第2章 消せないもの

秋の爽やかな風が雲ひとつない青空に散っていく。石畳の道は足音を彩り、雑踏を賑わせる。

 街路樹の木陰の下を、魔術師とその護衛は潜り抜けていく。


「片付ける魔術とか無いんですか?」とリアン。


「ある訳ないだろそんなもん。そもそも開発するには非効率的なんだ。一つ二つを動かすだけならともかく、あれを全部動かすとなるとな。どれを片付け、どれを片付けないのか、それらをどこにしまうのか。人それぞれニーズは異なる」


グリアの部屋を片付けるのには2時間ほど時間を要した。本は本棚にタイトル順に揃え、服は書斎の隣の部屋にあるハンガーラックに全て吊るす。その他、応接セットをきちんと真っ直ぐに揃え、諸々のガラクタを元の位置に戻した。 彼女は部屋が荒れているのは分かっているが別に片付けなくてもいいと考えているタイプの人間だった。恐らくこの悪癖が直ることは今後一生ないだろう。これからは主に片付けがリアンの仕事になりそうな気がした。


 レンガ造りの家々に、深い緑が映える。この光景は現代となっては珍しい。もっと栄えた都会に行けば、ビル群に囲まれていて木々などはほんの隅っこにしかない。カルニに自然が残っているのは、昔ながらの風景を保護しようとする街の人々の尽力があったからだ。その姿勢はこの街の価値が評価され、観光地となっても変わらない。しかし彼らにもどうしようもないものが一つ。


 リアンはふと背後を振り返った。

 メインストリートの先にそびえたつ塔。

 都会のビルのようにギラギラとはしていない。表面の材質はほかの家々と同じ煤けた色のレンガだ。だがこれはあくまで景観破壊を最小限に留めるためのカモフラージュ。実際の内装はというと、都会に引けを取らないくらい設備が整っていて、仕事のことしか考えないほど淡白であることをリアンは知っている。なにせ今その塔から出てきたばかりなのだから。


「カルニの事はネットで色々見てたけど、実際にはこうなってんだなぁ」


塔から三年振りに地上に降り立った魔術師は、子どもに戻ったような軽い足取りで街を見、空気を吸い、世界を行く。


 2人は賑やかだが騒がしいほどではない街を歩き回った。時折、たまに来る洋菓子店や洋服店などのリアンの知っている店の前を通ると、彼はその都度指差した。ナビで購入出来るからといって、店舗が完全になくなった訳ではない。転移魔術を使う手数料を払うよりかは買いに出た方がいいという意見は常に一定量存在した。

 しばらく歩いて、リアンは聞いてみた。


「逃げないんですか?」


「不本意だが逃げようと思っても逃げられない事情があってね。逃げたところで咎められるのはお前だろ。巻き込むつもりはないさ」


 そこまで言うと何かに気づいたのか唐突にグリアは歩みを止めた。


「グリアさん?」戸惑うリアンをよそに、彼女は目の前の光景に釘付けになっている。つられてリアンもそちらに目を向ける。


広い道の一画にある案内ウインドウにノイズが入っている。微かにぶつぶつと途切れ途切れに切れる音が聴こえる。


そして変化が起こった。


青い画面の上に、一回り大きな魔術陣が浮かび上がった。紫に輝き、いかにも禍々しい。リアンにも見るからに悪いものだと一目で分かる。周囲の人々が異常に気づき、ざわざわと疑問と恐怖混じりに騒ぎ出す。


「危ねぇ!」


グリアが叫んだ途端、謎の魔術陣から何やら黒いモノが顔を覗かせる。

次の瞬間、大量のそれは現実へ溢れ出した。

あるものは飛沫のように高速に散らばり、あるものは泥のごとくぼとりと地べたに落ち。十数体はいるだろうか。黒い体に黄色の目が灯る子犬に似たそれは、グリアとリアンの方へ体を向ける。毛並みや呼吸などの生物らしさを感じない。敢えていうなら穴や染み、または影のように感じられる。


 グリアは上着のポケットから黒い手袋を取り出して嵌める。そしてその手袋の手首の位置と、同じく黒いブーツの側面にあるスイッチをそれぞれ入れた。すると、黒い生地の上にエメラルドグリーンに発光するラインが走った。


「魔術で実体化した攻性プログラム、電子の使い魔、悪意と好奇心の塊ーー」


 黒いモノがグリアに飛びかかる。


「名を、マルノイという」


 魔術師はマルノイを殴りつけた。マルノイは殴られた部分からじわじわとデータに還元され、やがてこの世界から消去されていく。


「誰かによって街のサーバが攻撃されかけてんだ。このままだと実害が出る。マルノイは魔術でしか干渉できない。リアン、手伝ってくれ」


「はい」


これは模擬戦じゃない。実際に起こってるんだ。リアンは手足が強ばるのを感じながら、唾を飲み込んで頷いた。


彼はプログラムに命令を与える。


「ノスナル」


 青い指輪はリアンの音声を正しく認識した。


 世界の何処にも意味は無く、故に誰にも理解されない言葉。しかし今、リアン・ハーウェイが発したこの瞬間だけ、この言葉は意味を持った。


 初めは青い四角が重なったモザイクだった。指輪に記されたプログラムは、リアンの両の手がある位置に徐々に物質を構築していく。2秒ほどの時間でそれは青い2丁の拳銃の形を成す。彼はそれをしっかりと握り締めた。


 マルノイは心を持たない。反撃も復讐も無く、ただ「人を襲え」というプログラムに従い、逃げ惑う人々を追って飛び回る。 リアンはマルノイの群れに向けて魔力弾を撃ち出した。マルノイに当たった弾丸は着弾と同時に電撃を放つ。電撃を受けたマルノイは爆ぜて次々と消えていく。


「流石だな、訓練されてるだけの事はある」


グリアは背後から氷柱を出現させる。氷柱は地へ落ちる時と変わらず、マルノイへまっすぐに突き刺さる。


その時、リアンは違和感に気づいた。

この人、ナビを介していない。

通常、魔術を使うにはナビのスクリーンを開いて専用のソフトウェアから使う必要がある。それなのにグリアは、ナビを開く事も無しに魔術を使っている。

 自分と同じように、アクセサリ型外部装置で操作しているのだろうか。そんな疑問を胸に、リアンは引き金を引いていく。


 彼女は無邪気にステップを踏むように、華麗な蹴りと、一瞬にして生み出される装飾で応戦する。彼女の前ではマルノイ達はなす術もなく蹴散らされていくだけだった。


 しかし次の瞬間、「それ」は魔術師の前に立ち塞がった。


「しまった!」


 リアンが気づいた時には、マルノイの放った「それ」は彼の脇を熱く駆け抜け、グリアの目の前に黒い煙を噴き出して着弾していた。


 彼女の背丈程もない小火だった。水の魔術を使えば街を跳ね歩く年端も行かない少女にだって容易く消せるかも知れない。

 それでもこの世界有数の頭脳を持つ魔術師にとっては、この先の希望を全て閉ざしてしまうくらいの、どうあがいても越えられない恐怖として見えていた。


 グリアは氷像のように凍りついた。目の色がみるみる変わっていく。

 そして全てを理解してしまった彼女は軋み、砕け、崩れ落ちた。

 彼女のひび割れから、悲鳴が溢れ出す。


「グリアさん!くそっ!」


自分でも動揺しているのがよく分かる。ほんの少しの、予想外。それだけで照準はずれ、標的には当たらない。銃のバッテリー残量は段々と減っていく。彼女の心の乱れが、自分にも伝わってきているように思えた。


マルノイはあと2体残っていた。それらはリアンの周りに群がり、行く手を塞ぐ。

1体がリアンに向かって体当たりしてくる。彼はそれを躱し、左手の銃で3発撃ち込む。その内1発が当たって、消滅する。

息をつく間も無く残る1体が迫る。放たれた炎を済んでのところで避け、青紺の髪の先が焦げる。彼はそれに構うことなく、火を吹いた後の隙を突いて撃ち抜いた。


 グリアは地べたに座りこんだまま、頭を抱えて怯え続ける。彼女の目に現在(いま)は見えていない。


「嫌だ…!まだ…死にたくない…!」


彼女は胸を押さえて過呼吸になり、やがて糸が切れた人形のように倒れ伏した。


「カリート!」


リアンの指示で弾丸の種類が切り替わる。今度はそれを炎に向けて放つ。

炎に弾丸が触れた途端、風が吹き抜け一瞬で炎そのものが消滅した。


「グリアさん!グリアさん!しっかりしてください!」


彼はグリアに駆け寄る。疲労か、焦りか、息が荒くなっている。

何度も肩を揺さぶるが、瞼は固く閉ざされたままだ。

魔術師は動かない。

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