第17話 決闘

 人には誰しも身の程というものが存在する。庶民には庶民の。貴族には貴族の身の程というものが。


 そして──互いにその差を理解できないでいると、必ず悲劇が起こる。


 こんな話がある。


 昔々、ダイダロスという非常に優秀な鍛冶師が居た。優秀で賢い彼はある時、画期的な発明をしてしまった。空を飛べる装置である。


 彼にはイカロスという凡人の息子が居た。

 イカロスはその装置を使い、空を飛ぶことを試みた。

 

 空を飛ぶ。とても夢のある行為だろう。

 しかしそれは凡人であるイカロスの身の程を超えた行いだった。


 結果──起きたのは悲劇だった。


 装置の力を過信して高く飛び過ぎたイカロスは、太陽に近づきすぎたために死んだ。


 残されたダイダロスは息子を亡くした絶望に涙した。

 それもよりにもよってダイダロスは……自身の発明によって息子を殺したのだ。

 きちんと引き留めておけば、せめて装置の欠点をもっと詳しく教えておけば。そうすれば息子を死なさずに済んだかもしれなかったのに。


 この話は一体誰が悪いのだろう。

 自身の身の程を知らないイカロスか?

 それともこんな装置を作ってしまったダイダロスか?


 答えは──。


 ◇


「わたしをつかまえてごらん京垓ちゃーん!」


 快活に笑いながら、彼女は私の名前を呼ぶ。


「ちょっ、はや……! はやい……!」


 私はそんな彼女にどうにか追いつこうとするものの、あまり運動が得意ではない私にはどうしても彼女には追いつけなかった。


「あはは! 京垓ちゃんって足遅いんだね!」


「ちょっ、ばかにしないでもらえる!?」


 私は息も絶え絶えに走り出すが、それでも彼女には追いつかなかった。


 十分後、私は大の字で地面に寝っ転がっていた。

 女の子としてどうなのと言いたくなる格好だけれど、そんな事を気にしていられるほどの余裕はなかった。

 人生で初の全力疾走だった。


「ぜっ、はっ……ぜぇっ……!」


「ちょ……だ、だいじょうぶ京垓ちゃん……?」


「いや、これっ、だめ……! み、水を……!」


「ちょ、ちょっと待ってて!」


 みっともなく喘いでいる私に、彼女はあたふたとした顔でペットボトルを持ってきてくれた。

 彼女が持ってきてくれたペットボトルを震える手で受け取ると、何度もむせながら喉の奥に流し込んだ。


「だ、だいじょうぶ……?」


 彼女は心配したような表情でこちらを見つめてくれた。

 私はペットボトルから口を話すと、何とか口を開いた。


「し、死ぬかとおもったわ……」


「うっ……い、いきなり走らせてごめんね……」


「いえ……今まで走ったことがない私が悪かったのです……うぅ、汗が気持ち悪い……」


 私は全身から汗を垂れ流しながら、何とか彼女の方へと顔を向ける。

 先ほどの快活な表情から一転、心配した表情となっていた。


 ──彼女の名前は、あかりちゃん。

 私の初めての友達で、最後の友達。


 ◇


 彼女との出会いは、父に連れてもらったイブキ山だった。

 初めて外に出た当時の私にとって、イブキ山で目にしたすべてが新しくて、楽しくて、人生で初めて高揚感を味わったのを覚えている。

 

 だから。


「あなた、だあれ?」

 

 父の目を盗んで家から抜け出し、山に繰り出した私が彼女と出会ったのは必然の運命だったのかもしれない。


 家族以外の存在との初めての邂逅。

 彼女との出会いは、私にとって大きな意味を持った。


「……私に聞いていますの?」


「そりゃそうだよ! あなた以外誰がいるっていうの!」


 確か、出会いはこんな感じだった。

 予想外の出会いに困惑する私に対して、彼女は矢継ぎ早にいろいろな事を聞いて来た。


「わたしあかり! あなたお名前は何て言うの!? この山で人と会ったの、わたし初めてなの!」


「……わ、私は……京垓家の……」


 ◇


「──ぅっ!?」


 脳が揺さぶられるかのような強烈な違和感。

 直後、喉元まで迫ってきた胃液の感覚に襲われる。

 私は思わず膝をついた。

 

 なんだ? 今のイメージは。間違いなく、アレは──。


「今のが──」


「っ!?」


 すぐ真上で声が聞こえた。

 あの身の程知らずの男の声だった。確か阿僧祇くんはこの男の事を亜門と呼んでいた。

 彼……亜門くんは私の後頭部に手を当てたまま、立ち尽くしていた。


 ──まさか、先ほどの映像は彼の魔法……? 対象の記憶に干渉する魔法だなんて聞いたことがない。

 固有魔法か?


「──そうか。そういう理由で……」


 彼はどこか憐憫の色を浮かべた表情で、私を見下ろして呟いた。

 その、私の底を見透かしたような、同情したような表情に少し苛立つ。


「……貴方」


「見させてもらったよ京垓さん。あんたの過去を」


「ッ──!?」


 彼の言葉に身の毛がよだつ。

 まさか……さっきの魔法は対象に過去の記憶を見せるだけじゃ──。


「『ペルソナリーパー』。対象の心に深く根付いている記憶を追体験させる魔法。その際、術者も記憶を見ることが出来る。これが俺の魔法だ」


「──!?」


 なんという気味の悪い魔法だ。

 人の心に土足で踏み込み、盗み見る魔法など……。

 やはり魔法は邪悪な存在だ。全てこの世から消し去らなければならない。


「……そこまで動けるのか。凄い心の力だ、京垓さん」


「なに、を……?」


「多分、今あんたと俺は同じことを考えている。嫌な魔法だよな。特別魔法が嫌いって訳じゃない俺でも……この魔法だけは好きになれない」


「……」


「だがあんたが参ったというまで魔法を止めるつもりはない」


 彼が言った、動けるのかという言葉の意味がようやく分かってきた。

 まだ、魔法は続いている。脳が揺さぶられる感覚が未だに続く。

 心の平静が保てなくなる。


 そして、脳裏に壮絶な爆発音が響き──夢の中の私は目を覚ました。


 ◇


「京垓ちゃん! 日の出ってみたことある!?」


「……日の出……?」


「ま、まさか日の出をしらない……!?」


「し、知っています! 何故いきなり日の出なのか分からなかっただけで……!」


「なーんだ! もーびっくりさせないでよ京垓ちゃん!」


 彼女は、イブキ山の麓の村に住まう住人だった。年の近い相手がいないという彼女にとって、山が唯一の遊び場だという。

 だから彼女と私が出会ってからはずっと、山の中で遊んだんだ。

 来る日も来る日も、忙しそうにしている父の目を盗んでは山に繰り出して、あかりちゃんと遊びつくした。

 そして一日を遊びつくしては、次の日の事を一緒に考えて一緒に笑っていた。


 だから。

 その日も、朝早くから彼女と日の出を見に行くはずだった。


 けれどその日だけ……父は私を見逃さずに、私を連れてイブキ山から離れようとした。

 私はどうにかして抜け出そうとしたけれど、父の監視からはどうしても逃れることは出来なかった。

 そして脱走を試みた回数が十回を超えた頃。後十分もすれば約束の時間になる頃。

 唐突に父が語り始めた。


「十分後、日の出と同時に……山の向こうからギフ軍が攻め込んでくる」


「……え?」


「私はそれを撃退するためにここに召集されたのだ。お前ももう……六歳になる。見ろ。そして学ぶのだ。私達の戦いを」


 父の言葉に私は血の気が引いた。

 何故なら、ギフ軍が進行する先にはあかりちゃんが居るのだ。

 そして父の言い分を聞くに……そこは直ぐに戦場となってしまうのだから。

 

 私は父に懇願した。戦うのを止めて欲しいと。あかりちゃんを助けて欲しいと。

 しかし。

 

「残念だがお前の願いを聞き届ける事は出来ない」


「……え?」


 私は一瞬、父が何を言っているのか分からなかった。

 そして父は、間髪入れずに言葉を続けた。


「仮にお前の友達を救うために私の部隊を向かわせたとして……一体何人死ぬと思う? 十や二十じゃきかないだろう。お前の友達一人を助けるために死ぬのだ。それが分かっているのか?」


「……え」


「そして……あり得ない事だが、私達が戦うのを止めたとしたらどうなると思う。私達の後ろには戦う事の出来ない人が沢山いるという事を理解しているのか?」


「それ……は……」


「そして何より。ギフ軍がシガの民間人を気にすると思うか? 例え私達が戦わなかったとして、どの道お前の友達は殺される」


「っ……」


 父は有無をも言わせぬ迫力でそう言い切った。

 私は……何も言えないでいた。子供ながらに分かってしまったのだ。あかりちゃんを助けるのが現実的では無いと。


「……」


「……行くぞ」


 父は黙り込んだ私の手を引き、車へと乗りこんだ。


 しばらく走り続けると、後方から強烈な爆発音が聞こえてきた。思わず後方を見てみると、山の頂上が燃えていた。


「……あ、ああ……」


 そこはあかりちゃんと約束していた場所だった。

 もう、絶望しかなかった。せめて、彼女に逃げてと言えていれば。

 違った筈なのだ。彼女が死ぬことは無かった。約束通り、夜明けを見る事が出来たのに。


「……お前の友達の事は知っていた」


「……え?」


 私が絶望に打ちひしがれていると、父が何やら話しかけてきた。


「友達の事は残念だが……しかし必要以上に悲しむ必要はない。彼女一人の命で、お前は命の尊さを学ぶことが出来た。何より──」


 父はそこで言葉を区切ると、私にもう一度後ろを見てみろと言って見せた。

 

「──」


 そこには恐ろしい光景が広がっていた。

 大量の魔法陣が朝日で赤く染まった空を塗りつぶし。無数の光が煌めき。爆発と炎を巻き上げ。イブキ山を跡形もなく吹き飛ばしていた。


「お前は魔法の尊さ、強さを知ることが出来た。よく目に焼き付けておけ。お前が近い将来手にする力だ」


 その、どこか楽しそうな物言いに……私は激しい嫌悪感を抱いた。

 

 何故人が死んでいるというのに……父は笑っているのだろう。

 そしてなぜ、私はこんな危険な力を手にしなければならないのだろう。何故……あかりちゃんの命を奪った魔法を……。


 と、そこでふと違和感を覚えた。

 父は、あかりちゃんの事を知っていたのだ。そして明朝すぐに私を捕まえられたことから、私とあかりちゃんの約束も把握していたようにも思える。


 そこまで考えて──私は気づいてしまった。


 あかりちゃんが見殺しにされたのは、私と友達になってしまったからだという事に。


 

 ──後日。シガ軍がギフ軍を打ち破ったというニュースは国内外に広まった。

 そのニュースの中でも一際異彩を放ったのは魔法による破壊規模の大きさだ。

 

 今までは幾度か他国の国境越えを許してきたシガであるが……異常な形に抉れられたイブキ山の写真が報じられると、たちまちシガ軍の魔法部隊は畏れられるようになった。


 父は諸外国にアピールをしたのだ。京垓家の魔法部隊の強さと恐ろしさを。

 例え平地でいつも通りに撃退していたのならここまで話題にはならなかっただろう。そうなれば今までの平和な十年は無かっただろうし……侵略されてしまう区域もあったかもしれない。


 お陰でここしばらくはギフも周りの国も、京垓家の魔法部隊を恐れてか侵攻の動きはなかった。


 父は正しかったのだ。父のやり方でシガは今日に至るまでの平和な十年を過ごすことが出来た。


 父はあの時。誰よりも正しくて、多くの利益を得られる選択をした。誰よりも賢く、未来の事を考えていた。


 そうだ。

 愚かだったのは私だった。

 私が余計なことをしなければ、あかりちゃんを死ぬことはなかった。

 父は私とあかりちゃんが友達になったことを知って……あかりちゃんを利用して私に教育をしようとしていた。あかりちゃんを攻撃に巻き込んで、私に教育をする為に。


 私が身の程を理解していれば。自分の周りに居る人が、人の命を取捨選択できる立場に居るという事をしっかりと理解していれば。


 こんなことにはならなかった筈だ。


 状況を理解せず、父の役目を理解せず、身の程を知らずに遊び惚けて、結果余計な事をしたツケを自身ではなく友達に支払わせた。


 私こそがダイダロスだった。

 

 ◇


 そうだ。

 私はその日からずっと、魔法を使う事が怖くて仕方がなかった。

 誰かと──触れ合うのが怖くて仕方がなかった。


 身の程を弁えた行動をする。そう自分に言い聞かせて高飛車な態度を振りまいた。

 結果私に寄り付く者は一人も居なくなったけど。

 だけど私はそれでいい。 


 私はラインハルトに下克上をする。


 そして今の体制を組み替える。あの時の父の判断が正しかったと言うのならば。

 私は、世界の方を変えてやる。

 あかりちゃんのような人が、現れなくてもいいような世界に。

 

 例え一人だろうと歩み続ける。


 私が死なせてしまったあかりちゃんに──報いるために!


「ッ……!?」


 いまだに私の脳裏にはあの時の光景が乱雑に再生されている。

 

 しかし。


「っ、があああああ!!」


 渾身の力を籠めて体を動かし、彼の手を打ち払う。

 すると過去の景色は消え去った。


 あの魔法。やはり直接触れなければ発動出来ないようだ。

 

「……」


「……」


 互いに距離を取った私達の間には、奇妙な空気が流れていた。

 彼が、どこか悲しいものでも見るような目で私を見つめていたからだ。


「……貴方も……見たのですよね。私の過去を」


「……ああ」


「なら分かるはずです。貴方が下手に阿僧祇くんと関わった結果、互いに不幸な目に遭う可能性すらあるのだという事も」


 私は諭すように、亜門くんに語り掛ける。


「もうやめにしましょう、亜門くん。貴方がこれ以上傷つく必要もないのです」


「……いや、やめるつもりは無いよ」


 ……しかし、彼に私の言葉は響いていないようだった。

 どころか、先ほどまでのどこかやる気を感じられない彼とは打って変わり、闘気を滾らせている。


 何故? 何故自分から進んで不幸になろうとする。

 彼と不可説天である阿僧祇くんとでは釣り合わない。いずれ必ずしっぺ返しが下る。

 なんでそれが分からない。


「京垓さん。あんたが凄く優しい人だって事は分かったよ。だけどあんたは一つ大きな思い違いをしている」


「……」


「京垓さんとあかりさんが友達になった事は……別に不幸な事でも何でもない」


「……何を言っているのかしら?」


 苛立ちが募る。過去を少し盗み見ただけで何を分かったような口を聞いているのだろうか、彼は。

 

「彼女が……あかりちゃんは不幸ではない? 何を言っているのかしら。私と友達になったから、あかりちゃんは殺されたのよ。これ以上の不幸があるのかしら?」


「……違う。違うよ京垓さん」


 彼はそこで言葉を区切ると、私をジッと見つめてから言葉を続けた。


「あかりさんが幸せでいた瞬間は、間違いなく存在していた。あかりさんはあんたの事が間違いなく好きだった。あんたはその時間も、思いまで否定するのか?」


「……」


 ビキリと、苛立ちが頂点に達する音が聞こえた。


「──どうやら、これ以上の問答は余計なようですね」


「……」


「限界まで痛めつけて……その上で負けを認めさせてあげます」


「……俺にも一つ、目標ができたよ」


 亜門くんは、私の言葉に応えるように語ると、構えた。


「俺は負けない。その上で……あんたの考えを改めさせてやる。友達になるのに身の程なんて気にしなくてもいいってことを」


「……」


 互いの考えは平行線。となれば、自ずと取れる手段は限られてくる。

 

 そうだ。

 今この瞬間からが……本当の意味での決闘の始まりだ。

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