第32話
突き刺さった。どうして年を経た人間に言われるよりも年下の人間に言われたほうが傷つくのだろう。素直すぎる子供の一言が時に胸をえぐるあの感じにも似て、私は和哉の一言にこれまでになく打ちのめされていた。それでも笑った。ぐさりと貫通した痛みなどないと、貫通した事実すらなかったとでもいうように笑うのだ。
和哉は台所に視線を向けた。台所ではいつものように、章が皿を洗っている。機嫌がいいのか、調子はずれの鼻歌を歌っていた。
まったく似ていない兄弟だ。章がいろんなことを包み込む性格なのに対し、和哉は直截だ。だが和哉は章のことが好きだ。兄貴なんてと言いながら、嬉しそうに章の話を聞いている。だからこそ余計に許せないのだろう。そう思った。
「言わないから」
「へっ?」
和哉の瞳は私を弾劾した。言わないと言いながら、その目は私を強く責めていた。戸惑いや葛藤は全くない。非難だけがそこにあった。
それなのに、章には告げないという。それが理解できず和哉を呆然と見ることしかできなかった。頭の中はぐるぐるとめぐり、考えは何一つまとまらなかった。
水道の音が止まった。章が車を取りに外に出ていく音がした。
ぐるぐると思考はめぐる。混乱する中、それでも和哉から目をそらすことだけはできなかった。
目を背けたら、兄への気持ちすら、後ろめたいものだと、自分自身で認めることのような気がした。たとえそう思っていたとしても、幼さと大人の狭間の人間独特の潔癖さから目を背けたらいけない気がした。
和哉が顔をそらした。
「ばっかじゃねえの。あんた自分がどんな顔して兄貴の前にいるのか分かっていないのかよ」
「どんな顔って ――」
マンションの階段を上がってくる足音がする。和哉は強く睨んだまま口をつぐんだ。
「おーい。車持って来たぞ。準備できたかあ」
「はーい。今行く」
慌てて荷物を引っ提げ玄関へ向かった。和哉は何も言わなかった。
「あ」
「どうした」
車が動き出して気づいた。
「桑の葉忘れた」
「戻るか?」
笑え。
「大丈夫、あと一日分くらいならあるから」
「そうか」
鞄を強く握りしめた。いつもと同じ、二人のだけの車。心臓をしめつけるような感覚に今までとは違うのだと感じながら、必死で次のセリフを探し続けた。
他愛ない会話がこんなにも難しいものだと、初めて知った夜だった。
それからも、章とは桑とりに行って三人で食事をとった。和哉は相変わらず厳しい目で私を見るが、それだけだった。そんな日が続いた。
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