遭遇の理由

「……エレーナ。何秒でも良いから、兎に角時間を作って」


「あら―――? 魔女のあなたが、聖職者たる私に願い事ですの―――?」


 2人は小声で話す事も無く、いつもの掛け合いを行っていた。

 今更目の前のバトラキールを相手に、姑息な戦法など通用しないと悟ってしまっていたからだ。

 それに後方では、いつの間にかブラハムとリィツアーノとで戦闘が始まっていた。

 どの様な結果になるにしろ、もはや退路は断たれたと言って過言では無いのだ。

 そして、そんな2人のやり取りを耳にしても、バトラキールの方に動きは見えない。

 マーニャはエレーナの明確な回答を待つ事無く、彼女に強化魔法をかけて行った。


「いい? 出来るだけ時間を稼いで。それから私が呪文を唱え終えたら、最大魔力で防御しなさいよ。あんた、性格は兎も角防御魔法は一級品なんだから」


 褒めているのか貶しているのか……恐らくは最大の賛辞なのだろうが、マーニャはそれだけを言うとやはりエレーナの返事を待つ事なく目を瞑り集中を開始した。


「仕方ありませんね―――。数秒も持ちませんので、出来るだけ早くお願いしますね―――」


 何か言いかけたエレーナであったが、いつになく真剣なマーニャの姿を見てしまっては、普段のお道化た対応など出来よう筈も無い。

 聞こえているのかどうなのか、マーニャにそう返したエレーナが自身に防御・強化魔法をかけた後に手にした錫杖を構える。

 僧院の出自であるエレーナだが、そこでは護身用として戦闘術も教えられており、エレーナも見た目通りにか弱い女性では無いのだ。


「はあああぁぁ―――っ!」


 様々な強化魔法のお蔭で、今のエレーナは並の戦士を遥かに凌駕した戦闘力を身に付けている。

 堂に入った構えから、エレーナが気合を込めてバトラキールへと向かって行った。

 振り下ろされた錫杖の一撃を、彼は今度は躱さずに片手で受け止めてみせる。

 放った攻撃の勢いで周囲の砂塵が舞い上がる程であったにも関わらず、その衝撃がバトラキールに僅かの揺らぎすら齎さなかった。

 もっとも、その様な結果になる事をエレーナは何となく察していた。

 そして、それさえも彼女にとっては織り込み済みであったのだ。

 何故なら、エレーナの役目は兎に角時間を稼ぐ事。それは1秒でも2秒でも良いのだ。

 武器が止められている……と言う事は、バトラキールもまた動きを止めていると言う事。

 それだけで、時間稼ぎの役目を熟していると言って良かったのだ。


 そして、その役目も果たす事となる。


「いっくわよぉぉ―――っ!」


 それがマーニャの合図であった。

 自身の前方に両手を翳したマーニャは、そこに巨大な火球を作り上げていた。

 見るからに計り知れない威力を持つその炎塊を、マーニャはそのままバトラキールへと向けて放ったのだった。

 それを見たエレーナは自らに防御魔法を展開してその時に備えつつ、手にした錫杖に更なる力を加えた。

 言うまでもなくそれは、老執事を逃すまいと言う意図のよるものであり。

 そして目標地点に到達した炎の塊は、そのまま2人の影を呑み込み大爆発を起こして周辺を火の海に変えたのだ。

 広いと言えない城の廊下で巻き起こった大炎上は周囲の壁と言わず天井と言わず床と言わず、魔王城を崩壊せしめるのではないかと言う程の破壊を見せ、その余波はマーニャは勿論、更に後方で戦っていたブラハムとリィツアーノの元まで達していた。


「おおっ! 流石は勇者っ! やるではないかっ!」


 戦う手を止めて手を翳し目を眇めてその余波を受けていたリィツアーノは、思わずそう口にしていた。

 戦いの場においては明らかに隙だらけなのだが、ブラハムもまた戦闘を継続する様な事はしなかった。

 一つは、間違いなくマーニャとエレーナの事が心配であったからに他ならない。

 もう一つの理由として、このマーニャの魔法で何ら打開策が見られない様ならば、打つ手がないと判断していたからだった。

 そしてそうなれば、己の身を犠牲にしてでも2人を逃がさなければとも考えていたのだ。

 長い旅を経て、いつの間にかブラハムは彼女達の「お兄さん」的な気持ちを抱いていたのだった。

 もっとも、彼女達にしてみれば「口煩いおじさん」だったのだが。


 閑話休題。


「流石は『黒の勇者』様です。その歳にしてその才……。しかも、更に伸びしろがあるとお見受けいたしました」


 結論を言えば、マーニャ渾身の魔法はバトラキールには当たらなかった。

 エレーナが彼を引き付け、更には自らがマーニャの魔法を身に受けると言う捨て身の攻撃だったにも関わらず、その魔法攻撃でさえバトラキールは躱して見せたのだった。

 そして今彼は、力を使い果たして床に腰を落としているマーニャの隣に佇んでいた。


「そして『青の勇者』様も、それは同様でございます。よもやあの攻撃魔法を防ぎきる程の防御魔法をお持ちとは。このバトラキール、あなた方には感服いたしましたぞ」


 彼の言葉はマーニャと、そして爆心地となった場所で噴煙の中に浮かび上がる人影に向けて発せられたものだった。

 マーニャの魔法の直撃を受けた形となったエレーナは、自身が展開した防御魔法で辛くも耐える事に成功していたが、やはりこちらも精魂尽き果てて座り込んでいた。


「は……はは……。あんた……速過ぎ……」


 喋る事も億劫といったマーニャが、それでも呆気にとられた声でそう返答し。


「ま……まったく―――……。私が囮となったと言うのに―――……仕留めそこなうとは―――……」


 そして息も絶え絶えに、やはり呆れた様な声でエレーナもそう悪態をついていた。

 もっともそれはバトラキールにではなくマーニャに向けてとも取れる言葉だったが、勿論本当に責めている訳では無い。

 2人が唖然としてしまう程、バトラキールの動きが尋常では無かったのだ。

 そしてその雰囲気は、戦う事を諦めてしまっている様でもあった。

 ただし、絶望に打ちひしがれて生きる事を放棄した様な悲壮感はない。

 双方の表情には、寧ろいっそ清々しいほどに疲労困憊ながら満足気な笑顔が浮かんでいる。


「おほめに預かり、光栄に御座います」


 ニッコリと微笑んだ老執事は、やはり優雅な仕草で腰を折り謝意を示した。

 彼の恐るべきところは、現れてから今に至るまで全く戦闘に伴う気配を発していない処であった。

 故に今彼が返した返答も、2人には取って付けた様なものとは感じられず至極自然な動きに思われたのだ。

 だからこそ恐ろしいと言えるのだが。


「あ―――あ。負けだ負け。俺達は負けだ」


 マーニャとエレーナが諸手を上げて戦闘を放棄した姿を見たブラハムもまた、持っていた戦斧を床に放り出してそう宣言した。

 彼一人で魔族2人を相手取って勝てるとは考えていなかったであろうし、それ以前に目の前のリィツアーノ1人でさえ抑え込めるとは思えなかったからだ。


「なんでぇ、なんでぇ! もう終わりかよ!」


 それに異議を唱えたのは、誰あろうリィツアーノであった。

 彼の表情には怒りも憎しみも無く、ただ単に残念だと言う気持ちのみが浮かび上がっている。


「……ふう。リィツアーノ……我等の目的を、よもや忘れた訳では無いでしょうね?」


 戦闘狂然としたリィツアーノの態度と言葉に、バトラキールが呆れた様な台詞と視線を投げ掛け、それを受けたリィツアーノはギョッとして身をすくめた。


「も……勿論だ! 俺達は、魔王様を探しに来たんだからな!」


 焦った顔をしてそう答えるリィツアーノに、老執事は大きな溜息を付いて俯くしかなかった。


「ま……魔王? え……? 私達って、待ち伏せを受けていた訳じゃ無かった……の?」


 マーニャは勿論、エレーナにブラハムでさえ、ここまでの展開は魔族側が仕組んだ罠だと思っていた。

 侵入した勇者一行に対して罠を仕掛け戦力の分断を図り、その上で残った勇者達を抹殺する。

 彼女達はそう考えていたし、事実そう思われても仕方の無い流れであり、マーニャ達がまんまとその策に陥れられたと思っても仕方の無い事だったのだ。


「実は……私共があなた方と遭遇したのは、本当に偶然なのです。我々は、恐らくはこの魔王城を彷徨っていると思われます……魔王様を追い求めてここまで来たのですから」


 観念したと言った風情のバトラキールが、それでも然して隠そうともせずにその目的を口にした。


「な……何だと!?」


「ま……魔王が……?」


「行方不明―――なんですか―――!?」


 そしてこの発言に、勇者達は驚きの余り絶句を余儀なくされたのだった。

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