『僕と千暁とトリと時々──ところできょう晩なに食う?』・漆

「良かったねーそういうの近くに売ってるお店があって」

 ねえ陽ちんと台所で食器を洗いながら同意を求めるトリに対して、陽はそうだなと返事をしました。心ここにあらず、随分と無味乾燥な声色でした。その視線は、残金的な意味でもはや死に体と化した財布に注がれております。

「トリくんヤバいよ。店入ってソッコー狐耳の美少女フィギュアだったら何でもいいんでくださいだよ? マネできないわー」

 千暁は、陽が大枚をはたいたフィギュアのうち一体を手に持って、まじまじと観察しています。そういえば、彼は球体関節人形や絵画などのアート方面に造詣があるのでした。幾分畑が違えど作品としてのクオリティ的な意味で、何か惹かれるものがあるのやもしれません。

「アニメやゲームのタイトルとかじゃなくて、マジのピンポイントだもんな。というか、何で一緒に行った?」 

「社会見学。とりあえず、ピンクと肌色がいっぱいだった。色彩の暴力って感じ」

 へぇーと半ば魂の抜けた返事をする一方、陽はなおも財布とフィギュアの間で視線を泳がせております。

 まさか──女の子なのにお洋服が選べないなんて可哀想でしょとかいうイケメン的提案から二体も買うことになるとは思いも寄りませんでした。

「元気だしなよぉ~陽ちゃん。ほら、八分の一スケールの狐耳付き美少女だよ? 雄のロマンじゃん」

 陽の諭吉と引き換えに手に入った器──妖狐ようこと淫魔のハーフという中々にこじらせた設定のキャラクターフィギュアに自らを宿した狐は、今胡坐をかいた陽の膝に座って足をぷらぷらさせています。

「エライ雄の性癖絞ってきたな。あと、誰のせいで元気失ってると思ってんだ」


「──元気にしてほしいの?」


「目を妖しく細めるな。ちろりと舌を見せるな。なぁ、お前絶対神の使いじゃないだろ? 偉いヤツたぶかして国傾ける系のアレだろ?」

「あー、狡い! 俺にだけ聞こえないからって皆で何かすっごいエッチな話してるでしょ!」

「してねぇわ!」

「正確には今からしそうだよー」

「話をややこしくするな。そして女狐は黙って変なところに手ぇ這わせんな!」

 陽は、立て続けにツッコミを終えてから、盛大な溜息をつきます。一体、何がどうしてこうなったのやら。

 親指が巨大化するという珍事から、一同はワケあって狐の新たな憑依先を探すことになりました。てっきり千暁は彼女を"お掃除"対象とみなしているものかと陽は思っていましたが、彼の出した提案は意外にも狐を生かすものでした。


 ──狐や狸は仲間意識強いから。何らかの組織に属してるってなると一匹を弾いたとき、後々厄介なんだよ。だから僕らの今後を思えば、生かしとくのが無難かなって。


 話し合いの末、狐耳の生えた美少女フィギュア買えば万事解決じゃね──という結論に辿り着き、現在に至ります。

 当初フィギュアの代金は割り勘にしようとトリが提言したのですが、そういった界隈の相場に全く無知だった陽は、フィギュアぐらい全額自腹を切ると突っぱねてしまいました。前言撤回すれば、今からでもトリは間違いなく割り勘してくれるのでしょうが──。

 それがわかってしまうからこそ、陽は頑なに発言を曲げる気が致しませんでした。


 餃子パーティーも無事──かどうかは各々見解が分かれるところでしょうが、少なくとも一名たりとも負傷者が出なかったという意味では難儀なく終わり、現在居間には陽と狐、一人と一匹だけしかいません。

 陽は、すでにシャワーを済ませていました。──はい、ただの寝る準備です。あっという感動詞の後ろにカッコ書きした察しを付け足すことで茶化す必要はありません。頭の後ろで手を組み仰向けになった格好で、彼はトリとしたやりとりを思い出していました。

 ──ふと、思ったんだけどさ。トイレに神棚ってなかった?

 ──は? 何でそんなもの。


 ──そりゃわかんないよ。俺が祀ったわけないんだし。けど、絶対置いてあったと思う。


「絶対か──」

 言われてみると、確かにトイレの棚に何かを置いていたような、そんな気がしてきます。ただ、一向に細部が、大まかな輪郭さえ思い起こせません。何かを覆い被せている機会でも多かったのでしょうか。そう、たとえば──。

 暗幕とか。

 つい、小さく吹き出してしまいます。仮に神棚を祀っていたとして、そこにしょっちゅう暗幕をかけなければいけないってどんな風変わりな習俗だよ──と。

「陽ちゃんってラッキーだよね」

 俄かに狐が口を開きました。両手で頬杖をついた彼女は、今陽の隣に寝そべって時折足を上下に遊ばせています。

「──皮肉で言ってんのか」

「違うってば。だって、体質に理解のあるトリちゃんがいるし、いざってときは隣に千暁ちゃんが住んでるでしょ? あたしも喚んでくれたのが陽ちゃんでホントツイてたって思ってるよ」

 陽は、右手の親指に結ばれた糸を見ました。半日そのままにしていれば、悪いものが行き来する穴は塞がる──と千暁は言っていました。

 確かにツイてる方なのかもなと陽は思います。千暁とトリ、それに加えて姉という絶対的存在。自分がどちらかと言えば平穏無事な毎日を送れているのは、まさに彼らあってこそなのでしょう。


「都合良いくらい揃ってるよね。人材が」


 どこか含みのある言い方に、陽は何だよと真意を掘り返そうとします。されど狐は、何でもなーいとそっぽを向くだけでした。

「この家に喚起されたのって、あたしが初なの?」

「それは──」

 ぱちり。

「ああ、そのはずだけど?」

 言葉にしながら、どうにも違和感を覚えます。


 何故、疑問形なのでしょう。

 お前が初めてだと断言できなかったのでしょう。


 狐はそっかそっかと頷きつつも、何やら得心のいかぬ表情を浮かべております。もっとも角度の都合上、その顔が陽の瞳に映ることはないのですが。

「それより今日は疲れたよー。ぼちぼちお休みしなーい?」

「そうだな──ってオイ」

 陽は、さも当然のように寝床へ入ろうとする狐の尻尾(ただしどう見ても狐ではなく悪魔のそれ)をむんずと掴みました。

「ひぎぃ! いきなり何さぁ?」

「いや、掴んだことは謝るけどせめてもっとカワイイ感じの──まあいいや。お前の寝る場所はそこじゃねぇ」

「えー。じゃあ、どこで寝ろっていうの?」

「訊かれたらそりゃ困るけど──そもそもお前って睡眠必要なの?」

「必須じゃあないけどぉ、久しぶりのお喚ばれなんだしさ~。布団、横になりたいじゃん」

「あー、気持ちはわからんでもないけどよ」

 ここで気持ちはわからなくもないと半端に同意を示してしまうあたりが、陽の陽足る所以ゆえんなのでしょう。何のこっちゃという感じですが、その辺りはどうかニュアンスを汲んでいただければ幸いです。

「結局ンとこさぁ、あたしのこと襲っちゃいそうだから同衾どうきん拒否ってるんでしょ? そりゃああたしは見ての通り美少女だけど、つっても八分の一スケールに発情って上級者過ぎない?」

「お前、もはや神の使いって設定遵守する気ないだろ。わかったよ」

 陽は、観念して先に寝床へ入ります。狐が寝ているところへ後から入るのはすこぶる抵抗があったからです。わかればいいのよーと言って、狐は寝床に潜り込むと何の躊躇いもなく陽の正面を陣取りました。距離的に、ほぼ腕の中と言って差し支えありません。


「──フツー背中合わせだろ」


「それ、返ってお預けし合ってるみたいで変な空気にならない?」

 とはいえ、家主がそうおっしゃるのであれば致し方なし。狐はぼやきながらも、陽の躰を乗り越えて、背後に回ろうとします。ただ、意図してやっているのかで越えてゆくものですから、必然ぬくもりやらやわらかさやら、ささやかな凹凸までも体感してしまうわけでして。

 咄嗟に狐の肩を掴もうとして──サイズ的にそれは無理だヘンなところまで掴んでしまうと即判断して、人差し指で彼女の肩をつっつきました。

「いい。正面にいろ。というかいてください」

「──頼まれたんじゃあ仕方ないなぁ」

 狐はにんまりと勝ち誇ったような笑みを浮かべて、陽の腕の中に戻ります。稲荷神様とやら、本当にこれが使いで大丈夫なのでしょうか。

 陽は、目をぎゅっと瞑りました。

 相手は八分の一。相手はフィギュア。相手は人外。自分の性癖は普通。

「陽ちゃん、うるっさいんだけど」

 心の中にのみ留めていたつもりが、知らず声に出ていたようです。言わねーと眠れねぇんだよともはや言い訳ですらない、自分でもよくわからない理屈を喋り散らかしながら、陽は目を開けました。

 しばし、上目遣いの狐と見つめ合います。

 さっきまでの悪戯っぽい眼差しではありませんでした。

「──どうした?」

 ううんと小さくかぶりを振って、陽の服の胸元を控えめに握る狐。


「明日になっても、あたしのこと忘れないでね」


 陽は、僅かに目を細めました。それから、瞼を閉じてこう言おうとしました。

 ──お前みたいな濃いキャラ、何をどうしたら忘れられるんだよ。

 ぱちり。

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