早朝の魔王城にて

 魔王が魔王城を攻略する理由は他にもある。

 そして、魔王が魔王城最上層「魔王の間」に向かう方法は、他にも存在した。

 それが……やはり「万能魔道具 伝魔鏡」の存在であった。


 伝魔鏡とは単に城内の魔獣を生み出す物だけではなく、また単なる通信装置にも留まらない。

 人員や物資の輸送、多方面からの戦況報告に指示、この魔王城の機能管理とその用途は多岐にわたる。

 城内に徘徊する魔獣のコントロールもこれで行い、遠からず攻めて来るであろう勇者一行に対応した指示もこれで行う。

 行政、防衛の観点で無くてはならないアイテムであり、これを操作出来るのは魔王だけである。

 その為、魔王は常に「魔王の間」へのだ。


 魔界に無くてはならないアイテム「伝魔鏡」は、実は魔界に十三面存在している。

 その中で、魔王城の「魔王の間」に備え付けられている物が唯一のオリジナルであり、他の十二面にはない機能が多数設けられていた。

 いわば各地に散らばる十二面の伝魔鏡は、オリジナルのレプリカと言った代物だった。

 しかしレプリカと言えども、その機能は非常に優秀である。

 特に重宝されているのは、先にも述べた通信や人員移動の機能であろう。

 これにより魔王城に勤める者達は、魔王城に住み込む事無く家族と生活を営む事が出来るのだから。

 そしてその事こそが、魔王が魔王城を攻略しなくても良かった理由であり……やはり攻略しなければならない理由ともなる。


 伝魔鏡同士が行き来出来る便利アイテムならば、魔王は他の伝魔鏡より「魔王の間」へ戻れば良いのだ。

 事実、攻略が困難な魔王城を行くよりも、周辺主要都市にある伝魔鏡を求める方が遥かに早く安全確実なのだ。

 魔王の魔力を用いた移動魔法ならば、伝魔鏡の設置してある近隣の都市へは、魔王城を正面から攻略するより遥かに早く辿り着く事は間違いない。

 だがそれにも拘らず、魔王はそうしなかった……いやのだ。

 何故ならば、魔王はこの魔界の地理に疎い……いや、全くと言って良い程知らないのだった。

 魔王の居城たる魔王城の「魔王の間」と、周辺主要都市は伝魔鏡で繋がっている。

 そこから報告を聞くのもそちらへと赴くにしても、全て伝魔鏡を介せば済む話なのであった。

 何もわざわざ地図を手に取りその地の事を調べなくとも、そこを監督している者から報告を聞きその都度指示を出せば良い話であって、わざわざ魔王が出向く事など中々ない話なのだ。

 もし出向く事があったとしても、移動の為に魔王城下層どころか陸路を歩く事も無い。

 当然の事ながら地図をマジマジと見る事も、街が何処にあるのかも知る必要など無かった。

 漠然と方角だけは分かっているが、魔王城からどの方向にどれくらいの距離があるのか。そんな事さえ、魔王は全く知らなかったのだった。

 伝魔鏡により瞬時に移動出来ると言う弊害は、この様なアクシデントでもない限り気付かない事であり。

 街の正確な所在を知らない魔王が一刻も早く魔王の間へと戻る為には、目の前にある魔王城を攻略する以外に手は無かったのだった。




「こ―――んのやろ―――が―――っ!」


 巨大ワニの頭上を取った魔王はそのまま天井を蹴り急降下し、渾身の力を込めたケリを見舞った。


「グブッ!」


 会心の一撃クリティカル・ヒットを喰らったアリゲータは頭蓋を割られ、異様な声を発したかと思うとそのまま霧散して消え果たのだった。


「ふ―――……。手こずらせやがって……」


 戦闘を終えて一息ついた魔王は、大きく息を吐きそう毒づいた。

 どのレベルの魔獣がどの様に配置されているのかなど全く把握していない魔王であったが、たった今戦ったアリゲータが決して低くないレベルだと言う事を痛感していた。

 その強さは、魔王城下層に生息していたどの魔獣よりも高く、それらが群れを成した時よりも手強かったのだ。

 それでも何とか、彼は魔法を使う事無く倒せたことに安堵していた。


「あ―――……こんな事なら、この魔王城の地図や魔界の地理も確りと把握しておくんだったな―――……」


 トボトボと歩みを再開した魔王の足取りは重かった。

 今まで執政に措いて果断を旨とし、どの様な困難にも立ち向かいそのどれにも満足のいく結果を出して来た彼にとって、今回の決断と現在の状況は余りにも大きな失態であると言わざるを得なかった。

 早々に最上階「魔王の間」へと戻るつもりが、何処をどう間違えたのか地下層を歩いているのが現実なのである。

 彼が肩を落としてしまうのも、それはそれで仕方のない事であった。

 

 さて……そもそもの発端である、魔王が魔王城の最上階から一階へと至ったその理由。

 それは……何とも不幸な事故が原因となっていたのだった。




 魔王の朝は早い。

 彼に付き従い、身辺の世話をする執事のバトラキールよりも遥かに早く彼は毎朝目覚めていた。

 もっとも、それ程早く目覚めたからと言って、誰よりも速く魔王城へ出向くと言う様な事を彼はしない。

 そんな事をしてしまっては、他の近従の者たちも早く起きる事を強要されてしまうのだ。

 側近中の側近であるバトラキールは勿論、親衛隊長であるリィツアーノは当然、その他彼の身の回りを世話する多くの者が、魔王の出仕に合わせて動き出す必要が出て来るのだ。

 勿論、その様な事を魔王である彼が望む訳もない。

 だがもしも「必要ない」「ゆっくりとすれば良い」と言った処で、彼の部下達がそれを良しとする訳もないのだ。

 権力を握ると言う事はそう言う事であり、魔王とはそう言った存在なのだから、此ればかりは彼がどの様に言ってもどうしようもない事であった。


 だからなのだろう。


 魔王はどれ程早く目が覚めても、既定の時刻まで魔王城へ出向く事はしない。

 自らの居城でのんびりと時間を潰し、ゆっくりと魔王城へ向かう事を心掛けていた。

 そしてそれを知っている近従の者たちも、特別な理由もなしに早く魔王城に来るような事はしなかったのだった。


 ただ……その日だけは違っていた。


 いつも通り早い時刻に目覚めた魔王は、いつもと違い簡単に朝食を済ませると、誰にも何も告げる事無く魔王城へ出仕したのだった。

 勿論それには、明確な理由があったのだが。




「……ん? あれは……」


 魔王城へと赴いた魔王がまずする事と言えば、私服から公務服へと着替える事だった。

 魔王の公務服は「至高の宝冠」、「王者のマント」、「覇者の杖」である。


 魔界でも強力な魔力を秘めて尚、神秘的な光を放つ宝石を惜しげもなく散りばめた宝冠。

 金糸銀糸に留まらず虹糸までをも使い織られた、極上且つ凄まじい魔力の籠ったマント。

 霊験あらたかな神木を用い、更に呪術的に強力な魔法を内包している杖。


 これらの装備は非常に強力な魔力と特殊能力を備えているものの、この千数百年その機能を発揮する様な事は無く、魔王としてもわざわざ着替える必要性を感じていなかった。……のだが。


「統治者たる者、常に威厳と品格を以て事に当たらねばなりません」


 以前、着替えの不要を訴えた魔王であったが、バトラキールは頑として応じず一蹴されてしまった事があった。

 つまり、「魔王」と言う「職業」を熟す為には、まずは見た目から入らなければならないと言い包められたのだった。

 信頼する執事の言葉とは言え反論したい事は多々あったのだが、彼の言い分にも一理あると認めてしまってはそうもいかない。

 確かに、権威には多分に見た目も大事である。

 特に今代の魔王はその見た目も、そして実年齢でさえ若輩と言って間違いでは無い。

 どれ程魔法力に秀でていようとも、その外見だけで彼をそしる輩が皆無では無いのだ。

 それを少しでも緩和するために、歴代魔王が着用して来た「魔王の装備」を公務の際に身に付けるのは、ある意味で仕方の無い事であった。

 そして今日も魔王は渋々と……面倒臭そうに魔王の装備を身に付けようと更衣室へやって来ていたのだった。

 もっとも、今朝日頃よりも早く魔王城へとやって来たのは、実は公務を行う為では無かったのだが。


 魔王の装備の下に着ているものは、実は別段特別なものではない。

 今日も彼が着ているのは、やや上等なものであっても市販されている下着にシャツ、そしてスラックスと言うラフな出立だった。

 何ともおざなりな恰好ではあるのだが、数千年の間人界と戦闘らしい戦闘が無かったのだ。この程度の弛緩は許容範囲であろう。

 その上からマントを羽織り宝冠を身に付け、杖を持てば「魔王」の完成である。

 



「……あれは……確か……」


 しかし彼は着替える事を中断し、窓に近づいてを良く確認する。

 窓の外に見えるソレは確かに、正に魔王が早朝出仕してまで探そうと思っていたものであった。


「こんな所に引っ掛かっていたのか」


 魔王が窓越しに見たそこには、魔王城中庭から大きく育った樹木が、彼の執務室真下にある更衣室まで枝を伸ばしていた。

 そのままならば不審者の侵入を招きそうだが、魔王の眼前に映っているのは枝葉の先端だけであり、これではどれほど小さい子猫であってもこの窓に飛び移るなど不可能である。

 そして勿論、侵入者が樹を伝って魔王城最上層に侵入する事も無理な話であった。

 しかしその様に細く弱々しい枝であっても、程度ならば引っ掛けて留めておく事が出来る。

 魔王の目の前には、正しくピンク色をした小さいゴムボールが引っ掛かっていたのだ。

 窓な近付きしげしげとそのボールを見つめる魔王は、心の何処かで安堵していた。

 彼はこのボールが、魔王城を出た中庭の何処かに落ちてしまっていると考えていたのだ。

 それほど広大とは言えない中庭ではあるが、その代り多くの樹木が生い茂り小さな森を形成していた。

 そんな中でいかに目立つピンク色だとは言っても、小さなボールを見つけるなど中々に骨の折れる事だと彼は覚悟していたのだ。

 そんな矢先に、目的のものを眼前に見つけたのだ。

 これを僥倖と言わずして何というのだろうか。


 魔王はそんな幸運を噛みしめながら、窓際へと歩を進めたのだった。


 そして……これが……すべての始まりであった……。

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