ようこそ夢の国
十森克彦
第1話
勝ち組とは言えない遊園地だ。だとしても、この駐車場は何だ。ゲートをくぐった瞬間、私は唖然とした。かなり広くて、数百台は停められるだろうと思われる駐車場に、ざっと見ただけで十台に満たないほどしか、車がない。しかもどうやらそのうちの一台は業者のものらしく、業務用のミニバンの天井にキャリアが積んである。
閉園しているのだろうか、と疑ったが、等間隔で設置されたスピーカーからは、軽快なBGMが流れている。開園はしているようだが、十一月末の、しかも小雨がぱらつく中でわざわざ来ようという気になれないというところなのだろう。
夏は忙しくて休暇がとれず、子ども達をどこにも連れて行ってやることができなかった。祝日の翌日に土曜が重なり、カレンダー通りで連休になったので、せめてどこかに、と妻と相談し、出かけてきたのだった。温泉でゆっくりしたいと思っていたが、それだけでは小さな子ども達は退屈だろうから、昼間は遊園地にでも、ということで立ち寄ってみたのがここだった。確か、子ども向けのパビリオンがいくつもあると聞いていたので、天気が少々悪くても、屋内で遊ばせることもできるだろう、とも思ったからでもある。
車を停め、子ども達に上着をはおらせると、正面ゲートに向かった。山上に造られていてずいぶん高低差があるため、駐車場からは結構長いエスカレーターに乗るようになっている。ドーム型の天井に覆われているエスカレーターにもBGMは流れていて、遊園地に向かうワクワク感は確かにある。けれども、長いそのエスカレーターにも、私たちの他に人影はない。ここのキャラクターらしいイラストがエスカレーターにも天井にも描かれているが、それなりの年数を経て、はがれかかっている箇所がいくつもあった。
「大丈夫なのかな、ここは」
若干不安になりながら、私がつぶやくと、
「さあ、どうなのかしら。でも、営業していることには違いなさそうよ。それに、考えようによっては、並んだりせずに済むから、貸し切りみたいなものじゃないかしら」
と妻が言った。なるほど。ものは考えよう、というわけか。こういう時は妻の意見に従うに限る。
ドーム状のエスカレーターを抜けたところはちょっとした広場になっていて、みやげ物やファーストフードの店がいくつかある。しかも足下はウッドデッキ調になっていて、とても凝った造りである。流れているBGMも、駐車場やエスカレーターの中に流れていた遊園地のテーマのような曲ではなく、Jーpopである。この一帯だけでも結構いい雰囲気なのだが、やっぱり客らしき人影はない。人類だけが突如姿を消してしまった、という類のホラーとかSFのシーンを連想してしまいそうだ。
その一角の奥に、正面ゲートがある。エスカレーターの中に描いてあったキャラクターの着ぐるみが一体、私たちの方を見て、飛び跳ねながら両手を振っている。心からの歓迎を表した演出なのだろうけれど、案外、本気で喜んでいるのかもしれない。あるいはやけくそなのだろうか。チケットブースに立つと、小窓の奥から満面の笑みを声にまで浮かべて、女性スタッフが応答してくれた。
「ようこそ、夢の国へ。何名様ですか」
夢の国、ね。私は妻と二人の子ども達の分の入園券を購入した。キャラクターに案内されて、正面ゲートに向かう。ゲート付近には、グリーンのブレザー姿のスタッフが4~5名、これもまた、満面の笑みで、出迎えてくれていた。こんなにスタッフがいるのか。絶対人件費分の収入、ないと思うけれど。そんな余計なことを考えながら、せっかくの笑顔に、こちらも笑顔で会釈を返す。子ども達は大はしゃぎである。
「いってらっしゃい」
ゲートをくぐった私たちを、スタッフとキャラクターは全員で手を振って、送ってくれた。それではまあ、行ってみますか、夢の国。
園内に入ってみると、それでもちらほらと客の姿があった。
「なんだ、ちゃんと客はいるじゃないか。全く無人というわけじゃないんだな」
妙なところに安心しながら、しばらく案内マップを頼りに園内を歩く。
「ちょうどいいじゃない。並ぶほどに混んでるわけじゃないし、これくらいでほどよい感じね」
妻も同様に、他にも客がいることに少し安心したようだった。
「それにしても、駐車場にあった車の台数とは明らかに釣り合わないな。電車で来れるところじゃないから、皆車で来ていると思うんだけれど」
「きっと送迎バスかなにかがあるのよ。それとも駐車場が他にあったとか」
そう言えば、「第一駐車場」という表示が出ていた。あんまり閑散としていたので、第一も何もあったもんじゃない、と思ったのだが、案外別の駐車場の方にはもっと車があるのかもしれない。
奥の方に進むとジェットコースターやお化け屋敷などがあるようだが、そちらにはまだ用はない。朝からの小雨は続いているため、屋外で楽しめそうなものはメリーゴーランドくらいだった。子ども達は大喜びである。五歳の娘はカボチャの馬車が、三歳の息子は白馬が気に入ったようで、それに乗りたいとせがまれた。自分まで一緒に乗り込むのは少し照れ臭かったので、そちらは妻に任せて、私は写真係に徹することにした。
子ども達はよほど気に入ったのか、三回続けてメリーゴーランドに乗り、まだ入り口に向かおうとするので、妻がさすがに
「別のものも見ようよ」
となだめて、連れ戻した。子ども達は少しふくれた顔になって手を引かれていたが、ゲームコーナーの前に来ると、すぐに目を輝かせた。一つだけ、いいよ、と宣言すると、何度も丹念に見比べた結果、キャラクターが書いてある、バスのアトラクションを選ぶ。音楽とアナウンスが流れ、ゆっくりと揺れるだけのものだが、本人たちは夢中である。ハンドルを回し、クラクションを鳴らし、キャラクターの台詞が出てくるボタンを片っ端から押していく。これなら別に、近くのデパートにもあるんだけどな。そう思いながら、とりあえずシャッターを切る。色々連れてきてあげたのだ、ということを、彼らが大きくなってから示すための証拠写真だ。
ゲームコーナーでひとしきり遊んだ後は、おもちゃのパビリオンに入ることにした。子ども達が大好きな、人形やらブロックやらが所狭しと並べられていて、一目でテンションが上がるのが分かった。しかも、そんなにたくさん集まっているわけではないので、使いたい放題だ。自分たちが幼い頃にはなかった発想で、今の子どもたちは幸せだとつくづく思う。私は子どもたちを遊ばせながら、しばらくはその様子を写真に収めたりしていたが、疲れてもきたので、側にあるベンチに腰掛けて、持参した小説でも読みながら過ごすことにした。妻の方はと言えば、やはりベンチに座って既にウトウトし始めている。
ほどなく、パビリオンの外から元気のよい声が聞こえてきた。
「みなさーん、こんにちは。今日は、ドリームワールドへようこそ。ショーの時間が、はじまるよ」
どうやら、野外ステージでショーが始まるようだ。ステージでマイクを持っているのは、ゲートで出迎えてくれた女性スタッフの一人だ。ゲートにいた時にはたしかグリーンのブレザーで、落ち着いた雰囲気だったが、今はひらひらのたくさんついた、光沢のある可愛らしい衣装に着替えている。頭にはティアラもついていて、手にしているマイクも、杖のようなデザインになっている。コンセプトは魔法使い、という感じだろうか。ずいぶんイメージが変わる。恐らくスタッフは専任という訳にはいかず、一人何役も兼ねているのだろう。もしかしたらこの他にも仕事があるのかもしれない。
それにしても、ちらほら客がいると言っても、この天候だ。ステージの周りには、誰もいない。どうするのだろうかと思って様子を見ていたが、構わずに満面の笑顔で誰もいない広場に向かって、話しかけている。見られていなくても一切手抜きをしない、プロ根性に、感心した。ショーの内容よりも、携わっているスタッフの仕事ぶりに、心惹かれて、パビリオンの中からそっとその様子を見守ることにした。
ステージ上のスタッフが、元気よく話しかける。
「さあみんな、魔法の杖が連れていってくれる、夢の国に出発しましょう。みんなは海がいいかな、山がいいかな。心の中で、願ってみてね……」
魔法の杖、ね。やっぱりそういう設定なんだな。そう思っていると次の瞬間、周りの景色が一変した。BGMと子ども達の声がなくなり、けたたましい電子音と激しいリズムの洋楽が響いている。なんだ、どうしたんだ。振り向くと、おもちゃがたくさんあったはずのパビリオンの中はきらびやかな電飾にあふれかえっている。所狭しと置かれているのは、スロットマシンにルーレット、黒のベストに蝶ネクタイ、という男性の前には、グリーンのシートが敷き詰められた大きなテーブル。カラフルなコインが積み上げられている。行ったことのない私にも容易に想像ができるこの風景はーーそう、カジノだ。何が起こったのかよく分からなかったが、いつの間にか私はカジノにいた。きっと夢でも見ているんだろう。まあ、いい。どのみち、今日は休日だ。ゆっくりさせてもらおう。
カジノに来たことはないので、遊び方も何も、よく分からない。しかし、気づくと私の手にはいつの間にか、一枚のコインがあった。どこかで拾ったんだろうか。まあいい、どうせ届けても店のものになるだけだから、手渡すのも遣ってしまうのも、同じことだろう。第一、夢なんだから。勝手にそう解釈をし、目の前にあるスロットマシンに向かった。詳しくは分からなくても、何度かゲームでも見かけた通りのデザインになっている。手にあるコインを、投げ入れてみる。確か、ビットと書かれたボタンを押すのだった。マシンの横についている、レバーを引き下げると、中央ののぞき窓の絵柄が勢いよく回転を始めた。
勢いよく回転する小窓を見ていると、どうせ当たるはずがない、と思いながらついひきこまれ、目が離せなくなる。やがて回転している三列の内、真ん中が、見覚えのあるベルの絵柄で止まった。少し遅れて、今度は左側の回転が徐々に遅くなり、やはりベルの絵柄で、止まった。これは。思わず息を止めて、右側の列を凝視する。やがてつながって見えていた絵柄が、一つ一つ個別の絵柄に見え始め、小窓の上から下りてきた三つ目のベルの絵が、真ん中の位置で静かに止まった。
「おおっ」
私は思わず、声を上げてしまっていた。ゲームセンターにすらあまり足を運んだことがなく、その面白さもほとんど理解できなかったが、さすがに払い出し口からコインが二十枚近く吐き出されたのを見ると、興奮した。知らない間に手の中にあった分を返すつもりで、とりあえず、その中から一枚、コインを抜き出して、スロットマシンの上に置く。それから三枚ほどを投入し、ベットボタンを押して、再びレバーを倒した。
同じように回転した小窓の中は、先ほどと同じように真ん中、左、右の順で、今度はチェリーの絵柄がそろった。コインがさらに、払い出し口に吐き出される。ビギナーズラック、というのを聞いたことがあるが、まさにこのことなのだろうな。夢の中だと分かっているので、余計に大胆になり、五枚、十枚と投入する枚数を増やしていった。一度か二度は外れたが、ほとんどが当たる。たちまちコインは払い出し口からあふれてきた。それを上着とズボンのポケットと言うポケットに詰め込んで、今度はルーレット台に移動する。これだけは子供の頃におもちゃを持っていた友人がいたので、ある程度知っている。
ディーラーのベルを聞いて、何枚かのコインを積むと、ほどなくルーレットが回り始め、白いボールが投げられた。しばらく大きな輪を描いていたボールは、私が置いた数字通りの穴に落ちる。やった。いきなり大当たりだ。一瞬で私の前にはコインが積み上げられる。続けて、やはり何枚かを積んだが、今度は外れた。何度か続けてかけてみたが、やはり外れる。次こそは。いつの間にか、私はルーレットに夢中になっていた。なるほど、ギャンブルとはこんな感じでのめり込んでいくのだ。妙に納得をする。
しばらくの間、そんな風に勝ったり負けたり、を繰り返していると、その勝敗の結果には一定の法則があるのではないか、ということが分かってきた。一点にかけたものが当たると、五回は外れる。二点にまたがってかけたものなら三回、四点にかけたものなら次の回は外れる。試しに毎回四点にかけ続けてみると、一回おきに当たった。当然外れて失うよりも当たって獲得するペースの方が多いので、やっぱりと思った頃には手元はコインの山ができていた。不思議なもので、負けないと分かってしまうと、少しも面白さを感じなくなってしまう。
ポケットには入りきらなくなったコインを差し出されたカゴに入れて、その場を離れる。換金できないのだろうかと思い、周りを見渡すが、それらしい表示は見当たらない。近くに立っていたバニーガールからカクテルを受け取り、ついでにコインを見せて
「エクスチェンジ、オーケー?」
と聞いてみた。彼女はカクテルを差し出した時と同じ笑顔で、というより、笑顔ではあるが全く動かない表情のままで、出口を指差した。私は軽く会釈してその方向に行ってみたが、カジノの外に出ると何故か駅前の、パチンコ屋の裏に出た。自分の夢だから、知らないものは出てこない。カジノの仕組みなど知らないから、パチンコ屋の景品交換所が代わりに登場したというところだろう。
窓口を覗くと、でっぷりと肥えた初老の男が、退屈そうに座っていた。コインの入ったカゴを見せ、先ほどと同じセリフを言ったが、なぜか通じない。怪訝な顔でかぶりを振られるだけである。
「中で聞いたら、ここで換金してくれるっていうから来たんですよ。ここじゃないんですか。一体どこへ持っていけばいいんだ」
私は少々苛立ちながら、日本語で言ってみた。すると、窓口に座っていた男は眉をひそめ、ため息をつきながら私の手にしているカゴを指して言った。
「あんたはそれを、一体何に変えろと言うのかね。からかうのもいい加減にしておかないと、警察を呼ぶぞ」
ハッとして、カゴを引き寄せ、中身を見ると、ネジやら空き缶やらビール瓶の栓やらがぎっしり詰まっていた。
なんだ、これは。さっきは確かに、色とりどりのカジノコインが、宝箱のように詰まっていたはずなのに。私はカゴを持って、カジノの中に引き返した。自動ドアが開くと、例のバニーガールの、例の笑顔が私を迎えた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、夢の国へ」
「君、どういうことなんだ。君の案内に従って出た途端にコインはゴミに変わってしまったぞ」
私はカゴを突き出した。ところが、そこには元通りのカジノコインが詰まっている。表面だけなのか。私は手を差し入れて、底の方にあるコインを取り出してみたが、やはり同じだ。外に出たらゴミに変わってしまうのか。それとも、換金しようとしたからか。そう言えば、そもそも、換金してどうするのだろうか。夢の中のことだ。それに、レートがどれくらいなのか分からないが現金になったところで、生活が一変することもあるまい。所詮この中でだけ、楽しめたらそれでいいではないか。まさに、夢の国、という訳か。
「いらっしゃいませ。ようこそ、夢の国へ」
バニーガールが同じセリフを繰り返す。その時、彼女が、野外ステージでショーの進行をしていた例の女性スタッフだということに気付いた。その途端、にぎやかなBGMも、電子音も、大勢の客の歓声もかき消すようになくなり、私は元のパビリオンに座っていた。
やっぱり、居眠っていたらしい。疲れが溜まっている。職場では仕事に追われ、休暇はこうして家族に付き合って、遊園地にいる。結局自分のための、休みにはならない。「家族サービス」とはよく言ったものだ。
それにしてもなかなかリアルな夢だったな。さすがはドリームワールドだ。我ながらセンスのないコメントをつぶやきながら、窓の外を見る。広場では、ショーが続いていた。魔法使いに扮した女性スタッフが、
「さあみんな、次はどこがいいかな。海がいいかな、山がいいかな。心の中で、願ってみてね……」
特に意識したわけではない。もちろん、ナレーションに従って、心の中で願ってみたわけでもない。ただ、海がいいかな、というその台詞に、無意識にイメージを喚起されたのか。気が付くと私はどこかのビーチにいた。
青く光る空に、燦燦と輝く太陽。先ほどまでの、小雨交じりの秋の終わりではなく、明らかに夏真っ盛り、である。海は透き通ったグリーンが見渡す限り広がっており、いつもの海水浴場ではなくて、サンゴ礁が広がる南国の海岸のようだった。
いつもの海水浴場なら、それこそ芋を洗うように波打ち際にみっちりと家族連れが浸かっているが、ここにはそれらしき姿はない。数組の若い男女が、ビーチや海で小麦色の肌をきらめかせている。全く無人というのも少し寂しい気がするので、この程度の人影があるくらいが、私としてはちょうどよい。
私自身も、ダウンジャケットを着てベンチに座っていたはずだが、サーフパンツにパーカーをはおり、ビーチチェアに腰掛けている。
「はい、お待たせ」
目の前に、ビールの入ったカップが差し出された。
「ありがとう……」
私はビールを受け取り、相手を見た。クセのないロングヘア―に、私とおそろいのパーカーをはおっている。その下は、均整のとれた見事なプロポーションを蛍光色のビキニで覆っている。まるでファッション誌から抜け出してきたような、魅力的な女性だ。
無言で乾杯し、カップを傾ける。照り付ける日差しの中で乾いたのどを、よく冷えたビールが潤し、熱を冷ましていく。「かあっ、うまい、堪えられん」といつものようにうめいてしまいそうになる声を、かろうじて呑み込む。このシチュエーションでは、ミスマッチだ。
「このカクテル、好きなの」
彼女が髪をかきあげながら、耳にも心地よい声で、言う。
「なんて名前だったっけ」
「甘くて飲みやすいのよね。ねえ、バナナボート、乗ってみたいわ」
「あ、ああそうだね。後で行ってみようか」
カクテルの名前に興味はない。あわよくば彼女の名前を聞こうとしたのだが、かわされた。親しげに話しているが、見覚えもないので、夢の中の私とどんな関係なのかも今ひとつ分からない。でも、ボートに乗りたいと言っているので、これはチャンスである。話すうちに聞き出すこともできるだろう、と思った。
とにかく、せっかくなので会話を楽しもう、と思ったのだが、次の瞬間、一体何を話せばいいのか、分からないということに気づいた。会社に若い女の子がいないわけでもないが、仕事上の話以外、会話はない。若者同士で話していることを聞くともなしに聞いていることがあるが、大抵は何の話題なのかすらよく分からないことが多い。流行りの音楽は分からない。流行りの食べ物もよく知らない。ファッションにいたっては、単語のレベルから、分からない。目の前にあるファッションといえば水着だが、それを話題にするのも論外だろう。趣味と言ったって、釣りやゴルフの話題に乗ってくれるとは思いにくいし、プロ野球の話題も同様だろう。スポーツ全般なら。確か、バナナボートに乗りたいと言った。そうだ、マリンスポーツなど、どうだろう。考えに考えた結果、そのあたりを話題にすることを決めて、乏しい情報の中からとりあえず知っている単語を引っ張り出してみる。
「マリンジェットもいいな。どこかで乗れないかな」
ところが、その話題が興味をひかなかったのか、言い方がまずかったのか、彼女の反応は、ない。
私の提案を聞き流した彼女はしばらくしてカクテルを口に含み、
「このカクテル、好きなの」
と髪をかきあげながら、耳にも心地よい声で、言った。
「あ、ああそうなんだ。それはそうと、この後、泳ぎに行こうか」
パターンを変えて、行ってみた。しかし彼女は、
「甘くて飲みやすいのよね。ねえ、バナナボート、乗ってみたいわ」
と言った。先ほどと同じセリフだった。
「そのカクテル、好きなんだね」
試しに、言ってみた。
「このカクテル、好きなの」
髪をかきあげながら、彼女は答える。
「バナナボートに乗りに行こうか」
「甘くて飲みやすいのよね。ねえ、バナナボート、乗ってみたいわ」
自分自身の知識のないことは、想像できないので、夢の中と言えども、未知の台詞は出てこないのだろう。それにしても、これでは会話にもなっていない。確かに景色はいいし、彼女は美しく、シチュエーションとしては理想的なバカンスである。
そう思いながら何故か私は、日頃の妻との会話を思い出した。職場で消化しきれない仕事上のモヤモヤを抱えた状態で、疲れ果てて帰宅し、くつろぎたいと思っている矢先に、昼間あったことを畳みかけるように話される。妻は妻で日中溜まっていることが色々あるのだろうけれども、会社で消耗して帰ったこちらの身にもなってほしい。つい受け答えが粗雑になり、それを指摘されると険悪な雰囲気にもなる。二週に一度くらいはそれが夫婦喧嘩に発展し、しばらくは口もきかないという日が続く。それと比べれば、心地よい、この空間だった。しかし、二日、いや、この堂々巡りだと、三十分ももたない。たとえ建設的な内容でなくても、妻とのやり取りの方が、よほど中身がある、と思った。
「みんな、夢の国は楽しいかな。まだまだ、続くわよ。さあ、海がいいかな、山がいいかな。みんなの声を、お姉さんに聞かせてほしいな」
気づけばまた、元のパビリオン、である。ショーはまだ、続いているようだ。しかし、広場には誰もいない。従って、声を聞かせて、というスタッフへの応答も、ない。それなのに、まるでその周囲が見えていないかのように、女性スタッフは呼びかけ続けている。
「みんな、夢の国を楽しんでるかな。楽しいっていうお友達は手を挙げてくれるかな」
「はあい、はい、はい。楽しいでえす」
聞き覚えのあるような、ないような声が、耳の近くで聞こえる。子供の頃の、私の声だ。いつの間にか、私は子供になっていた。周りにも同じような子供たちがたくさんいて、一緒に手を挙げて、答えている。女性スタッフが、いや、魔法使いのおねえさんが、
「みんなはどんなものが欲しいかなあ」
と問いかける。
「お人形の家がほしい」
と誰かが言うと、子供が抱えられるほどの大きさの、人形の家がその子の手に現れた。ついでによく見るウサギの人形も何体か、入っている。おかあさんウサギと子供たちのようだ。その子が目を輝かせて喜んでいるのを見て、
「僕は仮面ライダーが欲しい」
「僕は恐竜」
「私はレゴがいい」
「僕もレゴがいい」
など、口々に叫び始めた。それぞれの手元に望んだものが現れて、一斉に歓声が起こる。私は、プラレールを出してもらった。少年のころ、二軒隣りの友達が持っていて、よく一緒に遊んだ。本当は私も欲しかったけれど、どうしてもそれを買ってほしいとは言い出せず仕舞いだった、あこがれのおもちゃである。思う存分に広げて、電車を走らせる。広場はそこら中おもちゃと子供たちの歓声でいっぱいになった。いつの間にか雨はすっかり上がり、お日様が明るく照らしている。しばらくすると一人が、
「おなかすいたなあ」
とつぶやく。その声は、瞬く間にすべての子供たちに広がっていった。すると、おもちゃの代わりにそこら中がお菓子の山になった。その山に埋もれながら、好きなものを取り出しては、かぶりつく。それこそ、すべての子供たちが憧れたシチュエーションである。おまけに、いくら食べてもおなか一杯にはならないので、いつまででも食べ続けていられた。私たちは、しばらく夢中になって食べ続けた。
おなか一杯にはならなくても、しばらく食べ続けていると、飽きてきた。
「かーえろうっと」
誰かが言った。それを合図に、一人帰り、二人帰り、と少しずつ子ども達がいなくなっていく。やがて私だけが一人残された。おやつはもう、飽きちゃった。かあちゃんの、お味噌汁が飲みたいな。おうちに、帰りたいな。振り向くと、大人に戻った私は元のパビリオンで、ベンチに座っていた。広場では、魔法使いのおねえさんが、
「みんな、楽しかった? また会おうね、ばいばい」
と言いながら、ショーを締めくくっていた。
よほど疲れていたのか、よく眠った。そのせいか、すっきりしている。いつの間にか妻が隣に座って、やはり居眠りをしていた。楽しい夢でも見ているのか、口元に笑みが浮かんでいる。子供たちは、相変わらずおもちゃに囲まれて、夢中になって遊んでいる。穏やかで、幸福な時間だな、と感じる。温泉もいいが、こんな休日も、いいものだ。休日に夢の国を旅して、満喫したらやっぱり現実に戻りたいと思う。レクリエーションとは、そのようなものか、とも思う。
ようこそ夢の国 十森克彦 @o-kirom
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