第27話
「あんた、ホントに結婚すんの?」
「そうだけど、なに、反対?」
「別に。でも、あんた兄貴、愛してないだろ」
和哉はデザート用にと出されたマグカップに目を落とした。妙に世間を知ったような老成したため息。知られた、そう思った。
「どうしてそう思うの?」
心臓が痛い。質問を間違えた、すぐに分かった。
「やっぱそうなんだ」
キッチンには鼻歌を歌う章がいる。なんで、いつから、どこかで、どうしようとか思考がめぐる。まとまらない。ただうるさいほどに心臓が跳ねる。二メートルもしない距離に章がいて、和哉の一言ですべてが変わる。
どう考えてそう思ったかなんて聞けない。危険すぎる綱渡りだ。ふわふわとした現状に名前をつけようとすれば、それは和哉の中でさらなる確信を招くだろう。さらっと流すこともできる。でも、それはこのまっすぐの目をした少年にするには悪手にしか思えなかった。
返事ができない。飲み切ったマグカップを握る。指の先まであったまったのに芯から冷えていった。ただ、家族から反対されてショックを受けているふうに見えていることを祈るしかできない。
和哉が席を立った。三人分の空のマグカップを持った。
「兄貴、俺あと片付けするから。ゆかりさんとゆっくりすれば。――ほんとに好きならそんな返ししないだろ。あん
た自分がどんな顔してるか鏡見た方がいいよ。やめるなら土曜までには教えてよ」
後半は私にだけ聞こえる声だった。キッチンに向かっっていく。冷たい声だった。どんな顔をしているのか。線の細い少年の後ろ姿、それをこんなに恐ろしいと思ったことはなかった。
「どうした? 食べ過ぎたか? なんか失礼なこと言わなかったか?」
いれかわりにやってきた章はどこまでも優しかった。そっと手を握られた。顔を上げれば、いつもと同じ笑顔があった。身内の前で触れ合うことに対する抵抗はないらしい。大切なものは大切だ、とその場ではっきりと態度で示す。
それが好きだ。だけど、今は苦しい。
いや、違う。誰かに知られた上で、この関係性のまま続けるという覚悟が、
「うーん、そうだね。夏に鍋なんてと思ったけど、章の作ったのは美味しいから、いつもより食べ過ぎたかも」
「いつもが食べなさすぎなんだよ。ゆかりはもっと食べてもいいよ、痩せすぎだろ?」
この辺とか。薄い腹をさらっと撫でられた。肋骨を一本ゆっくりと辿った人差し指にびくりと肩が跳ねた。
「ちょっと」
小さな抗議に、章はふふっと笑った。
「ごめんごめん、ちょっと嬉しくてさ」
うまく笑えていればいい。接触なんてたいしたことじゃないんだ。
「それにしても、日曜日和哉君だけでいいの、ご両親は?」
「また、改めてで。本当は和哉も別日がいいとは思うけど、あいつも受験生で忙しいからさ。お兄さんとお嫁さんの
顔合わせなのに交じっちゃって悪いとは思うけど」
お嫁さん、そうだ、お嫁さんなのだ。痛い。
「まあ、兄さんも急に結婚決めて母さんが、おかんむりだから章に迷惑かけないといいけど。兄さんとしては和哉君が来るのにオッケー出したのも緩衝材になると思っているっぽいから」
「へえ。お兄さんて結構猪突猛進タイプなの?」
兄を評するにしては聞いたことない表現だった。よほど間抜けな顔をしていたのか。章が吹き出した。
「違うんだ。いや、三週間後に結婚で親にも事後報告とか聞いていたから」
「どっちかっていうと、優等生タイプかな。割とうちの母が兄大好きな人でお嫁さんに対するハードル高かったから、だから事後承諾にしたみたい。突っ走ってできちゃった婚とかってことではないから」
安心してというのもおかしくて言葉を切った。
「ふうん、そうするとお母さんは割と子供大好きな人?」
「兄はね。長男だったし、親戚の中では初孫だったし、父は長男だったから。まあ、それなりにプレッシャーもあったみたい。しかも親戚中で男の孫一人だったから、期待が集中して」
「うちとは逆だな。うちなんか男ばっかの家系で、両親とも娘がほしかったみたいだから。小さいころなんてスカートはかされていたし」
「そうなんだ」
「うん、だからきっとゆかりのことも気に入ると思う」
ああ、そうか。そこに着地するのか。
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