三齢

第30話

終業式の日はあっという間だった。


子供たちの蚕はその後、一匹も死ぬことなく順調に育ち、夏休み中は各自持ち帰ることとなった。幸い桑はいたるところにあるので、これから一番食欲旺盛な五齢をむかえても餌に困ることはないだろう。子供たちは自分の蚕の成鳥の早さを自慢したり、逆にいつまでたっても齢を重ねてもなかなか大きくならないと心配したりしていた。




「先生たちってのは本当学校がすきなんですねえ」




夏休み初日、職員室にいる先生に職員室の窓から体育倉庫の鍵を返しにきた少年野球の監督が教務主任と話していた。


怒涛のような学期末が終わっても仕事は終わらない。子供がいない分の仕事は減るが、だからといって仕事がないわけじゃない。こういうときに授業の教材を用意したりしているのだ。羨ましそうに職員室を眺め空を見上げた。




「今日はプール、どうですかねえ」


「ああ、そうですねえ」


「天気予報はばっちりなんですけど、どうも雲行きが怪しいんですよねえ」




空は八割方雲。怪しい。校舎の北側にあるプールは日中でも水温がなかなか上がらない。そのため午後からプールの時間は午後からだけだ。




「かといって、夏休み初日からプールなしっていうのもねえ。ないですって連絡して午後から晴れてもねえ」




どう思います。誰にとはなく口にすれば、そこかしこで思い思いに声が上がった。




「高井先生、そろそろ」


「はい」




ぎょろ目の山本先生の声に席を立ち会議室へと向かう。夏休みの科学作品をやる子供たちの相談に乗るのがこの七月中の午前中の仕事だ。自由研究を何したらよいのか分からない、という子供の相談にのったり、やりたいことがある子供にはアドバイスをしたりする。例年理科の先生が相談に乗る。子供の声のしない校内をぎょろ目と一緒に歩く。会議室の窓を開けると、机の上に資料になりそうな本を置いて、用意した椅子に座って子供を待つ。




「蚕はどうですか」


「順調ですよ」


「夏休み中の世話は」


「思ったよりも子供たち蚕に夢中で全員持ち帰りました」


「そうですか。あなたの家のは」


「二匹は孵りませんでしたけど、あとは順調に育ってますよ。途中で死ぬこともなく」




一匹は私が殺した。




「そうですか」


「なんですか」


「いえ、暑いですね」




窓を開けても冷房のない部屋は蒸し暑かった。山本先生は席を立ち、開いた窓から外を眺めていた。


十一時になっても子供は一人も来なかった。初日から自由研究のことを考えられるほど計画的な子供ならアドバイスなどたいてい必要ないものだ。




「ああ、やっぱ先生や」




隼人とカケルだった。家も近い二人は隼人の「蚕消えた事件」をきっかけに仲良くなったらしい。夏休みは共同で蚕の研究をするのだと張り切っていた。




「蚕の研究することにしたけど、ただ観察するだけじゃ面白くないからさ、なんかおもしろいことしたい」




皆と同じただの観察に隼人は興味がないらしい。椅子に座ると隼人はしゃべりだした。




「そやろ。やっぱ俺らの蚕が一番じゃないとな」


裕は蚕を自慢したいらしい。子供ながら親バカな飼い主だ。




「そしたらこいつが蚕の糞で布染めようっていうからさ。ためしに砕いて水に混ぜて布つけたけど、洗ったら全然染まってなくてさ」




糞で布を染める。そんなこと考えもしなかった。




「どうして蚕の糞で布を染めようと思ったの?」


「だって蚕が食べるのは桑だけだから、桑なら染められるから」




隼人は一度の失敗でカケルに何か言われたらしい。口ごもりながらも自説を唱えた。




なるほど。確かに葉緑体はある。それが蚕を通すことでどうなっているかによるが、そのままならばできないこともないだろう。


そんなのできないよなあ。カケルは半信半疑だ。




「それができるかできないかを調べるのが研究でしょ。簡単に答えを聞いたらずるじゃない?」




自分が知らないのを棚に上げて先生面をしてみる。




「そんなん分かっとる。だけど、実験したって、蚕の糞だって限りがあるしさ。失敗少ないほうがいいし。ホウコウセイを間違えたらだめだって」




なあ。カケルは隼人を振り返った。なるほど、彼らなりに考えているらしい。だが、生憎と正解は分からない。




「それでさ、先生布どうやって染めるの。」


「図書館に行って、染色の仕方の本を探してみたら?」




期待と不安に満ちた二人に伝えれば、そうだよな確かに絵具に布つけても洗ったら落ちるもんな、と図書館へ走って行った。




「面白いことを考えますね」


「できますかね」


「出来たら面白いですね」




山本先生と初めて意思疎通ができた日だった。


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