第12話
「あ、ああ。実家」
「こういう話するのどうかとも思ったけど、お兄さんも結婚するみたいだし。ちょうどいいかなって」
それが、俗に言う「結婚のご挨拶」のことだと理解したのは長い坂道をおり、国道へと出てからのことだった。赤信号、車は止まる。そんなことにも気付かなかった自分に哂いだしたくなった。
わざとらしく外を見た。さびたバス停に高校生が立っていた。ため息をつく。ゆっくりと彼を見上げて笑ってみせる。
「ムード、ないのね」
「てことは」
「いいわ」
「本当か」
「本当よ。ジョークだったの?」
瀕死の顔をしていた彼はシートベルトをしていたことも忘れて抱きついてきた。勢いよすぎて途中でロックがかかった。軽く後ろにのけぞった彼に噴出した。
彼と付き合うことにしたときから、いつかこんな日が来ることは分かっていたはずだ。
「いや、いきなりだったのに、やけにあっさりしてたし」
「なに、断って欲しかったの」
「違う。だけどこういうのって大事なことだしさ。ゆかりって時々掴みどころないから心配で。いきなり言っても重いだけだろうし。正直どうやってなだめすかしてつれてくかばっかり考えてて」
正直すぎる彼に思わず噴出す。
「なにその、なだめすかすって。まるで私を騙すみたいな言い方」
「いや、これは口が滑って。あ、違うそうじゃなくって」
あせる彼にますます笑いがこみ上げる。普段はでんと構えて包容力のある彼だし、要領もいいほうだ。だが時折みせる不器用なまでの誠実さが痛いほどに心を刺す。きっとこの人ならもっといい人がいるだろう。そう思う。それでも彼の声が、存在が、私を普通にとどめてくれるから手放すことなんてできない。別れを切り出そうと思ったことなど数えきれない。そのたびに彼の笑顔と言葉に大きな手に挫折してきたのだ。
結局ひとしきり笑った後、言えたのは、今日はありがとう、というありきたりな感謝の言葉だけだった。そっと彼が伸ばしてきた右手に包み込まれた左手がなぜか温度を失う気がした。
逃げ場のない袋小路に自ら走っている。自覚はあったがもう止まれない。
仕事が落ち着いてからね、といったのは未練じゃないと言い聞かせた。
車は再び走り出す。鼻歌でも唄い出しそうなほど隣からはご機嫌な雰囲気が伝わってくる。具体的なことを聞きたくなくて膝の上に置いて桑の葉を回し外を見ていた。続く白線を目で追っていたら気分が沈んだ。
「それでさ、今日あって欲しい人がいるんだけど」
「・・・誰?」
「弟」
ああ、そっか。外堀ってこうやって埋められてくのかも。
現実はすとんと落ちてきた。
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