『僕と千暁とトリと時々──ところできょう晩なに食う?』・肆
大学入学をきっかけに一人暮らしを始めて半年と経たない頃でした。
行きずりのファストフード店で軽い夕食を済ませた陽は、一人商店街を歩いていました。行き交う人は疎ら、もはやシャッターを閉めたお店がほとんどで、道の脇には明日業者が回収に来るのであろうゴミの山がわんさと積まれております。
真っ直ぐ家路に就くでもなく、何とはなしに遠回りをしておりました。体質上引きこもってる方が比較的安全なのでしょうが、あくまでも比較的です。刺激に晒されさえしなければ絶対安全──というものでもありません。
こうして歩いているだけでも──陽は様々な怪異に遭遇します。が、彼らの存在はいずれもあえかなるものでした。
どうも──人口密度が高いところは低いところに比べて湧きやすい一方、決まった形状を保つことが困難なようでした。雑多な環境から得られる情報量が多過ぎるのかもしれません。
商店街を抜けました。本通りを挟んだ、向かいのカラオケボックスの近くで──。
女の子が、男三人に絡まれていました。はい、どうあがけどサークルの姫とその取り巻きには見えません。十中八九
案の定、聡明足る通行人の集は見て見ぬ振り。別段冷酷な反応だとは思いません。何せ陽もそれに倣うのですから。とはいえ、気になるものは気になるものでして。つい、歩くペースを落としてしまいます。
年齢は陽と同じか、もしくは僅かに下でしょうか。男たちは皆陽より厳つい躰つきをしています。対して女の子の方はと言えば、いかにも最新スイーツ事情に目がないといった感じのカワイイ系でした。よく見れば、腰回りが少々ふっくらしているので若干標準体重をオーバーしているかもしれませんが、その肉付きもまた──。
ええ、妄想を膨らませている(えっ? 膨らんでるのは本当に妄想だけかなって? 安直に下品! 喝ッ!)場合ではありませんでした。兎角彼女は今、悪漢たちの一挙手一投足に怯え切っているわけです。恐らく女の子に非はないのでしょう。否、仮にあったとして──公の場で一人の女に男が寄って
道路を隔てていることもあり、話の内容までは聞き取れませんが──三人のうち女性の行く手を阻むのに積極的なのはどうも一人だけのようです。残る二人は、止めてやれよーなんて言っていますが、にやけきった顔付きからしてどうせ口だけです。この手のタイプはいざしょっぴかれたらいやぁジブンは止めたんすよージブンはとか
通せん坊に熱心だった男が、女性の二の腕に手を伸ばしました。
そのときです。見覚えのある男が、その間に割って入ったのは。
──
陽は、思わず足を止めました。
周りにいた幾人も、露骨に歩調を緩めて事態に注目します。
琢也は、飄々とした態度で男たちと、そして自分の背後に立つ女の子に何やら喋りかけています。琢也が、軽く女の子の肩を押しました。女の子はぺこぺこと頭を下げたあと、何度か後ろ髪を引かれるように振り返りつつも、足早にその場を立ち去ります。残った琢也は、ジェスチャーからして何とか男たちを
健闘のかいむなしく、肩をがっちり組まれるや人気のない路地へと連れ込まれてしまいました。
「──マジか」
そこで嘴を容れてしまうのか。鳥越なだけに。
──(忘れろビームッ!!)にしてもイケメンで身を呈して女庇うとか、どんな教育受けたらそんな人間に育つんだ。人生二週目か。
琢也とは特別仲が良かったわけではありません。語学の講義で偶々隣合って座った、それをきっかけに講義室の外でも喋るようになった、その程度の間柄でした。
本来ならばまるで話が合わない相手なのだろうな──と陽は度々思うことがありました。琢也は同じ大学に通っていることが不思議なくらい頭脳明晰だったので(加えて容姿も良くファッションセンスも陽からすれば大分尖っていたので)。だから、陽は以前どうして彼がここを志望したのか尋ねてみたのですが。
──ホントは第一志望が別にあったんだけど、マークシート一個ずつずれてたみたいで。
事実なのか冗談なのか、まるで他人事みたいなその笑顔から、判別することはできませんでした。
キャンパス内でこそ陽と一緒にいることがほとんどでしたが、どちらかと言えば琢也はキャンパス外に人脈を持っているようでした。実際、大学の外で彼と約束をして遊んだような憶えはなく、その辺りはインテリジェンスな会話を楽しむ相手が他にいたのかもしれません。
一風変わった思考の持ち主は人を引き寄せる。
小学生の頃に視え始めて以来、極力人との関わりを避けてきた自分が然程抵抗なく受け入れてしまっている時点で、自分もまた琢也に引き寄せられている一人なのだと陽は思っています。
通行人の足取りは、いつの間にか普段のペースに戻っていました。再生速度がスローから標準へ設定し直されたようでした。
けれども、陽の時間は。いつまで経っても、一時停止されたままで──。
車のタイミングを見計らって道路を渡りました。家路に就くに当たって、横断の必要がないことはわかっていました。助けられる見込みなんてありません。殴る蹴るの喧嘩なんて──人並みに経験こそあれど、決して強くなんかありません。
ただ、じっとしてはいられませんでした。
振り返れば、遥か後方には標準速度で流れる雑踏。自分だけが時間軸の違う世界に飛び込んでしまったような、そんな高揚感にも似た何かを覚えます。
──望むところでした。早くも遅くもない足取りで路地に入ります。わざと臭く後頭部を掻きながら、陽はこう言いました。
「すみません。その人ぼ──俺のツレなんですけど」
陽の唇の片端が、盛大にひくつきました。
舐められちゃマズいと思って、ついイキッた一人称使っちゃったわーといった感じでしょうか。壁を背に座り込んでいる琢也の前に立つ男は、何だコイツと言いたげな睨みを陽に効かせます。少しばかり酒気を帯びているようでした。
陽は、ざっと男たちの顔を見て──悟りました。
あっ、とんでもねぇタイミングで乱入しちまったと。
なぜなら、とっくに男たちはその場を立ち去ろうとしていたからです。琢也も鼻血を垂らしながら、ぽかんとした顔でこちらを見ています。適当に痛めつけて、おいつまんねぇなもう行こうぜ──という流れになりかけていたところで、いきなり加虐衝動の発散対象のツレを自称する男がのこのこやって来たわけです。
どんな目に遭うかは、もはや言わずもがなでしょう。
近付いて来た男が、陽の胸倉を掴みました。身長差のせいで、陽は軽く爪先立ちになります。
「何か言ったか。チビ」
いやお前がデカいんだよ童顔のクセに図体ばっか育ちやがってバランス悪ィ男だなと陽は心の中で精一杯の悪態をつきます。
さて──いざこうなると、何だこんなものかと思っている自分に陽は気付きます。これなら姉と目を合わせる方が、遥かにおっかないというものです。とはいえ、勝てるとは一言も申しておりません。ただ、怖くはないという感情があるだけの話です。
とりあえず、肚を括りましょう。琢也が鼻血で済んでいるあたり、二、三発殴られればそれでお終いのはずです。多分。
琢也の方を見ました。苦笑いを浮かべておりました。余裕あるなオイ。というか、充分動けそうです。どうせ他の二人は俺らは悪くありません要員なのですから、自分に敵意が向いているうちに逃げればいいものを──。
そう思った矢先でした。
ぞぞぞっと、陽の背筋を
目線をついと左へ動かします。壁に寄りかかる、何故か前輪の無い放置自転車の傍、凝り固まる影の中で"何か"が蠢いていました。
霧です。黒い霧が海原のようにうねっています。
霧は、すでに陽と男の足許に、そして琢也の周囲にまで忍び寄っていました。
陽は琢也に向かって、
「息止めろぉ!」
と声を張り上げます。
琢也に向かって──と言っても振り向いたわけではありません。
このとき、陽は霧がそれまでの緩慢さがフェイクだったかような俊敏さで、男の鼻腔に滑り込むさまを見届けていました。だから、琢也がそれを自身への指示だと咄嗟に理解して、鼻と口を塞いだのはほぼ奇跡でした。
──念のため補足しておきますが、この陽と言う男、元より対処法を知っていたわけではありません。ただ、そうすれば何とかなるんじゃないかと思い付いたから口にしてみた、それだけの話です。
男が、陽の胸倉から手を離しました。指は小刻みに震え、いつの間にか顔中に汗の玉が吹き出しております。男の手が、ゆっくりと拳をつくって──。
鈍い音が、路地に響きました。
ドラマや映画のSEとは一線を画す、正真正銘人が人を殴る音でした。
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