1章-3 秘密の箱
「俺はグリア・ブレイス。グリアでいい」
真夜中の森を思わせる翡翠の瞳がすぐそこにある。もう少しで手が届きそうなのに、ひどく遠く感じる。その奥にある光は、満月のように眩い。
「お前、歳はいくつだ?」
「19です」
「新人か。去年ハイスクールを出たばっかりだろ?いきなりこんな仕事をやらせるとはな。アタマおかしいんじゃないのか…」
「多分、厄介祓いです。生まれつき体が弱いですし、同期で一番体力がないですから」
マクレーンが「頼めるのは君しかいない」と言ったのも、嘘ではない。ただ、この仕事に回すことのできる、即戦力ではない凡庸な人材が自分しかいなかっただけだ。
「厄介祓い、か。随分とストレートな物言いだな。少しは期待されてたんじゃないのか?あいつはお前の口の堅さを評価してたが」
リアンはカップを傾けた。
「確かに誰にも言いませんけど、それはただの方便です。本当に期待される人選だったら、もっと経験があって従順な部下を選ぶはずです」
「お前は従順じゃないと?」
「僕、あの人嫌いですから」
するとグリアはクツクツと笑った。
「ふふ、あろうことか上司を非難するとはな。まったくもって同感だ。脳みそガッチガチの狗よりよほどいいよ、お前。面白い、気に入ったよ」
「そうですか」リアンはいい気があまりしなかった。
紅茶でつい口が軽くなってしまったのか、自分の事についてかなり話してしまった。しかし自分はこの人について、まだ何も知らない。
「あの、いくつか質問、いいですか」リアンはソーサーにカップを置く。中身は既に空になっていた。
「答えられる範囲でなら、答える」
「あなたは…その、ワイレーツだったと聞いてます。それで、逮捕されたと」
「そうだ。かつてネットの海を泳いでありとあらゆる情報をサルベージして売っていた。ワンマンだったけどな。いくつもの組織の内部機密を暴いて、組織そのものを壊滅させたことも何度もあった。で、ある時マクレーンに捕まって、刑を減らしてやるから仕事を手伝えと言われてここにいる。実際はここにいること自体刑なんだけどな。誰とも話せやしないから、刑務所より酷い」
「何故、そんなことを?」
彼女は少し考えてから、答えを見出した。
「好奇心、だよ」
「好奇心…」
「そう、世界に満ちた知らないものを知りたくなる。そして、自分を誰よりも高みへアップデートしたくなる。誰も知らない情報を知ることが出来たなら、それは何も知らない他の人間よりも1つアドバンテージが得られる。例えばお前が堅い壁を作る魔術を開発したとしよう。すると、その壁を壊そうと幾多の人が挑む。しかし弱点を知らないから壊すことが出来ない。弱点を知られない限りお前は無敵でいられる。他の奴らより1つ上にいられるということなんだ。
魔術師も同じ。魔術師は誰にも攻略出来ない武器を持ってこそ戦える。弱点を知られてしまったら元も子もないからな。旧時代の魔導書の魔術式を解読する人間が過去の知識を貪欲に得ようとするなら、ネットの深海まで潜る人間は未来の知識に貪欲だ。そしてそれを両方やる魔術師はもっと貪欲な好奇心を持った人間だ。ここに来る前の俺は、他人への被害よりも知を探求していた。今は仕事上被害を食い止める側の人間だけど、きっと魔術師ってのは本質的に他を犠牲にしてでも未知を追い求める人種なんだ」
リアンは黙ったままだった。
「この部屋では何しててもいい。監視するならそれでもいいし、本も読んでいい。好きにしてくれ。ただ、俺の存在を周りの連中に知られてはならない。知ってるのはあの女とここの所長だけだ。だからお前も俺のことは口外しないよう頼む」
そう言ってグリアは立ち上がった。
「さてと、せっかく外出許可が出たんだ。外行こうぜ。リアン、開けてくれ」
紅茶のカップの下には再び魔法陣が現れ、カップはそこに沈んでいった。
「グリアさん」
リアンは魔術師を初めて名前で呼んだ。名乗った時より肩の力は抜けていたが、どこかまだ踏み込めない壁がある。リアンにはこの人が信用に値するのかまだわからなかったし、この女性が、保安局の秘密が押し込められたこの部屋から出た結果、何が起こるのかもまだわからなかった。
ただ、これだけは絶対に言っておかなくてはいけない。
「その前にこの部屋、片づけませんか」
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