第12話 手汗

「……」


「……」


 気まずい……。

 俺は肩を縮こませながら授業を受けていた。

 目の前には俺の事を睨み付けてくる京垓さんが居た。


 何故。何故、実習はA組と共同なんだ……!

 しかも、実習室の班で一緒なのが京垓さんって……! 運が悪すぎる……!


「ではまず、実習に入る前に軽く召喚術式についての説明をしよう。分かっている者も多いだろうが……初めて使うという者も居るかもしれないのでな」


 授業を担当しているのはイケおじ様な先生だ。例にもれず魔力量が多そうな顔立ちである。

 

「召喚術式、と一口に言ってもその種類は大きく分けて二つに分けられる。モンスターや人、物質などを召喚するための召喚術式と、魔法を召喚するための魔法召喚術式だ。君達が学ぶこととなるのは後者の魔法召喚術式だ」


 先生は説明を続けている。その間も京垓さんは俺の事を睨み付けてくる。

 可能な限り京垓さんを視界に入れぬよう、授業に集中する。


「魔法召喚術式。ラインハルト様が作り出した非常に優秀な召喚術式だ。この術式の登場で世界の戦争は様を変える事となった」


 京垓さんちゃんと授業受けているのか? 俺の事睨みすぎだろ。

 授業は聞いたほうが良いって。


「そう戦争だ。君たちがこれから学ぶのは人を殺しうるモノであるという事をよく理解して授業を受けて欲しい。『魔法召喚師』の卵として節度ある運用を心がけるように」


 ほら、先生もむやみやたらに魔法を使っちゃいけないって言っているよ。

 すると京垓さんも流石に先生の方に視線を向けた。しかしすぐにこちらを睨みつけてきた。


「さて……前向きはこれくらいにして……授業を始める。今いる班で二人組を作ってくれ」


 二人組……? 先生は恐ろしいことを言い出した。

 自分の班の人たちを見回す。

 皆、異様な雰囲気を放っている京垓さんと、そんな京垓さんに睨まれている俺から離れていた。

 そして今にも爆発しそうな火薬庫を見つめるように、ちらちらとこちらを見ている。


 俺が目を向ければ、彼ら彼女らはそそくさと自分たちだけで二人組を作った。


「……」


「……」


 つまり……俺の相手は……その……。


「……よ、よろしく……」


「よろしく」


 京垓さんはにこりと威圧感たっぷりの笑顔で頷いた。

 笑顔は結構可愛かった。


 ◇


「では作った二人組で手をつなぎなさい」


 中々ハードルが高い事を要求してくる先生だな。

 流石は国内トップクラスの魔法高校……!


「まずは事前準備として、魂を起こす。これは既に魔法召喚を行った事が有るものは飛ばしてくれて構わない。あくまでも使った事のない者だけやってくれればいい」


 マジか。ここからやんの? この学校本当にトップクラスか……?

 高いハードルからの低いハードル。その落差に思わずガクッとする。


「……あれ?」


 しかし教室で数人手をつなぎ始めた。

 見れば数弥も手を繋いでいる。あいつ魔力使った事ないのか。

 少し意外だった。何せ数弥は阿僧祇家……魔法召喚師の名家の子供だ。既にある程度魔法を使えるものと思っていた。


「はい」


「……?」


 なんて思っていたら、何故か京垓さんが俺に手を差し出していた。

 ん……?


「貴方どうせ魔力使った事ないでしょう? 不可説天である私手ずから貴方の魂を起こしてあげましょう」


 何故か親切を働かれた。まぁ俺の容姿は普通だし、魔力量も伴って少ない。今まで魔法を使ったことが無いと思われてたのだろう。しかしその親切は余計なお世話。俺は既に魂を起こしているのだ。

 だが、ここで無碍な扱いをすれば余計に謝りづらい状況となってしまう。これ以上機嫌を損なわれないよう、最大限に下手に出ておく。


「いえ……僕魔法召喚した事有るので大丈夫です……」


「……」


 なんて思惑を働かせて言ってはみたものの、京垓さんはずっと手を差し出したままだ。

 いやあの。俺は魔力使ったことが有るから大丈夫だって。


「……」


「……大丈夫ですんで」


 もう一度京垓さんに言うも無視され続ける。


「……」


「……」


 『魂起こし』。

 魔力を使った事がない者が、魔力の元となる魂を起こして使えるようにする為の儀式。

 一般でも容易に手に入れられるような教本にすら書いてある初歩の初歩。しかも魂を起こすこと自体はすぐにでも出来るらしい。

 先生もよくこんな所から始めるなと思ったほどだ。


 京垓さんだって、別に俺が魂を起こしていても特別おかしいとは思わないだろう。態度だってこれ以上なく下手に出ているんだし、強がりで言っている訳じゃ無い事くらい分かる筈だ。

 だというのに彼女は手を差し出したままだ。


「……」


 なんか……流石におかしくないか? だんだんと疑問に思ってきた。

 もしかして京垓さんって魔法召喚したことが無いのか……?


 いやまさか。

 一般人よりも魔法召喚師としての適性が高く……そして魔法召喚師の名家でもある『不可説天』の京垓さんが、十五年の人生の中で一度も魔法を使わなかったなんてことは有り得ないと思うんだけど。

 

「……何よ。早く手をつなぎなさい」


「いえ、ですので……僕はしなくても──」


 だが、よくよく考えてみれば阿僧祇の数弥もさっき『魂起こし』していたな。

 ……あれ、これもしかしてもしかするのか? 


 気付けば実習室でまだ『魂起こし』をしようとしているのは俺たちだけになっていた。

 徐々に京垓さんも恥ずかしくなってきたのか、顔が赤くなってきている。


「……」


 何を言っても京垓さんは手を引っ込めそうにない気がしてきたので、しょうがなく俺は京垓さんの手をつないだ。


「っ!?」


 ──瞬間、感じたのは尋常じゃない彼女の手汗だった。

 だくだくだ。ぐっしょりだ。マジかよ。正直ちょっとアレな気分になる。しかしこの状況で手を外すわけにもいかず……俺は京垓さんの手汗を我慢した。

 何なんだ……京垓さん凄く緊張しているぞ。


「……」


「……」

 

 みんなが見守る中俺たち……というか京垓さんの魂を起こす。


 『魂起こし』。二人組で行うそれは非常に簡単だ。

 まず互いに手をつなぐ。互いに瞑想し、自身の魂に呼びかける。もう片方も同じように相手の魂に語り掛ける。そして徐々に魂の脈動をより確かなものとして魂の起動を完了させる。それで『魂起こし』自体は完了だ。

 

 それだけ? と思うだろう。俺も最初はそう思ったが、実際それだけで魂は魔法を使える状態になる。

 教本に書いてあったことだが……魂というものは影響を受けやすい。

 それは例えば……命の危機だったり、誰かとの交流であったり、強烈な愛であったり、法で自信を律する事であったり。魂というのはこれらの要因で自然的に起動することも有る。

 そして魂を人為的に起動させるのに一番実現可能かつ容易なものは誰かとの交流で起動させる事。


「……」


 だから手をつなぐ。手をつなぐと言うのは誰かとの交流に置いて、気軽に行えるものの中で最上位クラスに存在する……らしい。

 俺にはこの誰かとの交流における最上位行動の項はよく分からなかった。普通に仲良くなるだけじゃダメなのか? 普通に仲良くなるのも交流の最上位に値するだろ。

 まぁともかく手を繋いだ状態で魂に語り掛け、起動を促すのだ。


「……」


「……」


 しかし俺はもう、京垓さんの手が気になって仕方なかった。


 この手を繋いでやる方法が確立されたのはもうずっと昔の事で、誰が考え出したのかは分からないらしい。俺は昔の人を恨むよ。相手の手汗が凄い場合はハグとかでも可みたいなことも言っておいて欲しかった。


「……」


 京垓さんは若干青ざめつつも、凄い真剣な顔で瞑想していた。魂に語り掛けているのだろう。俺も彼女の魂に語り掛けて京垓さんを手伝わなくてはならないのだが、どうにも集中できない。


 いっそ京垓さんに手汗を指摘して間にハンカチでも噛ますか……? その方が集中できそうだ。


「……」


 でもこんなに人が注目している中指摘するのはアレだ……彼女の名誉にかかわる。既に最大限に彼女を貶めている身として、これ以上は本気で決闘になりかねない。

 

 なので我慢する。例え手汗が凄くても俺は我慢するよ京垓さん。


「……!?」


 何て思ってた直後、京垓さんが手の絡ませ方を変えてくる。

 彼女の手汗で手が変にスースーして集中できない。


「ちょっと! 集中してよ……!」


「す、すみません……」


 彼女が小声で俺に注意してくる。

 すみません。

 頑張ります。


「……」


「……」


 今度からはちゃんと頑張って可能な限り集中して京垓さんの魂に語り掛けてみた。

 しかし。


「……っ」


 どうも彼女の反応が悪い。

 京垓さんは青ざめていた顔を更に青くさせながらも、更に難しそうな顔で自身の魂に語り掛けている。

 ……なんか、様子がおかしくないか? 彼女の額には脂汗も浮かんでいた。

 

 魂に語り掛ける……とは言っても、手を繋いで語り掛けている側はそれを知覚する事は出来ない。

 つまり俺には京垓さんの魂が今どういう状況になっているのかは分からないという事だ。

 魂を知覚し、起動させるのはあくまでも京垓さんだ。

 今の俺に出来るのはただただ無心に京垓さんの魂に語り掛ける事のみ。


 だが。


「っ、はぁ、はぁっ……!」


「……あの、大丈夫ですか……?」


「う、うるさい!」


 やはり結果は芳しくない。


「……ふむ。君、これ以上は時間がかかる。一旦そこで起動をやめなさい」


「……はい」


 そしてとうとう先生からストップが掛けられてしまった。

 え? もしかしてこれ……俺のせい? 俺が集中できなかったせいなのか?

 ふつふつと罪悪感が湧いてくる。不味いよこれは。魂の起動が出来ないって相当最初の段階だぞ。失敗する方が難しいと言われるレベルだ。実際、俺達以外の人達は皆短時間で成功させている。

 京垓さんは不可説天だ。誰がどう見ても、彼女ではなく俺に失敗の理由が有ると思う。俺だってそう思う。失敗の心当たりも有る。


 京垓さんの手汗だ。非常に申し訳ないがそれが理由で集中できなかったタイミングが確かにあった。

 

「……」


「……」


 どうしよう。手汗の事指摘して後でもう一度すべきか……? しかしこの流れでこれ言ったら流石に殺されるのでは?


 貴方の手汗がちょっとあれしてて集中できなかったよ。手を拭いてもう一度してみよう。


「……」


 駄目だ殺される。

 クソッどうすれば……!


 俺は先生が授業の説明をしている間、ずっと手汗の対策について考える羽目になった。


 だが──。


「京垓君。そして……一君だったか。一君には申し訳ないが、京垓君の『魂起こし』が出来るまで彼女に付き合ってくれないか?」


 対策が思いつかぬまま、先生直々に彼女と『魂起こし』に付き合えとのお達しが来てしまった。

 俺は先生のどんな生徒も見捨てない精神と素早い対応に感動した。そして絶望した。

 まだどうやって彼女との間にハンカチを噛ませるかを思いついていないのだ。


 そして。


「……」


「……」


 結局、俺も可能な限り集中して魂に呼び掛けていたのだが、授業が終了するまで彼女の『魂起こし』は出来ずに終わってしまった。


 もう本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 今度から彼女とは組まないようにする。これ以上は彼女の迷惑になってしまう。


「……」

 

 彼女の手から解放された俺は、自分の手に視線を落とす。

 

 ──俺の手はふやけていた。

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