人喰いの本

十森克彦

第1話

 南京錠からして、すっかりさび付いていた。旧家の蔵とでも言うならまだしも、どう見ても、ただの倉庫である。

「こんなところにお宝なんかあるわけないじゃないか。中身ごとそのまま処分すりゃいいのに、まったく」

 晋也は、せっかくの日曜なのに呼び出された時点で、不機嫌だった。とっとと帰ってジグソーパズルの続きでもやっている方がよっぽど生産的だ。先月亡くなった祖父の遺品の整理を手伝うようにと駆り出された上に、あまつさえ、庭の物置の中を確認するように言われて、くさりきっている。

 その倉庫は、ホームセンターなんかに売っている小さなものとは違って、粗末な造りとはいえ、土台もきちんとある、言わば、庭にある離れのようなものだった。一人二人なら十分に寝泊まりできるくらいの広さがある。ただ、祖父の家には幼いころから何度も来ていたが、この倉庫の戸が開いているところを見たことはない。どうせ中にはろくなものもないだろうし、荒れ放題に決まってる。損な役回りを押し付けやがって、と母屋の方をにらみながら、さび付いた鍵穴に鍵を差し込む。すると軽快な音がして、意外とあっさりと掛け金が外れた。引き戸を開いて中を覗くと、かび臭い空気が流れてきたが、それも思ったほどではない。それなりに掃除もしていたのだろうかと思いながら薄暗い室内に上半身だけ、入れてみる。一丁前に窓もあるため、電灯をつけなくてもそれなりに中の様子は見渡せた。床にはカーペットが敷いてあって、一見して汚れているという感じでもなかった。だから多少気が引けたが、どうせ取り壊すだけなのだから、と土足のままで踏み込んだ。九月の末とは言え、外はまだまだ残暑が厳しかったが、この室内はむしろひんやりとしている。母屋の方はずいぶん蒸し暑かったので、そこだけは得をしたのかもしれない。

電灯をつけると、腰ほどの高さに棚が作ってあり、その上下に色々なものが整然と置かれていた。テレビなどでよく見る蔵の中ならば、桐の箱や風呂敷などに包まれてお宝が眠っていたりするものだが、そこは単なる物置らしく、どこにでもある段ボール箱か、それに入らなさそうなものにはビニール袋をかぶせただけ、という状態だった。餅つきの臼や杵、蒸篭などが一かたまりに置かれている横には、古い灯油ストーブや、食卓、それに椅子が何故か三脚。どれもさして高価なものには見えず、使用するにも中途半端、というものばかりである。段ボール箱の中身も、大抵はお宝とは思えない普通の食器の類だった。

「ちぇっ、やっぱりそのまま処分したらいいんだよ……。お、これなんかはちょっとくらい値段がつくかも」

 ぶつぶつ言いながら中身を確認していくと、晋也の父あたりが子どものころに使っていたらしい、古いおもちゃが詰め込まれていた箱があった。ただ、よく求められているような未開封の状態ではなく、一見して明らかに使い古した感のあるものばかりだと分かるので、それも大して期待できそうにない。残しておく価値のありそうなものは数えるほどしかなさそうだったので、分別する、というよりもおもちゃや食器の類などの少しマシに見えるものだけを取り出して、入り口付近に集めた。

こんなものかな、と思いながら見渡すと、隅の方に少々風変わりなものが集められている一画があった。仏壇や神棚の類だが、一つ二つではない。大小さまざまな形をしたものが、折り重なるように、積み上げられている。

「おいおい、いいのかよ」

 思わず、晋也がつぶやくほど、それらは乱雑に置かれていた。どれもほこりだらけで、ある程度掃除もされていると思われた他のものに比べ、明らかに長い間放置されていたと分かる。そういうことに詳しい知識も関心も持っていないので、どれがどれだかも分からないが、日本人としてはなんとなく、バチでも当たりそうで、気味が悪い。一応近寄ってみたが、やはりほこりだらけのそれらに触れる気にはならなかった。ふと見ると、積み上げられたそれらの下に、木製の箱があった。同じように薄汚れてはいるものの、漆らしきものも塗られていて、これも上等そうなひもで大仰に封がほどこされている。

「なんだろう」

 なんとなく気をひかれる存在感があり、晋也はその箱を取り上げてみた。博物館で観たことがあるような、文箱らしかった。

「これはちょっと古そうで、それっぽいな。ようやく、お宝発見、だったらいいけど」

 そう言いながら、晋也は段ボール箱を取り出した後の棚の上に持って行き、慎重にひもを解いてみた。

「ほう、これはちょっと面白そうじゃないか。内容によっては古書でいい値がつくかもな」

 それは、綴じひもで綴られている、草紙だった。いかにも古びているが保存状態がよく、虫食いや破れなどは見当たらない。少し期待をしながら、開いてみた。

「……なんだ、白紙か。大層に仕舞ってあるから何かと思ったけど、要するにただのノートじゃないか。くそ、期待して損した」

 勝手に期待して裏切られただけだが、元通りに仕舞うのも馬鹿馬鹿しくて、そのまま棚の奥の方に放り投げた。

「やっぱり、ろくなものがなかったってことだ。時間の無駄だよ、全く。せめてこのおもちゃにそれなりの値段がつきゃあいいけど」

 晋也は少しむくれたままで母屋に戻り、入り口付近に残しておくものを集めておいたから、と母に告げて、さっさと自分の家に帰ることにした。


 一週間が過ぎ、晋也は再び実家に呼ばれた。今回は誕生日の祝いにごちそうをしてやるということだったので、残念ながら他に予定もなかった晋也は機嫌よくやって来た。先週、むくれて帰ったことなどすっかり忘れている。

 食事が終わってゆっくりしていた晋也はふと、床の間に見覚えのある箱が置いてあることに気付いた。掃除でもしたのかややきれいにはなっていたが、上等そうなひもで大仰な封がされているところも、漆塗らしき表面も、先週見つけた文箱に違いない。

「あれ、これじいちゃん家の倉庫にあったやつじゃん。処分する方に置いてきたつもりなんだけど」

「そうかしら、心当たり、ないわねえ。母屋の方からも色々持って帰って来たから、まぎれちゃったんじゃない」

 母がキッチンで片づけをしながら答えている。まぎれたって、確か奥の方に放り投げたはずだけどな、と思いながら、何気なくひもを解いてみた。

「……今日は一歳のお誕生日。まだつかまり立ちしかしていなかったしんちゃんが、おじいちゃんの手拍子に合わせて、手を上げて歩いた。二、三歩だけだったけれど、間違いなく初めてのあんよ、だった」

 先週見た時には確かに何も書かれていなかった。けれども、その初めの頁が字で埋まっている。しんちゃん、だって。しかも一歳の誕生日だって。くだらないことしやがって。晋也は父か母か、あるいは弟の健司あたりがいたずらをしたのだろう、と考えた。その手には乗るもんか。そう決めて、そのまま草紙を元通りに仕舞った。そして、その日は気づかなかったふりをしながら、帰宅した。当人が気づかなかったら、いたずら失敗だな。だれの仕業か知らないが、ざまあみろ、だ。


 文箱のことは、それきり忘れていた。会社で新しいプロジェクトに参加することになった晋也は、休日返上で仕事をすることになったので、それこそジグソーパズルを楽しむゆとりすら持てないまま、三ヶ月が過ぎた。夏に始めたラッセンの三千ピースは、自宅のテーブルの上に外周だけつながった状態で、放置されている。

正月になり、ようやく休みらしい休みをとれたが、さすがに久しぶりの休みをパズルに費やすのも面白くなく、実家に戻ってゆっくり過ごすことにした。

「あんたももう今年で二十八か。早いもんねえ。そろそろ、いい人いないの」

 母が白みその雑煮を運びながら、言った。半年前にふられたばかりの晋也にとっては触れてほしくない話題だったので、聞こえないふりをする。

「あら、そのシャツ、破けてるじゃない。どっかにひっかけたのね。脱ぎなさい。縫ったげるから。よく破いて帰って来たわねえ、子供のころから。そういえば、小学校の卒業式なんて、中学校の真新しい制服破っちゃったもんね」

 と全くくじけずに母が続ける。

「いつの話だよ。まったくそんなくだらないことばっかり、よく覚えてんな」

「覚えてるわよ、そりゃ」

 さして意味のない会話を交わしながら、晋也はシャツを脱いだ。そんなとりとめもないやりとりが、うっとおしいものではなく幸福なのだ、と最近少し感じるようになってきている。脱いだシャツを母に投げて寄越したはずみに、晋也は床の間に置いてある、例の草紙が入った文箱を見つけた。三か月前に見たときよりも、また少しきれいになっている。意外と気に入ってるんだろうか。退屈しのぎに、文箱を引き寄せ、ひもを解いて草紙を取り出す。

「真新しい中学生の制服を着た卒業生たちが、式の終わった校庭でさんざめいている。それぞれに友人や保護者と写真に収まっており、自分たちの親も、親同士のおしゃべりやあいさつに夢中になっている。チャンスだ、と晋也は考え、太郎と一緒にその場をこっそり離れた。卒業する前にどうしても、グラウンドの金網に突きささったままになっている野球ボールを取りたかった。太郎たちと一緒に草野球をしていて、高く上がったファウルボールが金網のかなり高いところにめり込んでしまっていたのだ。だれもグラウンドの方には注目していないので、今ならよじ登れると思った。一番てっぺんの方なので、晋也たちの身長の三倍くらいの高さにそのボールはめり込んでいる。人の目がない今がチャンスだった。晋也は太郎に支えてもらいながら、金網をよじ登った。てっぺんまで来ると、めり込んでいたボールをとった。よし。そのまま、金網を降りようとしたときである。晋也の制服が、金網の破れ目にひっかかった。バランスを崩した晋也は、思い切って、飛び降りた。地面が急に迫って来る。何とか転がって着地をしたが、金網に引っかかったあたりが、見事に破れてしまっていた」

 誕生日の日に見た記事と違って、今度ははっきりと晋也、という名前が書かれている。しかも、その時いつも一緒にいた太郎の名前もある。懐かしいな。晋也は草紙に書かれている文章を懐かしく読んだ。相変わらず、細かないたずらを。しかし、妙にリアルに描かれている。待てよ。制服を破ったことは隠しようもないが、金網にこっそり上った際に作った破れ目、なんてことは、太郎の他は知らないはずだ。

破れたシャツの繕いをするために、裁縫道具を取り出しながら、母が、

「そうそう、思い出した。そういえば、みんなで記念誌写真撮ってた時に、あんたどこへ行ってたのよ。戻ってきたときには制服、破れてたわよね」

 と言った。本当は知ってたのか。それとも他の誰かのいたずらなのか。晋也は少々薄気味の悪さを感じ、草紙をそって元に戻した。しばらくして、シャツの繕いを終えた母が、

「はい、できたわよ、ええと……そうそう、晋也」

 おいおい。自分の息子の名前も出てこないようじゃ危ないな。そう思いながらも、なんとなくそこに触れるのがためらわれ、聞き流すことにした。


 二月初め、太郎たちと一緒にスキーに行く予定があったので、置いてあるスキーウェアを取りに実家に寄った。ついでに床の間に目をやると、例の文箱は同じ場所に置いてあったが、以前見た時よりも、きれいに磨かれている。いい加減、たちが悪いな。そう思いながら、やはり恐る恐る、頁を開いてみた。

「高校生になっての最初の夏休み。晋也は塾の合宿に行くからとうそをついて、太郎と軽井沢に旅行に行った。ジグソーパズルにあった景色にあこがれたのだが、親に言ったら反対されると思ったからだった」

 晋也は、その旅行のことを思い出して、束の間、浸った。楽しかったなあ。太郎の奴、そばを食い過ぎて腹を壊したっけ。寝るところがなかったので、駅の待合で夜を明かしたよな。いや、待てよ。あの旅行のことは、さすがに誰にも言っていないはずだ。合宿の費用として親からもらった金を遣ったから、ばれるわけにはいかないと思ったんだ。じゃあ、一体誰が書いてるんだ、この文章は。晋也は恐ろしくなり、草紙を文箱に戻すと、きつめに封印をした。


 それ以来、気味の悪い文箱の中の草紙については、あえて思い出さないようにしていた。五月の連休最終日、晋也はかねてから予定が入っていた高校の同窓会に行った。ところが会場の予定になっていた居酒屋に行っても、それらしい団体が見当たらない。しばらく待ったが、時間が過ぎても誰一人現れないので、場所を間違えたか、と思って、手元のハガキを取り出した。しかし、家を出る時には確かに印刷してあった同窓会の案内が、何故か白紙になってしまっていた。念のため、店員を呼び留めて、聞いてみる。高校生のアルバイトだろうか、忙しくしているところを呼び止められ、不快そうな表情を隠そうともせず、なかばむくれるようにして、

「少々お待ちください」

 と言い捨てて、レジカウンターの方に確認に行った。ところがやはり、

「そういうご予約は、入ってないです」

 とにべもない。どういうことだ。携帯電話を取り出し、太郎に電話をかけた。店の階段を降り切る前に、太郎は出た。

「はい、田村ですが」

 晋也からの着信と分かっている割にはちょっと他人行儀な口調だが、間違いなく太郎の声だ。

「あ、太郎、俺だよ。今さ、いつもの居酒屋に来てるんだけど、今日、同窓会じゃなかったっけ。もしかして日が変更になったとか。俺、とりあえずなんも聞いてないんだけど」

 受話器の向こうで、太郎はしばらく沈黙している。

「同窓会、ですか。特に予定はありませんけど」

 不審そうな固い声が聞こえた。

「はあ、何ふざけてんだよ。いや確かにハガキ来てたぞ。お前も参加するって言ってたじゃないか」

「……すみませんが、どちらにおかけですか。こちらは田村ですけど」

 どこまでもふざけやがって。時と場合を選べっての。

「分かってるよ、田村太郎。いい加減冗談はやめろよ。しまいに怒るぞ」

「それはこっちの台詞だよ、失礼な奴だな。お前、誰なんだよ」

 明らかに声を荒げた太郎に、電話を切られた。あの野郎。直接文句言ってやる。場合によってはぶん殴る。晋也は心底腹を立て、五分とかからない場所にある太郎の家に向かうことにした。マンションのドアを叩く。すぐにドアが開くが、チェーンがかけられたままだ。

「太郎、俺だ、晋也だ。お前、たちの悪い冗談はやめろよ」

 しかし、チェーンの向こうから見せた太郎の硬い顔は、晋也を凍り付かせた。

「さっき電話してきた声だな。しんやなんて、知らん。そっちこそ、いい加減にしないと警察を呼ぶぞ」

 ふざけている顔じゃない。本気で警察を呼ぼうとしている。そんな、馬鹿な。晋也は混乱し、逃げ出した。何なんだ。何が、起こってるんだ。混乱したまま、実家に駆け戻る。床の間には、例の文箱が妖しい艶を持って光を放っていた。何故だか分からないけれど、こいつに原因があるような気がした。封印の紐は、二月にきつく縛ったままになっている。ほどくのももどかしく、はさみを持ってきて、紐を切った。

 開けると、件の草紙の表紙は、明らかにきれいになっている。頁を、めくってみる。そこには、晋也自身の思い出が確かに書き綴られていた。そしてその物語は、二十八歳の晋也の年齢を追い越して、晋也が知らない晋也の人生が続けて書かれていた。結婚し、子供が生まれ……。なんなんだ、これは。震えながら頁をめくり、最後の一枚にたどり着く。すると、晋也の目の前で、白紙の上に、文字が次々に浮かび上がってくる。

 こいつ、俺の人生を、喰っていやがる。同窓会も、こいつに喰われたんだ。晋也の中に、怒りと恐怖が激しくうずまいた。

 ちくしょう、こんなもの、燃やしてやる。晋也はライターを取り出した。けれども、擦ろうとしても、手ごたえがない。見ると、指先が、消えていく。叫び声を上げようとするが、声にならない。

 晋也は、自分の足元、だったはずの床に草紙が落ちるのを見た。そしてその最後の頁に、了、という文字が浮かぶのが見えた。晋也が見ることができたのは、そこまでだった。

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