第2話

平塚という地名がある

名前の由来は平らな塚に

ある高貴な女性が埋葬されている

というものであったが


源頼朝夫人の北条政子の

安産祈祷を行わせた社寺として

「範隆寺 平塚」とあること

源頼朝が神馬を奉納した神社として

「黒部宮 平塚」があること


東国に下向していた桓武天皇3代の孫

高見王の娘政子が天安元年(857)

2月25日にこの地で没し

そのひつぎを埋めて塚を作ったところ

塚の上が平らであったことから

「平塚の塚」と呼ばれたと


北条時子がペンネームで

平らの時子と名乗ったり

源の頼朝が

墓参りの途中

馬入大橋で足を滑らせ

世をはばかった

などの事から

塚の主は平家のやんごとなきお方では

などと噂された事があった


実際は旧相模川に架かる橋が竣工した際

源頼朝が乗った馬が平家の亡霊に驚いて暴れて川へ落ち

その事件から相模川の下流部分を

馬入川(ばにゅうがわ)と称するようになったそうだが


源氏が佐助稲荷様隠里稲荷様のお告げで

隆盛したわりに

近衛に六波羅など物騒な名前を付け

徘徊させ犬を切り殺して回ったなど

佐助稲荷様

隠里稲荷様

銭洗弁財天様

三柱のお告げで

「清和源氏の棟梁として平家を討て。私は鎌倉に鎮座する稲荷神である」というお告げを得た

命の恩人である

平清盛を討つなど

狐憑きと疑われてもやむなし

ジャンヌダルクじゃあるまいし

平清盛の六波羅にて

などと考えるに

山で会ったのは狐かなど

良くない噂も多かったらしい


一先ず平塚に戻ると

高麗山は高句麗最後の王である寶蔵王の息子

「玄武若光」が立ち寄った場所で

玄武帝当時の高句麗の渡来人たちが

大磯海岸に大挙して上陸したものと伝えられている

高麗神社をへて高麗寺はそして

高来神社へ

徳川家康の神影である東照宮が併せ祀られ

諸大名は参勤交代の折に馬を下りて参詣した神社です

そこそこ重要な場所ではあったようだ

高麗山といえば小田原攻めに

上杉謙信が陣に使った場所であり

上杉といえば飯綱権現の面立てをしており

毘沙門天よりも

飯綱の外法を用いた事が有名で

北条を滅ぼした

何とも数奇な運命だ



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