第26話

事故が頻発する交差点の真新しいガードレールがバンパーの形にへこんでいた。昨日まではなんともなかったのに。信号待ち、ふと歩道に目をやれば、自転車を引いた少年のとなりを同い年くらいの少女が歩いていた。少年は和哉だった。こちらに敵意を向けてきたときは全く違う笑顔に思わず相手の少女を見た。夏の日差しとは正反対にある、白い肌だった。和哉が何かを話すたびに、おかしそうに笑っている。背の低い少女の様子をうかがいながら話している。ほほえましく、眩しく、輝いていた。

私が何年も前に失ったものだ。


 目の前の横断歩道を彼らは渡っていく。

和哉がこちらに気づいた。

いたずら心が沸いた。笑顔で手を振ってやった。あからさまに嫌そうな顔をされた。分かるぞ、少年。知り合いに好きな相手といる自分を見られた時の気恥ずかしさ。少女が和哉に何やら話しかけた。和哉が焦るように少女を促し、横断歩道を渡っていく。

少し心が上向いた。スーパーに向かってハンドルを切った。

章の部屋のチャイムは壊れている。カスっと音がした。


「入れば」


出てきたのは和哉だった。手に持っている買い物袋を自然にひったくると、リビングに向かっていく。

ちょうど、模試でしばらくの間ここに泊まっている和哉も交え夕食をということだった。ただ、さっき彼女らしき子と一緒にいたからいないと思っていた。和哉が振り返った。


「なに、入らないの?」

「いや、彼女と一緒かと思って」

「どうして彼女だって決めつけるの」


少年から青年に変わる年頃の男の眼差しだった。潔癖さと欲の間にある、もどかしさを知っている顔。他者から決めつけられることへの苛立ちを隠すことをまだ知らない。まっすぐな目だった。

言葉は私を突き刺した。それは私の中にある言葉だった。関係性に勝手に名前を付けられ、そう振舞うよう求められる。場をつなぐために嫌な大人になっていたと気づいた。


「ごめんなさい」


玄関に立ったまま頭を下げた。頭を上げれば和哉が目を丸くしていた。


「あんた、変だって言われない?」


雰囲気が少しだけ和らいだ。それでもまだかたい。


「おい、いつまで廊下にいるんだ。さっさと来いよ。鍋するから」

「夏なのに、鍋?」

「だからだよ。冷房で冷えた体にきくだろ」


和哉は私の顔を見て、肩をすくめてみせた。



「どうだ調子は?」

「なに、その漠然とした質問。ほんと、兄貴ってめんどくさがりだよね」


章を評するには、耳慣れない言葉に和哉を見た。


「なに、私にだけはマメな男ですとか言いたいわけ? ダサ」


まさにそうだった。


「ふーん、好きな人にはそうなんだ」

「うるさい。そういうお前こそどうなんだ。好きな子とかいるのか」


豚肉を吹き出さなかった自分を褒めたい。左頬に一気に追いやった。それでも奇妙な顔をしてしまったらしい。和哉にものすごく冷たい目で見られた。


「あのさ、今日、そんなこと話したくて受験生呼んだわけ?人の色恋ざたを場繋ぎの話題にするほど、兄貴ってアホだっけ?」


なかなか痛烈なイヤミだ。そして的確だった。章はごほごほとむせると、ビールをひと口。


「彼女と結婚しようと思っている」

「あ、そう」

「それで今度の日曜日に彼女の家族と会うことになっている」

「ふーん、頑張って」

「お前も来てくれ」

「は?マジ?」

「マジだ」


章は頷いた。いつの間にか正座していた。

いったい彼はどうしたいのか。机の上、鍋が煮だっていた。

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