第9話 ジェネレーションギャップ

 ほてぷは暫く、俺が何故初日にここに来れたのかを考えてくれていたが、結局何も分からなかった。

 

「すまんナ」


「いや……どうすればここに来れるのかは分かったし、別に謝るほどの事じゃ無いよ」


 ぶっちゃけ聞きたかった事ってそれだけだし。

 まぁ確かに、何故入学式の時に夢界に来てしまったのかは謎ではあるが……。


「ともかく。今後はジュウを持ったまま寝ると夢界に行ってしまうという事だな」


「あア。もっと具体的に言えばレム睡眠に入るト、だけどナ」


「レム睡眠……?」


 なんか聞いたことが有る言葉だ。

 浅いほう眠りで、夢を見ることが出来る睡眠だ。


「それでサ……ニノマエ」


 と。ほてぷに名前を呼ばれた。

 彼女がずいっと身を乗り出して、俺に顔を近づけてくる。


「君から聞きたいことはもう終わりかナ?」


「え、ああ。最後に一つ──」


 言いかけた所で蛇に睨まれた蛙の様に、体が硬直してしまった。


「……」


 彼女が、笑っていた。

 ただそれだけで、全身がすくみ上った。


「……」


 ほてぷはただ微笑みかけているだけの筈なのに……俺には何故か、彼女が笑っているとは思えなかった。


 以前、俺が見た綺麗な笑顔とは真反対の……威圧的な笑顔だった。何故彼女がいきなりそのような表情になったのかは分からない。しかし俺にはその威圧感に歯向かう事が出来なかった。


「……いや……大丈夫だ」


 彼女は俺の言葉を聞くと、今度は何の含みもなくにっこりと笑顔を浮かべた。


「そうかそうカ。でハ……私の方からも幾つか聞きたいことが有るんダヨ」


「……」


 俺が言いかけた事。それはほてぷの事だ。

 この夢界のルールが彼女の説明通りだとして……ほてぷ自身はどうなるのか、と。


「……聞きたい事?」


げんせの事を教えてくレ」


 未だに彼女の顔を覚える事は出来ない。

 一目見たら忘れることが無いレベルの美貌だと言うのに。

 異形の存在だと言われれば……俺はそれを信じてしまうだろう。


「……」


 ほてぷ。

 お前は一体……何なんだ?

 


 ◇


「何故ってそりャ……気になるからだヨ?」


 彼女に何故現世での事を聞くのかと訊ねてみた。すると返って来たのが先の言だ。


 気になるって。今までのいやに親切な彼女と違って、妙に不気味で怪しげな感じだ。

 そしてそう思えば思うほど不信感が増してくる。


「まぁ……良いけど」


 だが、彼女がここの世界の事を教えてくれたのは事実であるし……命の恩人でもあるのだ。

 彼女の頼みを無下にはしたくない。


「しかし何をどこまで教えればいい? 俺の知る事なんて大したことはないし……それにもう遅刻は確定だろうけど、可能な限り早く学校に行きたいぞ俺は」


 もっともそれは学業に支障をきたさない程度でだ。

 保健室にかかっている時計を見る。正直そろそろおいとましたい。


「あア、そうだネ。君が住んでいる国の事や、『魔法』の事を教えてくれれば十分サ」


 それに、と彼女は言葉を続ける。


「夢界と現世には時差が存在すル。ここでの一時間は向こうでの十分ダ。時間の事は気にしなくても構わないヨ」


「え、なにそれ」


 マジかよそれ。

 

「本当サ。君は前回一時間くらいここに居ただロ? でも向こうでは一時間も時は過ぎていなかった筈ダ」


「……あれ? 確かに……」


 そういえばそうだった気が。

 あれ? じゃあそんなに時間気にしなくても──。


「もっとモ、時差は変動したりするからネ。常に十分で一時間という訳では無イ。二十分で一時間の場合も有るシ、五分で一時間の場合も在ル」


「……可能な限り迅速に説明するわ」


「頼むヨ」


 確かに話を聞く限りこの世界って不安定っぽいけどさ。時差まで不安定になるか普通。

 いや、夢界の事なんて全く分からんけど。

 ちくしょう凄い不安になる事を言いやがって。


「えーっと……じゃあまずは俺達が今いる国……シガ国について説明するわ」


「……?」


「そう、シガ国。県王ラインハルト様を筆頭に、『魔法召喚師』が他国と比べてとても強い国だな。国土の実に六分の一程をビワ海が占め、漁業も結構盛んなんだぜ」


「……滋賀、国? 県王……ラインハルト……?? 琵琶海???」


「あと、観光名所は何と言ってもビワ海の中央に浮かぶ王都は人生で一度は見ておくべきだな!」


「んン……? ……の、上に王都……?」


「あとは……まぁ、他にも良い所はいっぱいあるよ」


「……」


 だいぶ簡略化したがシガ国の概要は伝えられたと思う。

 

「……色々と聞きたい事は有るんだガ……まず一つ良いカ?」


「なんだ?」


「滋賀国って事ハ……他にも国とか国とか国とかモ……有るって事カ?」


「まぁ……あるけど。それがどうした?」


 いきなり外国の話をされると詰まるよね。しかしホッカイ道国はともかくとして、オオイタ国とか変なチョイスだな。確かキュウシュウ大陸の国だった……気がする。

 別の国の名前なんて有名でもなきゃわざわざ覚えてないからな。


「あ、それと正確にはキョウト国ではなくキョウト府国だぞ」


「……そうなんダ」


 ほてぷは先ほどの威圧感がどこへやら。凄い疲れた様子で考え込んでいた。


「どうかしたか?」


「……いヤ、結構重めのカルチャーショックガ……」


 なんか大変そうだな。

 まぁ夢界とかいう世界で、現世と関わらずに生活していればこうもなるか。ほてぷからしたら初めての現世の情報かもしれないし。


「……大丈夫か?」


「……大丈夫。……うン、大丈夫ダ! 次は県王とかいうラインハルトって奴について教えてくレ!」


 どうにか持ち直したのか、彼女は質問を続けた。


「ラインハルト様ね……。正直あんまり情報は無いんだけどな」


「エ? 国家元首……なんだロ?」


「そうだな。百年ほど前からずっとこのシガ国の王として君臨している」


「ひゃ、百年……!? 人ってそんなに生きれるようになっていたのカ!?」


「や、それはラインハルト様が特別なだけだ」


 うむむと頭を捻らせる。

 本当に……ラインハルト様については情報が少ない。謎多き御方だ。


 いや、別に露出が少ない方では無いのだ。普通に民の前に出たりはするし、百年前の写真も残っている。

 実は俺も一度ラインハルト様を見た事が有るが、確かに昔の写真と姿かたちはほぼ変わっていなかった。


 しかしラインハルト様の詳細な情報は全く世上に回ってこない。

 百年前からずっと国王という話を疑っている人も当然居る。今のラインハルト様は影武者だとか何とかという感じの都市伝説も存在している。

 それくらい、ラインハルト様の情報は秘匿されているのだ。


「うむム……ラインハルト……一体どんな奴なんダ? というかラインハルトって名前も気になル。あまりいない名前だロ?」


「正直に言おう。全く分からない。人となりすら不明だ」


「……そんな奴に王が務まるのカ?」


「結構何度も反逆されてるが人気は有るぞ」


「嘘でショ……」


 そう。ラインハルト様は何度も謀反を起こされる。


 いや……なんならラインハルト様は謀反を推奨している。


 先にも言ったが、魔法召喚師というのは個人が持つには不相応なほどに力が有る。

 故に彼らは、たまに馬鹿な考えを起こし、自らが王になろうとする。そして怖い事に別段不可能な事では無い。


 そしてそれはラインハルト様も例外では無い。


「別にラインハルト様が無能な訳じゃ無い。ラインハルト様は自身が成り上がって王にまでなられた方なので、むしろ謀反を推奨しているんだ。文句のある奴は殺しに来いってな。しかも自分を殺すことが出来ればすぐにでも王にすると公式に王令を出しているんだぞ」


 だからこそ、ラインハルトの百年に及ぶ治世の中では両の手で数えきれないほどの『乱』が起こされた。

 もっともそれらは全てラインハルト様の手によってすぐに鎮圧されて行ったが。


「百年だ。ラインハルト様は実力でその地位を守り続けてきた。そして何より……他国からこの国を守り続けてきた。だからこそ、ラインハルト様の情報が不透明でも民からは一定の人気が有るし、慕われている」


「……」


「だからさほてぷ。俺はあまり気にしないけど、あまり人前でラインハルト様を呼び捨てにしちゃいけないぜ」


「……分かっタ」


 それだけ言うとほてぷは黙り込んでしまった。


「どうした? また重めのジェネレーションギャップか?」


「明日に響くレベルで激重なジェネレーションギャップだヨ……」


 結構暗めな声色だった。ほてぷ、本気で何か考えこんでるな。


「……魔法召喚師」


「ん?」


「最後に魔法召喚師について教えてくレ。チラッと言ってただロ? 魔法召喚がどーとカ」


 魔法召喚師。これも知らないのか。

 っというか──。


「ほてぷ。お前、『魔法召喚師』じゃなかったのか?」


「エ?」


「いや、八尺とか言う奴やコップとかに固有魔法使ってたじゃないか。あれ、魔法だろ?」


「……いや、まァ……魔法といえば魔法ではあるけド……エ?」


 やはりあの空中浮遊や八尺の足をへし折ったのは魔法らしい。

 ……だけど、妙に歯切れが悪いな。


「……取り敢えず『魔法召喚師』について説明するな?」


「頼ム」


 やはり夢界と現世では色んなものに対しての認識が大きく違いそうだな。

 そんな事を考えながら説明を続ける。


「『魔法召喚師』ってのは……まぁ、読んで字のごとく魔法を召喚する者たちの総称だ」


「……『魔法師』や『召喚師』ジャ、ないのカ?」


「魔法師……? 召喚師……?」


 魔法師と召喚師。どちらも特に聞いた事は無い。まぁ魔法召喚師をそういう風に縮めて言う人も居るかもしれないが。


「いや、聞いたこと無いな。もしかしたらそういう風に呼ぶ人も居るかもしれないけど、広く一般的な名前は『魔法召喚師』だ」


「……そうカ」


「そうだな。一つ魔法を見せるよ」


 発動させる魔法は、前回使った戦闘用の魔法ではない。

 練習用の非戦闘魔法だ。


「【世界に晒せ】」


 魔力を巡らせ、魔法召喚術式を起動する。そしてそれと同時に俺の指先に小さな魔方陣が生み出される。

 準備は整った。魔法を発動させる。


「【チャッカ】」


 ポッと、ロウソクの様な小さな炎が指先に灯った。


「それガ……?」


「そうだ。これが魔法召喚だ」


「……」


「……」


 何故か場に沈黙が降りた。

 何か俺の魔法に不備が有ったか……? も、もしかしてチャッカじゃショボすぎたかな。

 などと心配していたが、彼女の疑問は別の所に有ったらしい。


「なァ、その魔法ってどこから召喚してるんダ?」


 なるほど。魔法の出どころが気になるのか。

 ふむ。確かに気になる。そりゃそうだ。自分の指の上で揺れてる炎が一体どこから来ているのか。気になるに決まっている。


「俺はそれを習いにこの魔法高校に来た」


「……知らないんだナ」


 しょうがないじゃん。


 俺の魔法召喚の知識って参考書一冊に満たないレベルだよ?

 タイトルは『初めてでも出来る魔法召喚 ~入門編~』だ。


 この参考書、非常に見やすいし分かりやすいのだが……あくまでも使い方の参考書であって、魔法召喚の構造についてはほとんど触れることが無かったのだ。


「まァ、分からない事を無理に聞くつもりは無いヨ」


 俺があたふたと心の中で言い訳を繰り広げていると、俺のあたふたを読み取ったのか、彼女は軽く苦笑しながら続けた。


「ありがとウ。君のお陰で最近の事について色々知れタ」


 先ほどの威圧感のある笑顔とは違う……何の含みのない笑顔だった。


「……いや、俺の方こそ。ありがとう。そしてごめん。色々と教えてもらったのに……俺の知識不足であまり教える事は出来なかった」


 その笑顔を見ていると凄い申し訳なくなって来る。

 結局俺が伝えられたことって子供でも分かるような事ばかりだ。

 本当に大丈夫なのかこれで。


「気にしないでくれヨ。私も同じようなもんだったし、知識不足はお互い様サ」


 くつくつと笑う彼女に、俺もつられて笑みを浮かべる。


「さテ……そろそろ君も急がなくては本当に遅刻しちゃうのでハ?」


「あ……そうだ。どうすればここから帰れるんだ?」


「簡単サ。夢界で眠りにつけばいイ」


 ほう。


「そうする事で現世へと繋がり、向こうに帰る事が出来る」


「なるほど……」


 俺はちらりと自分の座っているものに目を向ける。

 

 眠るのに誂え向きなベッドだ。


「そのベッドは使ってくれて構わないヨ。さサ、寝たまエ」


 彼女はそう言いながら俺をベッドに押し倒した。

 思わずドギマギとする。


「おやすミ……また来てくれヨ?」


 だけど、何故か彼女の言葉を聞いてたら不思議と眠たくなって来た。

 そしてそのまま意識が遠のいていき──。


 ◇


 目が覚めると、俺の自室だった。

 時計に目を向ける。

 九時になるかならないか……それくらいの時刻だ。


「ふっ……」


 結局普通に遅刻だわ。

 

 俺は夢界でやったように、全力で服を着替えるのだった。

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