魔界の王

 落とし穴のトラップに引っ掛かった魔王は、自由落下にて二十数メートルを落とされた。

 強かに地面に叩きつけられた彼の身体の上には、同じく落下して来た無数の……そして巨大な石床であったものが圧し掛かり、その落とし穴の底に小山を築き上げていたのだった。

 飛行魔法フリーゲンで宙に浮く事は勿論、落下の速度を和らげる事が出来ず地面へと激突し、その上に巨大な石塊が無数に降り注いだのだ。

 これでは如何に魔王と言えども、とても無事であるとは思えず最悪の惨事さえ考えられた事だろう。


「……あ―――……ったく……。死ぬかと思ったぞ……」


 だが……無事だった。

 自らの上に圧し掛かる重量のある巨岩を除けながら、まるで大した事でも無かったかのようにそう呟く魔王の身体に目立った損傷は見受けられない。

 もっとも、常人ならば勿論……即死の高さだ。


 魔王は地面に叩きつけられるその直前に防御魔法を展開してその衝撃を和らげ、更には落下して来る岩塊をも防ぎ切ったのだった。

 勿論、そうしたところで全くの無傷とはいかない。

 に容赦のないトラップであったが、それでも魔王は生きている。


 そして、この城をにも、この程度のトラップでは効果が薄いであろう。


「神」に選ばれその加護を受けた者は、鍛えれば肉体は常人のそれを遥かに凌駕する。

 そう言った存在が魔界にも、そして人界にも存在していた。

 それが魔王……そして勇者と呼ばれる存在であった。

 そんな者達ならば、ただ高所から落下してその上に多量の岩塊を見舞われた程度では、その息の根を止める事など出来ないのだ。


「……大いなる魔力を以て、傷つけられた体を元の姿へと戻せ……魔力の癒しマギ・セラピア


 魔王は目を瞑り、小さく呪文を唱えた。

 彼の身体から魔法発動時に良く見られる「魔法光」が発せられ、その効果が具に発揮される。

 魔法の発現により、彼の受けたダメージは小さな傷に至るまで全て消え失せていたのだった。


「……ぷはぁ―――……。しかし、どうも回復系の魔法は苦手だな……」


 大きく息を吐きだし、無事に効果が現れた事に安堵した魔王がそう呟いた。




 魔界の王……魔の王である「魔王」と言うからには、当然彼には力がある。

 常人を遥かに超える体力と膂力りょりょく、そして膨大と言って良い魔力に強力過ぎる魔法力。

 どれをとっても魔界では随一であり、の称号を名乗るのに寸毫の不足も無い。

 しかしこれもまた当然と言って良いだろう、人には得手不得手が存在する。

 全てにおいて高いレベルで力を持つ魔王であるが、そんな彼にも高い適性を示す「クラス」と言うものが存在しているのだ。

 今代の魔王を引き受けた彼は、所謂「魔法型」魔王であった。

 これまでに現れた魔獣をその魔法を使わず、武器も使わずに素手で倒して来たのは、偏にレベル差から来る強さの隔たりと魔力を温存する為であり、魔法を使用した際に起こるであろう魔王城の損傷を鑑みての事だった。

 もっともこの穴に落ちた際の行動は、頭に血が上った魔王の軽挙妄動であったのだが。

 ともかく、彼が魔法を得意とする魔王である事に間違いはなかった。

 だが、そんな彼にもやはり苦手なものはあり、その特筆すべきは「回復、防御魔法」だろう。


 彼は自身を「完全攻撃型の魔法使い」と言うスタンスで納得しており、それを周囲に公言して憚っていなかった。

 実際、先程使用した回復魔法も効果こそ絶大であったが、その発動までにはいささかの時間を要していた。

 高度に洗練された回復系魔法使いならば、彼の用いた半分……いや、その三分の一程度の時間で行使が可能だったに違いないのだ。


「……この壁を登って上へ……ってのは、無理そうだな―――……」


 しかし、今はそんな事に気をもんでいる場合ではなかった。

 彼は一刻も早くこの場から脱出して、「魔王の間」へと戻らなければならない。

 一人呟きながら魔王が見上げた先には、彼が落ちてきた穴が何処から湧いて来たのか新たに作り出された石床にて防がれてゆく様子が見て取れた。

 みるみる石床は復元されてゆき、程なく周囲には暗闇と静寂が訪れる。

 飛んで戻る事も出来ない魔王は諦めた様に人差指を立て、その先端に魔法光を灯し周囲を照らした。

 光を得て周辺を見渡すと、落とし穴から落下した彼が立っている場所は地下層にあるどこかへの通路であるらしく、前方と後方に道が延びている。


「……ったく……。一刻も早く『魔王の間』に戻らなきゃならないってのに……。やっぱ城外で大人しく迎えを待つべきだったな―――……」


 小さく溜息をついた魔王は、後悔を含ませてそう呟いた。




 全く以て今更なのだが、魔王には遮二無二この魔王城を攻略せずとも、その場に留まり気長に救援を待つという選択も取り得たのだ。

 魔王が居なくなったのだ、無闇に動かずその場で待っていれば探しに来ることは疑いようのない事実だった。

 少なくとも彼が信頼する執事であるバトラキール等は、比較的早い段階で気付き行動を起こしてくれていただろう。

 だがそれも今この時に考えてみれば……と言う話であり、当初魔王は一刻も早く戻らなければならないという使命感に突き動かされていた。

 彼には何時来るか分からない救援を、気長にノンビリと待っている訳にはいかない理由と責任があったのだ。


 この魔界は決して平穏と言う訳ではなく、常に諸問題を多く抱えていた。

 部族間問題は勿論、魔獣の出現に対する対応や耕作における干ばつやら水害問題、商業上のトラブルもあればインフラ整備の方策も打ち出さなければならないのだ。

 更に最近では、異界門トロン・ゲートが発見されてより初めて人界の勇者パーティが魔界へと進行して来たという情報も入っていた。

 10日ほど前に飛び込んで来た急報であり、そこから侵入して来たであろう勇者達は間違いなく魔王城へと向かっている筈である。

 幸い、トロンゲートから魔王城までは一月ほど掛かる行程となっている。

 特に緊急を要する問題ではなく、早々にこの魔王城へと辿り着く事は無いと判断されているものの、決して楽観出来る事案ではない。

 刻一刻と変化する状況に、逐一対応して指示を出していかなければならないのだ。

 そう……やるべき事は山積みであり、魔王はのんびりと救助を待つ立場にはないのだ。

 ただ今回、彼の取った手段は悪手であったと認めざるを得なかった。

 結果としては大きく遠回りとなるであろう、地下階層へと叩き落とされてしまったのだから。

 



「……こっちに行くか」


 魔王は然して考える事無く、前方に続いている道へと歩を進めた。

 そこに何か明確な理由があった訳では無い。

 彼がその方向へと足を向けたのは、いわば「何となく」であった。

 その考えは指導者として……統治者としては短絡的で考えなしと言えなくもない。

 彼の進む後に数多の者が付き従い、多くの者の命運がかかっているのだ。

 その様な立場の彼が、何の考えも無く思い付きで行動する様な事は控えた方が良いに決まっている。

 それはこの様な場面でも同様であり、何事も安直に決定する様な事があってはならないと言えた。

 そしてそれは、この城の攻略を決定した事も同様だ。

 冷静に、何が最善なのか確りと考えれば、よもや自ら魔王城を攻略すると言う選択肢など採らなかったに違いない。

 そんなどこか短絡的と言って良い彼ではあるが、それでも皆が彼に付き従って来る。

 まだまだ若輩者ではあれど、若いからこそ公明正大で行動力のある彼は多くの者達から好かれ慕われていたのだった。

 そして彼には、大きな壁にぶつかり行き詰まってもその歩みを止めない意志力があった。


「そりゃあ、ここにもいるよなぁ!」


 魔王が進む通路の先には、彼の灯す魔法光を受けて巨大な影が浮かび上がっていた。

 固い表皮に太く短い四つ足と、長く強靭な尻尾。

 そして何よりも、大きく割けた巨大なあぎと

 自然に生息するそれよりも遥かに巨大なその生物は……「AG―12 アリゲータ」!

 魔王の気配を感じ取ったアリゲータは、それを何かと……誰かと認識する前に行動を起こしていた。つまり……。


 巨大な顎を開き、魔王を食い破らんと襲い掛かって来たのだった!


 そして迫りくるアリゲータに対して彼もまた、戦闘態勢を取って迎え撃ったのだった。

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