『僕と千暁とトリと時々──ところできょう晩なに食う?』・陸

 陽は、千暁に電話をかけてカエルと一戦交えた件について報告しました。

「大変だねぇ。そのうち家の中に居場所なくなっちゃうんじゃない?」

「十分あり得そうな未来予測止めれ。──今晩泊まりか?」

「そだよー。なあに? 寂しい?」

「あー、ようわからん」

「ありゃ意外な反応。マジでお疲れじゃん」

 陽は何かを言語化しようとして、結局短い吐息に換えました。トリに打ち明けた正体不明の同居人について、もう一度千暁に相談しようと思っていたのですが、内容から考えても直接会って話した方がわかりやすいだろうと判断したのです。

「で、どうするの?」

「何が?」

「カエルだよ。明日僕が帰って消したらいいの?」


 ──消す。


 千暁の声色は、平素と寸分違わぬものでした。

 陽は、カエルの方を──否、正しくは王子の方を見ました。そう、一体何がどうしてこうなったのやら今カエルは人間のうら若き王子の姿をしているのです。ええ、本当に何が起こったのやら。

「いいや。何か無害そうだし」

 陽にとって、自分でも意外な言葉が口を衝いて出ます。

 無害──。脳裏をジジイの姿が過ぎります。それなら、あれは? 有害──だったはずです。事実トイレの使用を妨げられたのですから。それでも、今になって思えば。


 他に、やりようがあったのかもしれません。


「ふーん、珍しくない?」

「そう──でもないだろ」

 陽は、アンティーク風の椅子に腰掛ける王子から視線を切りました。

「前にも忠告したけど、後になってやっぱ消せって言うのはナシだからね。根があちこちに広がったモノを抜くのって面倒臭いでしょ?」

 何より土が抉れると後始末に困るんだよねぇ──と千暁は愚痴っぽく補足します。

 陽は、ああと返事こそすれ、実のところ千暁の言っている全てを理解しているわけではありません。ただ、肝心な部分は押さえているつもりです。そもそもこうした言い回しを用いている以上、千暁自身詳しく説明する気はないのでしょうし。兎角一度存在を許した以上、もう王子コイツとは簡単に別れられない。そういうことなのだろうと陽は理解しました。

 通話を切ったところで、王子が口を開きます。

「父上。今のは?」

「お隣さんだよ。──ただの世間話だ」

 そうかと言って、王子は慣れた所作で紅茶を口にします。得心がいった──という顔ではありませんが、それでも追求する気はないようです。

 お前を"掃除"するか否かの話し合いをしていたなどとは言えませんし、言うつもりもありません。ところでよ──と前置きして、陽は尋ねます。


「お前、何で僕のことって呼ぶんだ?」


 鬼神を喚起した経験は数あれど、父親呼ばわりされたのは初めてです。

 王子はティーカップをソーサーに置いてから、徐に腕を組んだあと、

「知らん」

 と真顔でかぶりを振りました。

 いや、知らんて。

              ※

 翌朝、メッセンジャーバッグを開けた陽は、そこにあるはずのものがないことに愕然とします。箸置きが二つとも──ない。どこかに仕舞った憶えはありません。間違いなくバッグに入れたままだったはずです。

「嘘だろ──」

 一瞬、王子のことが頭を過ぎりましたが、よく考えるまでもなく彼が箸置きに触る──物理的に干渉することは不可能なのであって。そういえば、王子は今どこにいるのでしょう。彼の半身とでも言うべきメルヒェンなテーブルと椅子、ティーセットの類も見当たりません。

 四つん這いになって失せ物を捜す陽の脳裏に、ふとあるイメージが浮かび上がりました。

 黒い無地のジグソーパズル。二つのピースが、ゆっくりと引かれ合う光景。

 どうして、こんなイメージが。そんな疑問に、気を取られているうちに。


 ぱちりと、ピース同士が合わさって。


「えっ?」

 陽ははたと手を止めました。辺りを見回したあと、別段痒くもないうなじに手をやって、一人こう呟きました。

「何捜してたんだ。僕」

              ※

 ある日のことです。千暁が餃子パーティーしたいなぁーとメールを寄越してきました。宛先にはトリも含まれておりました。

 陽としては、何が哀しゅうて男三人で餃子イチから拵えて焼かねばならんのだとツッコミたいところでしたが、そういえばトイレの一件を片付けたお礼まだ貰ってないんですけど──とそこそこ痛いところを突かれたので、結局開催する運びとなりました。何故か、陽の家でです。

 千暁が餃子の皮をのばし、陽とトリがそれに餡をつめていきます。そう、麺棒で皮を伸ばしているのです。てっきり市販の皮を使うものだと思っていた陽は、千暁がビニール袋に入れた生地の塊(本人曰くすでに三〇分寝かせたもの)を持って現れたとき、おのが目を疑いました。ウチじゃ皮から作るんですぅーという言葉通り、千暁のセッティングは手慣れたもので、今テーブルにはシリコンマットが、床には打ち粉などで汚れないようにとシートが敷かれております。


 ──いや、だからどうしてこう大がかりなことを他人ひと様の家でするのか、コイツは。


 一足早く自身の役割を終えた千暁が、大きく伸びをします。ちなみに今日の彼は指先まですっぽり隠れるほど袖の長いTシャツを着ていたので、今はふわもこ素材のリストバンドで捲った袖が落ちないよう固定しています。もはやどこから見ても隙のない女子でした。

 千暁がちょっとトイレーと言って居間を出て行ったところで、トリはヒダを作る手を止めました。

「そういえば、アレ話した?」

「アレ?」

 陽は、トリを含む直近の記憶を辿ります。初めて訪れた喫茶店。苦かったマンデリン。カウンターの自分にしか視えない女。そして──。

 眉間に、シワが寄ります。いつも通りの雑談をしただけのように思うのですが。

「えっ、アッキーに相談したいことがあるとか言ってなかったっけ?」

「どう──だったかな。大した内容じゃなかったんじゃねえの? 忘れたくらいだし」

「えー、まあ陽ちんが言うなら別にいいけど」

 トリは、ちょっと不満げに唇を尖らせます。とはいえ、その口振りからして、彼もまた相談の中身までは記憶にないようで。

「いかん。集中し過ぎてぼーっとしてきた。ルートビアキメるわ」

 立ち上がり、台所に向かう陽の背中に、好きだねーそれとトリが声をかけます。

「トリも飲むかー?」

 要らないでーすという彼の答えにまあ遠慮すんなってーと返しつつ、粉まみれの手を洗ったあと棚から二つグラスを取り出します。舞うような筆触タッチで描かれた藍色の狐。

 首を──傾げました。こんなグラス持っていたでしょうか。

「そういうハラスメント的な布教の仕方嫌われるよー。──陽ちん?」

「あっ、いや」

 何でもないと言葉にしかけた、その矢先。陽は──危うくグラスを落っことしそうになりました。グラスに触れた右の親指に、唐突な熱を感じたからです。何事かと親指を確認して、心身ともに硬直しました。千暁がトイレから出て来ました。

「千暁」

 陽は、サムズアップをしてみせます。

 千暁は幽かに目を瞠ったあと、手を洗ってから短く息を吐いて──同様にサムズアップをしました。

「親指キモイんだけど」

「──ああ、僕も心底そう思う」


 二人の目には、フランクフルト大に巨大化した陽の親指が映っていました。


 何だなんだと廊下にやって来たトリは二人の顔を交互に見たあと、頭に疑問符を浮かべたまま、両手でサムズアップをしてみせます。急にどうしたこの男はと言いたげな陽と千暁の眼差しを受けて、トリは怪訝そうな面持ちでこう言いました。

「あっ、もしかしてこれ奇数人数じゃできないゲームだった?」

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