、彼女達の胸中には疑問が湧き上がっていた。


 ―――本当に魔族は「悪」なのだろうか?


 しかしその事を、僅かに魔界を見聞きしただけの彼女達が評ずる訳にもいかない。

 今、目の前の現状がどうあれ、魔族が人界の一部を支配し続けていたのは間違いのない事であった。

 人界に居座っていた魔族の子孫は間違いなく悪辣あくらつであったし、「悪」と断じるのに不足の無い存在であった。

 彼女達がこちらで見た魔族達はそうでないにしろ、彼等を支配する魔王は醜悪な輩に違いない。

 今の彼女達は、少なくともカレンはそう思うしか出来なかったのだ。




「それじゃ―――……行こっかっ!」


 魔王城を見上げながら流れていた無言の時間に終止符を打ったのは、カレンの殊更に明るく決意の籠った言葉だった。

 他の三人がカレンに目を向ける。

 彼女達が見たカレンは気負いも恐れも無く、ただ自信に満ち溢れた笑顔を湛えていた。


「……そうだな、行くか」


 ブラハムが、手に持つ両手斧を握り直しそう告げた。

 見るからに重量のあるその斧も、彼が持っていると随分軽そうに見えるから不思議である。


「そうですね―――。行きましょうか―――」


 ブラハムに続き、エレーナもそう答えた。

 彼女の表情はいつもの通りにこやかに微笑んでおり、まるでこれから買い物にでも出かけるかのように自然体であった。


「しょうがないねぇ……さっさと終わらせましょうか」


 紅い髪をなびかせて、マーニャがそれに続いた。

 彼女の言葉は何処かやる気がなく面倒臭そうに聞こえるものの、その瞳には十分すぎる程の気合いが込められていた。

 他のメンバーから同意を得ると、カレンは目の前の両開き式となっている門に手を掛けた。

 やや大きめの鉄製で作られたアーチ形の城門は、丁度カレンを縦に二人並べたほどの高さであり、横幅も人が五人並んで入れる程しかない。

 城の規模から考えて随分と小さい門であったが、城の向きや方角から考えて裏門であるだろうと彼女達は憶測していた。

 そして、正面から堂々と……などと無益な事に頓着しない一行であったからこそ、わざわざ裏側に周ったとも言える。

 カレンが僅かに力を入れると、驚く程すんなりと門は左右に開き彼女達を迎え入れた。

 衛兵も居らず余りにも不用心なさまに、一同は顔を見合わせてしまう程だった。

 だが、ここに至って考え込んでいても仕方のない事である。

 カレンは魔王城攻略に、延いては魔王討伐への第一歩を踏み出し、後のメンバーもそれに続いたのだった。




 魔王城攻略を始めてすぐに、カレン達は苦戦の真っ只中にいた。

 決して弱いとは言えない魔獣の群れによる波状攻撃が、彼女等に休む暇も撤退するタイミングすら与えずにいたのだ。

 勿論、強いと言ってもそこは勇者一行である。

 魔王城下層に蔓延る魔獣程度に、後れを取る者など誰一人としていなかったのは事実だ。

 ただ幾匹倒しても即座に参戦リンクして来る魔獣の群れに、カレン達は消耗を強いられて辟易していたのだった。


「こ……これが魔王城っ!……魔王の……棲み処っ!」


 激しい戦闘を繰り返す最中、カレンは思わずそう口に出していた。




 カレンとて、魔王城での戦闘が決して楽ではないと十分に理解していた……つもりであった。

 だがこうも魔獣が押し寄せて来ては、探索も攻略も儘ならない。

 魔王城周辺は魔法が使えないエリアであったものの城内ではその限りではなく、マーニャもエレーナもフル回転で活躍している。

 しかし休む暇さえ与えられなければ、いずれ彼女達の魔力や神聖力は枯渇してしまうだろう。

 そしてそれこそが、この魔王城における最大の罠なのかもしれないとカレンは考えていた。


「おいっ、カレンッ! このままじゃあ、こっちが先にまいっちまうぞっ! ここは一旦退いて体勢を立て直すべきだっ!」


 常に最前列で敵に己が身を晒し、近づいて来る魔獣を次々に屠って来たブラハムであったが、さしもの彼ですら魔獣に依る止む事のない連続攻撃には参ってしまったのだろう、この旅が始まって恐らく初めて彼が弱音と思しき事を口にした。

 だが、それを気弱な台詞だとはとても言い切る事など出来ない。

 何故ならば、カレンもそう考えていたからだった。

 彼女が周囲を見渡せば、マーニャとエレーナも同意の意を示して頷いている。

 僅かな逡巡の間にも後続の魔獣が押し寄せて来るのが見え、最早迷っている場合ではないとカレンも悟ったのだった。


「……わかったっ! それじゃあ、殿しんがりは私がっ! みんなは血路を開いてっ!」


 パーティリーダーの指示に、他のメンバーは無言で頷き態勢を整える。

 魔獣の攻撃に翻弄された彼女達は、意図せず魔王城下層の奥へと入り込んでおり、簡単に魔王城外に脱出する事は叶わない。

 それでもこれまでに来た道を引き返す……この英断を実行する為ブラハム、マーニャ、エレーナはカレンの向く方向とは逆の敵を駆逐しだしたのだった。


 撤退方向の通路に蔓延はびこっている魔獣を全力で駆逐するブラハムとマーニャ、エレーナ。

 彼女達が血路を開いている間、たった一人カレンは反対方向より迫る魔獣の襲撃を食い止めていた。

 舞うように剣を振るうカレンの動きは美しく、そして全くと言って良いほど無駄がない。

 彼女がフワリと動くたびに、幾匹かの魔獣がチリとなって消え失せる。


「いいわよっ! カレンッ!」


 活路を開き魔獣の波状攻撃を食い止めるカレンから大きく距離を取った三人から、準備の完了した声が彼女へと掛けられた。

 それを背中越しに確認し、カレンはいよいよ撤退の最終段階を発動した。


「これでも―――……食らいなさいっ!」


 右手に魔力を溜めたカレンが気合い一閃、それを地面へと叩きつけると、その場所から凄まじい爆発と閃光が巻き起こった。

 爆発に巻き込まれた魔獣が消え去り、爆発を回避した魔獣もその爆風で大きく後方へと吹き飛ばされる。

 そしてそれと同時に、周囲を目も眩む閃光が覆いつくしカレン達の姿を光の中へと覆い隠してしまった。

 これは、彼女達の得意とする逃走手段。

 攻撃を加えつつ目眩ましを行い、敵の出足を挫きながら安全かつ確実に逃走するいつもの方法でもあった。

 だがここで、が発生した。

 爆発を発生させた足元の地面にヒビが入り、瞬く間に大きな口を開けてカレンを呑み込んだのだ。


「……へ?」


 目の前に起こった異変。そして、それに伴う結末を瞬時に想像したカレンの口から、何とも間抜けな語句が洩れ出していた。

 それは、先程まで勇猛果敢に戦っていた彼女からはどうにも連想し難い顔と声でもある。


「ちょっ……きゃっ……きゃ―――っ! 飛行フリーゲンっ! 飛行―――っ! って、何で飛べないのよ―――っ!?」


「ちょっ……! カレンッ! カレン―――ッ!」


 回避する余地すらないほどの速度で廊下は崩れ去り、その只中にいたカレンは成す術もなく深い穴へと呑み込まれ、仲間達の掛ける声も虚しくカレンの姿は深淵の暗闇へと消えて行ったのだった。

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