第10話 那由多

「……」


 俺はもう、本当に頑張った。

 もう一度頑張って学校までたどり着いた。


「……」


 もっとも夢界の時の俺とは違いバスを使えたので体力的には余裕がある。そして精神的にも余裕がある俺には、今の状況をしっかりと考えられた。


 夢界の時は気付けなかったが、既に授業は始まってしまっている。つまりあの性格のキツそうな美人先生も授業中という事なのだ。


「……」


 自宅学校間フルマラソンを終えた後の疲れて焦りまくっていた俺とは違い……今の俺には冷静な判断力が有る。

 ちょうど後十分くらいたてば授業が終わる。そんな中途半端な時間に先生を邪魔して教室に入るよりも、休み時間の間にもろもろの処理をした方が色々と都合がいい。


 という訳で適当なところで時間をつぶそう。


 ◇


「……はぁ」


 なんやかんやで、結局普通に遅刻してしまった。

 まぁしてしまったもんは仕方ない。今後は可能な限り遅刻しないように気を付ける。

 そんなことを思いながら、校舎内の休憩スペース的な場所の椅子に座る。

 

「……」


 携帯をいじる気にもなれず、ぼーっと空を見上げながらほてぷの事を考える。

 結局、あいつは何なんだろうな。


 アイツの言う事を全て信じるつもりはないが……他に何の情報源もない状態だ。

 誰かに夢界のことを相談するか……?


「……」


 この学校の教師だったらもしかしたら……何か知っている人もいるかもしれない。

 魔法召喚師の真髄に携わるような人たちだからな。


 だけど先生ですら知らなかったら……俺は頭のおかしい事を相談しに来る新入生という事になる。

 初対面というのは大切なものだ。それも今後数年を共に過ごす教師たちで……しかも大抵は魔法召喚師として非常に地位のある人たちだ。そして魔法召喚師として地位があるという事は社会的にも地位のある人たちという事になる。

 初日に遅刻した上に狂言を触れて回るような学生、などと思われるのは嫌だ。


 結局、相談したことが信用されないことが怖くて誰にも言う事が出来ない。


 そうなると頼れるのはほてぷのみだ。


「どうしたもんか……」


 このジュウを持たずに眠る。それだけで向こうには行かなくなるのなら俺もここまで気にはしないのだが……別に持っていなくても普通に向こうに連れてかれた前例がある。


「はぁ……」


 本当に、俺はこの学校でやっていけるのか。

 というかこのままだと学校生活どころか日常生活にも普通に影響が出るんだが……。


 と、憂鬱な気分で俯いていると視界に影が差した。

 なんだ? そう思って面を上げる。


 視界一杯に超絶美人が広がっていた。


「!?」


 だ、誰だ……?

 疑問が頭を駆け巡る。


「……」


 どこか見覚えがある顔に不思議そうな表情を浮かべている彼女は、俺の事を上から見つめてくる。


「あ、あの……」


「……あっ! ご、ごめんなさい!」


 とりあえず声をかけてみると、彼女は謝りながら俺の上から離れると、俺の目の前まで移動した。


 背格好は俺よりも頭一つ分くらい小さい。だがそのスタイルは豊満だった。身体の凹凸が出づらくなってる制服でここまでくっきりさせて来るとは……これにはシャッポを脱がざるを得ない。


「ふぅ……ごめんなさいね。まだ授業中なのにこんな所に居たのが気になっちゃって……」


 そう言って正体不明の美人さんは俺に謝ってくる。

 どうも、俺が授業をぶっちしているのが気になったそうだ。

 ……しかしそれを言うのであれば彼女の方も気になる。

 彼女の格好はこの魔法高校の制服だ。しかも付けているバッチからして俺とは違う学年の人のようだ。


 だがそれだと余計に謎だ。なぜ上級生がわざわざ俺のような普通の顔の下級生に声をかける……? 上級生がわざわざ声をかける下級生なんて、大抵は魔力量が多い美男美女だけかと思っていたが……。


「はぁ……あの……それであなたは……?」


 思わず聞いてみる。すると、彼女はあっと呟いたかと思うと、やっちまったみたいな顔になった。

 そしてすぐに自己紹介を始めた。


「私! 那由他真由ぅ……です!」


 ピースサインを手に掲げ、それを目の横に持っていったかと思うと、ばちこんとウインクを決めつつポーズをとった。

 そして異様なテンションで自己紹介を始めた。


「この学校のぉ……生徒会長です!!」


「……」


 きゃるーんという効果音が出そうなほどのテンションだ。


 マジかこの人。


 そしてこの人の既視感の正体を思い出した。

 そうだ。入学式の時、在校生からのなんたらで喋ってた人だ。

 そうかこの人が生徒会長か。


「……」


 マジかよ。大丈夫かこの学校。前年度は選挙に行かない人が多かったのかな?


「……」


「……」


 互いに無言が続く。那由他会長の方は恥ずかしいポージングをしてるので会長の方が大変そうだが。ちょっとプルプルしている。


「……あ、あれ? もしかして……滑っちゃった、かな……?」


「……なんとも言えないっすね」


 何故初対面の人にこんなフォローを入れなくてはいけないのか。

 それとも俺が知らないだけで、この人毎回こんなノリなのか……。

 だとしたら大丈夫か生徒会。

 顔を真っ赤にさせながらあたふたしている那由他さんを見ながらそんな風に考える。


「ご、ごめんなさい……。元気が無さそうだったから、こうやれば元気が出るかなって……弟なら何時もこれで喜んでくれるんだけど……。失敗しちゃったわね」


 そう言って苦笑いを浮かべながら謝ってくる。


 凄く良い人……。


 那由他さんに対する印象が一気に反転しながら、じわじわと罪悪感が湧いてくる。

 あんな無茶なノリさせたの俺のせいじゃないか。本当に申し訳ねぇ。


「すみません」


「? なんで君が謝るの?」


 本当に不思議そうな顔で言う那由他さん。

 そしてすぐに気を取り直したように俺に近寄ってくる。


「ねね、それよりも……隣、座ってもいい?」


「え? いいっすけど……」


「じゃあ座らせてもらうね!」


 玉を転がすような笑顔を浮かべながら俺の隣に座る。

 隣に座るとき、那由他さんからふわりと良い匂いがした。近い。凄く近い。この距離感は色んな事を勘違いしてしまう距離感だ。


「ため息ついてたけど……何かあったのかな!? 私、生徒会長だから相談に乗るよ!」


 しかも欲しかったものを的確に明示してきてヤバイ。

 コロッと夢界のことを相談しそうになってしまう。しかし夢界のことはまだ言いづらい。


 俺は軽くジャブを放つように質問を飛ばす。


「あの……遅刻しちゃって……こういう時どうすればいいっすかね」


「それなら担任の先生に言えば大丈夫だよ! 私も何回か遅刻しちゃった事あったけど、それで大丈夫だったから!」


 まさかの経験則。

 生徒会長なんだし、そういうのって事務的な知識で知ってるもんだと思ってたわ。


「……」


 なんて思ってたらふつふつと疑問が湧いてきた。

 そう言えばこの人なんでここにいるんだ。この人も遅刻……? いや、そんな感じには見えないな。

 だとしたら何故……そもそも何で生徒会長がこんな所居るんだ?


「あの、聞いてもいいっすか?」


「? どうしたの?」


「いえ、気になっただけなんですけど……その、那由多さんは何でここに? 授業の筈では……?」


 そう聞いてみると、那由多さんはああ、と言いながら語りだした。


「それはね……生徒会の特権なんだよ」


「特権?」


「生徒会に入るとね、授業が免除されるんだ」


 え、何その特権。


「そして研究室を与えられて、学校から予算を貰って研究が出来るの」


「……凄いっすね」


「ね! 私も初めて聞いた時はたまげたわぁ~」


 昔を思い返すように頬に手を当てて呟く那由多さん。凄い軽いなこの人。

 というか授業免除で研究って……。なんか、想像していた生徒会と違うな。


「で、私もさっきまで研究室に籠っていたのだけど、ちょっと行き詰まっちゃって……それで気分転換に外に出てみたら、君が居たってわけ!」


「なるほど……」


 生徒会の特権というのは初めて聞いたが……那由多さんがここに居る理由は分かった。

 なんて考えていたら、ふわりといい匂いが鼻をくすぐった。

 那由多さんがただでさえ近い距離を更に近づけて来たのだ。


「な、なんすか……」


「うむむ……なんか顔色悪いねぇ……本当に大丈夫? そんなに先生に言いに行くのがつらいなら、私も付いていってあげよっか?」


 思いもしない提案にギョッとする。そして次に湧いてくるのは疑念だ。

 この人があまりにも親切すぎる。俺この人に何かしたか? 何故俺にここまで構う。


「いや、流石にそこまでやってもらうのは悪いっすよ……」


 那由多さんが浮かべる表情に裏は無いように見える。真剣に心配している顔だ。

 普通に考えれば裏は無いだろう。

 しかしつい最近怪しさ満点の相手と会話してたからか、裏を勘ぐってしまう。


「……」


「……」


 謎の緊張感が俺と那由多さんの間に生まれ、俺達は何故か息がかかるほどの距離で見つめ合っていた。


 ゲロ吐きそうだった。


「……別に、私は気にしないよ? 生徒会長だし!」


「……」


 むんっ、と気合を入れるようなポーズでそんな事を言う那由多さん。


 嫌に生徒会長という地位をちらつかせてくるな。

 やはり何か思惑が有るのでは……?


 思考を走らせる。那由多さんが俺に借りを作らせたとして、彼女に一体どんな利益が有るのか。


 そうして思考を重ねるうち、俺はある事を思い出した。


「……」


 普通に流してたけど……那由多さんって……。


「あの、つかぬことをお伺いしますが……那由多さんって、あの『』ですか……? 『』の……」


「……」


「っ……」


 息がかかる距離。そんな距離で、人の顔から完全に感情が消え去る瞬間を目撃したのは初めてだった。しかも相手は魔力量が多そうな超絶美人だ。無表情の迫力は俺の人生でも随一だった。


「なんでそんな事を聞くのかな?」


「……単なる疑問っすね……」


 俺がそう言うと、那由多さんは俺から離れた。

 気を悪くさせてしまったのだろうか。……いや、俺の質問は普通に失礼か。家の事というプライベートな話題だ。初対面の人に聞くべき事じゃなかった。

 

「……不躾な質問でした。すいません」


「……もうっ! 本当だよ! 私と話してるんだから、私の家は関係ないでしょ!」


 と、那由多さんはぷんぷんと怒ったような表情になる。

 無表情からまた先程の様にころころと表情を変えていく。

 

「……はい。すみません」


 俺は取り敢えず下手に出る。

 と、丁度そのタイミングで授業終了のチャイムが鳴り響いた。


「……授業も終わったようですので、俺はこれで失礼します。先生に言うのは一人で大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」


 ささっと立ち上がり、那由多さんに頭を下げる。


「ええ!? あ、頭を上げてよ! 私何もして無いし……」


「いえ……それでは」


 下げていた頭を上げると、那由多さんはあたふたと手を振っていた。そんな那由多さんの姿は、俺に何か不利益を与えようとする人には見えなかった。

 しかし頭をもたげるのはほてぷのあの笑顔だ。アレが今も脳裏をよぎり、その度に恐怖を覚える。


「……」

 

 笑顔の裏に何が隠されているのか。俺だって、表面と内心を乖離させる事ぐらい何度もしてきた。

 分かっているつもりだった。

 だけど違った。分かった気でいた物に対して、現実を突きつけられたような気分だった。

 

 那由多さんは今もまた笑顔を浮かべている。

 その裏にあるものへの判別が、俺には全くつかなかった。

 

 俺はもう一度軽く会釈すると、そそくさとその場を退散しようとした。


「ねぇ!」


 しかし那由多さんに呼び止められた。


「……なんですか?」


「君の名前! 教えてよ!」


「……」


 そう言えばまだ言って無かったな。

 俺は少し歩みを止め、すぐに返した。


にのまえ亜門あもんです……」


 俺は最高にイケてる名前を那由多さんに披露しつつ、あの性格のキツそうな美人先生のところまで走っていった。

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