メイガストロム
日出詩歌
1章-1 秘密の箱
今朝から首が痛い。仕事が奇妙過ぎたものだから、傾げすぎたのかも知れない。
リアン・ハーウェイは先月に3ヶ月の新人研修期間を終え、保安局カルニ支部局員として初めての任務を任されることになった。しかし配属先は無く、告げられた任務は「要人護衛」とのこと。まったく、研修を終えたばかりの新人に護衛をやらせるなんて、なんともおかしな話ではないだろうか。護衛という仕事は誰かを守る仕事。それはベテランがやるべきものであってまだ実践すら経験していないひよっ子がやるべきことではない。
自分のような新人には、誰でも出来る警備隊とかをやらせておけばいいのだ。それなのに何故自分に仕事が任されたのか。何となく検討はついているが、それにしてもあんまりな人選だとリアンは思った。おまけに護衛対象は訳ありで、只者ではなかった。さらに言うなら、話を聞かされたのは昨日のことだった。
上から下まで真っ白な廊下が、視界の先まで伸びている。壁紙は貼っておらず、無機質な壁を青い発光ラインが一本走っている。もしここに窓をつけていれば、街の景色と木々の緑が一望できただろうに、なんだかもったいない。
もっとも、窓をつけてしまえば潜入されやすくなってしまうし、何より情報が漏れてしまうので仕方のないことではあるが。
その、歩行者のための道という任務を遂行するためだけにある廊下に、カツカツという音が不規則に響いている。そのうち1つ目はリアンの足音。そしてもう一つは彼の前を行く人物のものだった。
エドワルダ・マクレーン。初めて会った時、技士なのだと彼女は言った。若く見えるがかなり位は高いようで、リアンの教官と出くわした時には教官が咄嗟に敬礼をするほどであった。
リアンを先導するマクレーンは廊下のど真ん中で立ち止まった。周囲には扉があるが、そこまではまだ距離がある。
「さて、昨日一通り説明したけれども、改めて君の着任して初の任務の内容を確認しようか」
彼女は薄桃の髪をくるりとなびかせて振り向いた。眼鏡の奥の瞳はいつだって笑みを絶やす事はない。
「君はこれから魔術師に会ってもらう。仕事は主に3つだ。魔術師を護衛すること、魔術師を監視すること、そして火が出たら消すことだ」
それから、リアンの前に三本立てた指をしまった。
「やっぱり、怖いかい?」
「怖いですね。その人についてほとんど説明してもらってないので。ええと、一応服役しているんですよね、その人は」
「そうだね。セキュリティ強化に協力して貰っているとはいえ、元犯罪者だ。別に脅迫されるとか暴行されるとかそんなことは無いと思うけど、もし不審な動きがあれば…」
マクレーンはリアンの左人差し指に嵌められた、魔術仕掛けの青い指輪を一瞥した。
「それで撃っても構わないからね。大丈夫、死にはしないから、安心して欲しい」
マクレーンはまたえくぼを作った。敵意を全く感じさせない、お得意の顔だ。
「頼めるのは君しかいないんだ、頼んだよ」
リアンの肩に軽く手を乗せ、空気のような期待を置いていく。それから彼女は左手に埋め込まれたナビを起動した。手の平の上に青い半透明のスクリーンが従順に差し出される。
「ナビ、埋め込んでるんですね」
「君も入れてもらうといい。預金、連絡先、仕事が手につかなくなった時のコーヒー、いつでも手元に無いと不便だろう?」
親指の動きが止まると目の前に壁に変化が生じた。青白く光るラインが走り、幾何学模様を描く。それがぐにゃりと歪んだと思うと、黒い扉が現れたのである。
「11階オフィスフロア3号室と4号室の間。ここが君の職場だ」
「これは…ホログラムですか?」
リアンは呆気に取られながらも言った。ホログラム映像を使って扉を壁の映像で塞いでいると思ったのだ。しかし彼女は首を振った。
「いいや、空間を捻じ曲げて本来あるべきでない場所に異空間を作ってある。元々ここは部屋じゃなくて壁なんだ。以前脱走騒ぎがあってね、魔術的、物理的諸共より強固にする為にこのような形にした。強い魔術よりも扉を固くしたほうが効果はあるんだけどね。一般に流通してない魔術だから、周りには話さないでおくように」
マクレーンが金の取っ手を握って黒い扉を開けた。
部屋は外の廊下とはまるで違っていた。まず、雰囲気が違う。アイボリーの壁は家庭に使われるものと同じもので、暖色系のシーリングライトの光を柔らかく包み込む。それに赤く燻んだ絨毯、木製の机と、その奥に並び立つ本棚。2組の緑のソファが向かい合ったテーブルセット。まさしく書斎と呼べる空間だ。
空間を捻じ曲げる魔術、外と趣きが異なる部屋。これだけでも驚きだが、リアンは何より部屋の異様な光景に唖然としてしまった。
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