1章-2 秘密の箱

黄ばんだ白を燻んだ色で挟んだ四角い箱の様なものがいくつもある。紙の本だ。


もはやデッドデバイスとなった紙の本はリアンにとっては必要のないものだった。同じ本を読むなら電子書籍をダウンロードして読んだほうがよほどいい。それを買うのは余程の物好きか研究者だけだ。実際に流通している本は100%、とは言い切れないがそれに近い割合で電子化されていた。なので、紙の本なんて1つ買うだけでサラリーマンの二ヶ月分の給料が吹き飛ぶくらいの値段がする。それほど貴重なものが、埃を被って服と共に散らばっている。


その奥に魔術師は佇んでいた。


「お前の顔を見なきゃいけないのは10日に一度のはずだったが?」


女性だった。腰まで伸ばした黒髪は嵐に吹かれたかのように乱れ、か細い長身はダボついた男性用の服で包んでいる。その内にある芸術品と言われても謙遜ないほどの顔には、不機嫌な鋭い目つきを刻んでいた。


「事前に連絡を入れておいただろう、グリア。今日は例外ってことさ。君にとっていい話を持ってきたんだから、少しは我慢して欲しいね」


「お前がいる時点でロクな話じゃない。で、何しに来たんだよ」


グリアと呼ばれた魔術師はまだ口角を下げている。マクレーンは待ってましたとばかりに一呼吸置いてから言った。


「君に外出許可が降りた」


その一言に魔術師は不意を食らったらしく、目を丸くして動揺した。


「は、いきなり言うなそんなこと!もっと早く言え!大体、なんでそうなったんだ」


マクレーンは愉快そうに笑った。


「あれだけ出せと言った癖にいざ出すとなると言うなとはねぇ。体の調子も問題ないし、これなら外出しても大丈夫だと所長が判断したんだ。ただし条件がある」


「なんだよ」


「彼を同行させることさ」


2人の視線がこちらに注がれる。リアンは一瞬どきりとしたが、なるべく平静さを装おうとした。


「本日付けで配属になりました。リアン・ハーウェイです。よろしくお願いします」


想像よりも声は弱々しかった。まだ身が強ばっているのを感じる。魔術師は眉を少し上げた。


「ほう、監視付きというわけか。だが言っちゃ悪いが見たところ新人だろ?いいのか、こんな奴に任せて」


彼女も自分と同意見だった。そのためか、こんな奴と言われても腹が立たない。


「君の存在は機密だからね。裏で司法取引して捜査に協力させてるってバレたら困るからさ、組織に癒着していない口の堅い子を選んだんだ。秘密を守ることに関してなら随一だよ」


リアンは自然と頷いてしまう。当たり前だ。話す人が居ないのだから。教官は別の支部の人間だからカウントされない。


「彼には護衛も頼んである。魔術師には敵が多い。居て損はないだろう?」マクレーンは付け加えた。「火の事もあるしね」


魔術師は「火」という言葉に反応した。目は大きく見開かれ、唇がひきつる。余裕と強気な姿勢が消え、代わりに微かにある感情が滲み出ているように見える。


恐怖だ。


「確かに、それだけは俺にはどうにも出来ない話だな」


彼女はその感情を拭き払った。マクレーンは満足げな表情を浮かべると、


「外出許可と言っても君の身柄はまだ局の管轄下にあるからね。引き続き君はこちらで管理させてもらう。ここのキーはリアンに送っておくよ」


直後、リアンが腕に装着したナビにマクレーンからのメールが入る。中身を確認すると、新たなデータがインストールされた。これがここの部屋の鍵のようだ。


「じゃあね、仲良くやるんだよ」


手を振りつつ、マクレーンは去っていく。彼女が部屋から出ると、黒い扉は外側から内側に向けてゆっくり白く変色した。空間が閉められたのだ。リアンは魔術師と2人きりになった。


「やれやれ、ようやく行ったか」


彼女は大きく息を吐いた。


「ああ、適当にそこに座っててくれ」


魔術師はソファとテーブルが斜めに傾いた応接セットを指した。リアンはすぐに座ることは出来なかったが、やがて本と服を飛び越えて腰掛けた。金属の肘掛けのついた黄色のソファは体を優しく受け止める。


「リアンだっけ?飲み物は何にする」


「…紅茶でお願いします」


彼女はナビを起動させる。しばらくしてテーブルの表面に魔術陣が浮かび上がり、その上にカップに淹れられた紅茶が転送されてきた。カップは一人分だった。


「遠慮せずに飲んでいい。デリバリーだから別に毒なんかは入ってないよ」


「あなたは…要らないんですか」


「俺は飲めない」


紅茶も人によって好き嫌いがある。彼女はきっと苦手な人なのだろう。淹れたてのような湯気が鼻孔の奥まで豊かな香りを運んでくる。

まったくもって想定外の事だらけだった。元犯罪者と聞いたのでガラスを一枚隔てている部屋かと思ったら、ちょっと高級そうな調度品の揃った部屋と来た。その部屋の主も無精髭を生やした悪どい顔の男ではない。目つきや髪型はともかく、顔立ちの整った美人だ。しかもその女性に紅茶を差し出されている。


ともかく、差し出されたものはありがたく受け取るべきだ。リアンは差し出された紅茶のカップを恐る恐る取って、一口飲んでみた。


「…美味しい」柔らかな喉越しで、丁度良い苦味の中に僅かにフルーツの香りが口いっぱいに広がる。肩から力が抜けるのを感じた。

魔術師は満足げにニヤリとした。


「紅茶の事はよくわからないが、良さそうなものを買ってみた。これからここで働くようなら、お前用のカップと茶葉を用意しなくちゃいけないな」それから彼女はリアンの向かいに大股で座った。





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