スマホおやじの成り上がり
杞優 橙佳
山田太郎46歳独身、建設現場で働く
俺、山田太郎は今の日本で平凡なおやじだ。
おやじというと昔は一家や組織の大黒柱のことを指していたが、いまや「おっさん臭い」という侮蔑の意味に変わりつつある。
俺もご多分にもれず、おっさん臭い。
何がおっさん臭いかと言えば。
「山田さん、まだガラケーなんですか?」
これは何気ないタバコ休憩のワンシーンだ。
「ああ? いいだろ。スマホとかよくわかんねーんだよ」
そう、イマドキの電子機器についていけない、典型的なおやじなのさ、俺は。
だがこの夏、どうやら俺は変われたらしい。
それはあいつと出会ったからだ。間違いなくロクな出会い方じゃなかったが、あいつは、彼女は俺を変えてくれた。
あれは、ある夏の日のことじゃった。
---
「はぁ? あんたまだガラケーなの?」
こいつ、
ガラケーでもアクセスができるウェブサイトからメールをやり取りし、食事の約束を取り付けた。
いわゆる出会い系サイトってやつだが、俺にはやましい気持ちはまるっきりない。ということにしておかないとやばいだろ?
千夏は赤いチェックのミニスカートに、黒のパーカーというスポーティな格好でこの場に来ている。ミニスカートだから当然足が見えるわけだが、ひきしまった健康的なふとももがまぶしい。
「千夏は何か部活動をしているのか?」
「だから千夏って呼ばないでって言ってるでしょ。この場ではチカって呼ぶこと」
「ああ、わかったよ千夏」
「殴っていい? もう。バスケ部だけど、それがどうかした?」
バスケ部か。こいつ見た目がギャルっぽいしスクールカーストの上位なんだろうな。夢も希望もない46歳のおやじからすると眩しすぎて直視できない存在だ。
「そうだ山田さん」
「太郎でいいぞ?」
「おい山田」
「これはひどい」
「それは冗談で。いいこと考えたんだけどさ」
「わかった」
「は?」
「ホテルだろ?」
「いくわけないでしょ馬鹿なの」
「ベッドの上ではチカって呼んでやるぞ」
「キモい死ね。普通逆でしょ。そうじゃなくてもっと現実的な提案」
「ストローを千夏のコップに3ポイントシュート。外れたか」
「一気に興味ないわね」
「ははは。で、提案を聞こうか」
「山田さんさ、あんたスマホ買いなさいよ」
「なんだと」
こうして俺のスマホライフが始まった。
---
家電量販店で俺が買ったスマホはアイポンXだ。
「本体価格が13万くらいしたんだが、こんなもんなのか? これパソコンじゃないか。俺騙されてる?」
「最近のスマホはこんな感じでしょ。お金持ってるんだから少しくらい経済に貢献しなさいよ」
チッ 痛いところをついてくるやつだ。
「しかしこの13万円は千夏のために使いたかったんだがな」
「そうなの? ありがと。じゃ、せっかく買ったんだから、カイッターでもはじめてみましょうよ」
「かいったー…? 一体なにものだ?」
「呆れた。あなたテレビとか見てないの? カイッターでアルバイトが不謹慎な画像あげて逮捕とかあったじゃん」
「ああ。カイッターってホームページがあるもんだと思ってた。お前ら揃いも揃ってホームページにカイッターって名前つけてるのかと」
「んなわけないでしょ。どんな犯罪者ホイホイよ。そんなのカイッターって名前のホームページの運営者即逮捕でいいじゃん。カイッターはスマホのアプリの名前、わかる?」
「プリ、ケツ?」
「買ったスマホと頭取り替えたら? アプリっていうのはスマホでダウンロードできるソフトのこと。アイポンストアってところからダウンロードできるからやってみて」
俺は慣れない手つきでカイッターをダウンロードしてはじめてみた。メールアドレスと携帯番号をつかってアカウントをつくり、アカウント名は『スマホおやじ』した。
「できたぞ」
「よくできました」
俺の頭を撫でる千夏。
チッ 嬉しいじゃねえか
もっとして、もっと!
「うわ、キモい顔してるからやめよ」
「そういうな、生まれつきだ」
「ねえ山田さん、いいこと考えたんだけどさ、私が毎週1万円でスマホの使い方教えてあげるっていうのどう? もちろん食事代も奢りで」
「まて! 俺は今凄まじい搾取を受けていないか?」
「えー現役JKと話せるんだから安いもんじゃん」
「確かにお前はそこそこ可愛いがガードが硬すぎる。もっと簡単にだな。しかしJKガチャに3万4万つぎ込むよりは安いか」
「は? あんた出会い系サイトで女子高生ばっかり狙ってるの?ロリコン。サイテー」
「いやいや! 2018年6月に民法が改正され、2022年4月1日からは18歳以上で結婚が可能になったわけだ。もはや高校生を一概に未成年と呼ぶのはおかしい時代になってきていると思わないか?」
「今まだ2019年なんだけど? いいからとっととカイッターに書き込みしたら? プロフィールも更新お願いね」
「わかった」
俺はスマホおやじのプロフィールをこのように書き換えた。
『46歳独身、建設現場で働いています。46年間ガラケー使いでしたが、この度JKに教えてもらいスマホデビューしました。』
初書き込みはこうだ。
『JKが俺にやたらとあたり強いんだが好きなのかな?』
「書いたぞ」
「どれどれ? うわぁ馬鹿丸出しの書き込みじゃん。というかネットが日本中に見られてるってわかってる? 個人が特定されるような書き込みはしないでよ? 私の話はしてもいいけど名前はチカって書くこと、いいね?」
「ああ、わかったよチカ」
「だからチカ…ってちゃんとできてるじゃない、偉い偉い。あ、フォロワーが増えたわね」
「フォロワー?」
「あなたの書き込みを読んでくれてる人のこと。ファンともいうのかな。手当たり次第にフォローしてる人もいるけど」
カイッターのプロフィール画面を見るとフォロー、フォロワーという記載があり、フォロワーが1と表示されている。
「これはどうすればいい?」
「特に何もしなくていいわよ。みんな読みたい文章を読んでるだけだし。リプが来たら反応するくらいで」
「リプってのは?」
「名前の前にアットマークをつけたら、その人に話しかけることができるの。Eメールみたいなものだと思ってくれれば」
「なるほどな」
そうしているうちに@スマホおやじ のメッセージが届いた。
『JK大好き小池さん
@スマホおやじ
JKの顔うぷ』
こういう感じか。
俺は早速返信した。
『スマホおやじ
@JK大好き小池さん
待ってろ。プリクラ撮ってくる。』
「おい千夏、そこのゲーセンでプリクラ撮らんか?」
「絶対やだ。何する気? てか46歳がプリクラとかキモいんだけど」
「そうか」
俺は小池さんに報告する。
『スマホおやじ
@JK大好き小池さん
すまん断られた。
かわりに俺の写真を送るからこれで勘弁してくれ。』
「送信、と」
「何が送信なの? ってはあ? 何自分の顔写真送ってんの! 個人が特定されるような書き込みしちゃだめって言ったじゃん!」
「ダメなのか?」
「ダメでしょ! 今すぐ消そう!」
俺と千夏が言い争っている間に小池さんから反応があった。
『JK大好き小池さん
@スマホおやじ
ちょwwwいらんwww
拡散するわ』
「拡散すると言われた」
「あー、もう終わった。あんたの人生終わったわ。スマホデビュー1日目で人生終了よ。これから一生ネットに晒されて馬鹿にされ続けるんだわ」
「馬鹿な! 俺の13万円はどうなる? 千夏とのイチャラブ家庭教師生活は?」
「そんなもん最初からないから」
俺と千夏が頭を抱えていた時、小池さんから追加の書き込みがあった。
『JK大好き小池さん
@スマホおやじ
てかイケメンだなおいwww
ネットアイドルなれば?』
「何? 俺はイケメンなのか」
「はぁ?」
千夏が少し言い淀む。
「あんた鏡見たことないの? 自分のことくらい自分でわかるでしょ? まわりの人は何て?」
「今までイケメンと言われたことはないな。年相応の格好しろと怒られたことはあるが」
今もハーフパンツに黒のアロハシャツ、シルバーアクセという、パリピ感漂うファッションでいる。
「ふーん。評価されない場所にいたんだね」
うるさいやつだ。そんなことはわかってる。
だが、人は誰だって与えられた場所で努力しなきゃいかんだろう?
「俺は自分なりに努力してきたつもりだ」
「いいじゃん」
なんだと?
いま千夏が俺を肯定した?
「努力した山田さんを認められないまわりの価値観が古いんじゃない? 美的センスって時代によっても変わるし」
「え? 今なんて?」
「だから。ちょっとはカッコいいんじゃない」
髪を触りながらいう千夏。
「はは、ははは。そうか。そうか!」
俺はこのときはっきりと理解できた。
千夏が俺に優しい言葉をかける理由が。
そうだ、そうとしか考えられない。
こいつ俺に惚れてやがる!
「くくく」
「もしもーし? 変なとこ刺激しちゃった? 傷つけたなら謝るけど」
「千夏!」
「うわっ、びっくりした。急に動き早くするのやめて。肩触るな」
俺は無意識に千夏の肩を掴んでいた。
彼女はそれを嫌がったが、俺はテンションが上がりすぎて彼女の気持ちに配慮する余裕はなかった。
「千夏。俺にネットアイドルのなりかたを教えてくれ。俺はネットで人生やりなおすぞ! 週一回一万で、飯代にホテル代も出してやる」
「最後の意味がわかんないから。まあいいや。これからよろしくね? パーパ」
「パパとはなんだパパとは。お前パパ活のつもりか? そんな呼び方は許さんぞ、いかがわしい。俺のことはお兄ちゃんと呼べ」
「そっちの方がよっぽどいかがわしい」
千夏は俺の額をピシと叩いた。
この瞬間、俺は記憶を失った。今までの自分を忘れ、新しい自分に生まれ変わったのだ。もちろん比喩だぞう。
---
「もう顔バレしちゃってるんだから、ハチナナでライブ配信やったら?」
「ハチナナ? 車か?」
「感覚古っ。これもアプリ。ライブ配信ができて、気に入った人に投げ銭をあげることができるの」
「俺が千夏にあげてるようなものか」
「じゃあもっとちょうだい? お兄ちゃん♪」
「し、仕方ないな。ズボンのここに入ってるからとってくれていいぞ」
俺は立ち上がって股間を突き出した。
「死ね。はい、早くダウンロードして。できたらカイッターでログインしてSMS認証」
「はい、山田太郎やります」
俺は生まれて初めてのSMS認識を経験した。
ログインするとトップ画面に肩を出した女の子が並んでいた。
「なんだこのサイトは! 可愛い女の子でいっぱいだ! 千夏、お前まだまだお子ちゃまだな」
「な! うるさいし。私JKだし。肩出さなくても可愛いもん」
千夏は頬を膨らませた。
そんな仕草も可愛いぞ。
「で、俺は何をすればいい」
「右下のカメラマークから動画が撮れるから、それで動画配信しましょう。配信する前にカイッターでアナウンスして、お客さんを相互で集めるのを忘れないように」
「わかった」
俺はカイッターで、顔バレしたのでハチナナライブを始めますと周知し、ライブ配信を開始した。
内容は基本的におっさんの趣味を全開にした猥談だ。
週一回、千夏と一緒にいる時は彼女も声だけ参加した。
千夏のツッコミが入ることでJKと仲良く運営しているという雰囲気が出て、変態が集まり、JKの生着替えうぷなどの書き込みがタイムラインを占拠しつつにわかに盛り上がっていった。
「すまんなみんな。チカがまたやきもち焼いてる。許してやってくれよ」
配信中、俺は千夏のことをチカと呼んだ。設定上は恋人ということになっている。
俺は満更でもない様子だ。
千夏は心底嫌がっているようだが。
---
約1ヶ月、俺たちは配信を続けた。
楽しい時間はあっという間だった。
46歳のおやじの体感時間が異常に早いというツッコミは無しだ。
俺たちのファンもだいぶ増え、視聴者から俺たちに投げ銭が振る舞われることも増えた。
100円分の投げ銭をもらって配信者の手元に残るのは15円。今月は1回1時間、月10回の配信で100万円分の投げ銭をもらったから15万円の収入だ。
ってちょっと待て。ネット儲かりすぎだろ。
建築現場で1ヶ月フルに働いて手取り15万だぞ。
「一体どうなってる。ここは本当に日本か」
「99%は稼げないけどね。あなた才能あるのよ」
千夏は最近しおらしい。金を持ち始めている俺に劣等感を感じているのだろう。
おや? これはもしや嘘から出た誠か?
俺たち生配信でベッドインしちゃう?
「するわけないじゃん。はい、ハチナナで稼いだ分私にもバック」
しかたがないから俺は稼ぎの1割、1.5万円を千夏に渡した。
実際のところ9割がチカ宛の投げ銭という事実は秘密だ。
「9割私宛なのは知ってるけど。まあ私は声しか出てないし」
「生着替え、手ブラ配信、俺とキス。どれでも待ってるぞ」
「調子乗らない。成功にあぐらかいてるんじゃないわよ。次はノードで有料記事書く」
ノード? また新しい単語だ。
「日本語で頼む。歳を取ると新しいことを覚えるのが難しいんだ。千夏の住所をやっと覚えたところだというのに」
「はぁ? ストーカー! 勝手に女の子の生徒手帳見るな!」
「はっはっは。冗談に決まっとるだろう。さすがの俺でもそこまで変態にはなれん」
俺は千夏の住所を幾度となく書いた手帳を後ろ手に隠した。ちなみに誕生日も記憶している。サプライズプレゼントは楽しみにしておけ。
「家の近くで会ったら包丁で刺すから覚悟しといて」
「……」
こうして俺は、ハチナナで月15万稼ぐノウハウをノードで書くことになった。ノードでは書いた記事を有料で売ることができるらしい。
正直文章力に自信はなかったが、千夏によればタイトルさえ間違わなければ勝手に売れるとのこと。
タイトルは
『46歳ガラケーユーザーの俺がネットで月15万稼いだ方法』
とした。
冒頭は無料で読めるようにしている。続きが気になる場面で有料記事に切り替わる仕組みだ。値段は980円。最初はそんな売れるわけないだろと思っていたが、500部売れた。
ノードはハチナナと違ってユーザーへの還元率が凄まじく、売り上げの8割が手元に残った。つまり、980×500×0.8=392,000円。ちょっとしたボーナスだ。
「ここは本当に日本なのか?」
俺は再度千夏に聞いた。
千夏は「すごいね」とだけ言った。
俺はカイッターでノードの記事を宣伝すればもっと売れるんじゃないかと考えた。すでにフォロワーは3万人を超えている。1割でも買ってくれたら大儲けだ。
カイッターに書き込みをした日に1000部売れた。
しめて784,000円、まいどあり。
ノードはいけると確信した俺は、他に集客効果の高いソーシャルネットワーキングサービスはないか調べ始めた。
どうやらLibrabookとinstantというサービスが流行っているらしい。俺は早速それらのアプリをダウンロードし、個人情報を晒していった。
情報を書けば書くほど、多くの人が俺の周りに集まるようになった。
中学の同級生ともLibrabookで再会した。
中学3年生の修学旅行でなんとなく盛り上がり、卒業まで遊びで付き合った女の子だ。今は三児の母だと言うのだからたくましい。まっとうな人生を過ごしていてすごいと思った。
俺のLibrabookに、46歳独身というステータスが悲しく輝いている。
だが俺だって、陰鬱な人生ばかり送ってきたわけじゃない。
いま俺にはスマホがある。
これはスマホおやじの成り上がりだ。
カイッター、ハチナナ、ノード、Librabook、instant。
あらゆる手口をつかって、俺はJK千夏に見出された才能を世の中へ発信していく。
ある日ハチナナでエロい金持ちの女と知り合いになった。夏帆という女だ。その人は俺にめちゃくちゃプレゼントをくれる。数えたら月20万くらい貢いでくれていた。金はあるところにはあるんだな。
『今度私の家に遊びにおいでよ by 夏帆』
『いいことしよう by 夏帆』
ハチナナのタイムラインにそんな言葉が飛び交うようになったのは最近だ。
『いいことしたいねえ by スマホおやじ』
ハチナナでは特定ユーザーとダイレクトメッセージのやりとりを行うことができる。夏帆がタイムラインにメッセージを投稿したら、俺がダイレクトメッセージで返信するのがお約束となっている。
『今日はどんな気分? by スマホおやじ』
夏帆はエロい写メをよく俺に送ってきた。もちろん最初は俺が冗談で要求したのだが、最近は夏帆もノリノリだ。
モデルみたいに綺麗な身体が俺の欲情を刺激する。手のひらにすっぽりおさまりそうな形のいいおっぱい。手を回したくなる腰。キュッと引き締まった尻。そのどれもを舐め回すように見て褒め称えた。小麦色の健康的な脚にヨーグルトをかけ、私を食べてと書かせたこともある。
マジでこの子可愛いわ。
俺は夏帆に夢中だった。
そしてこの日の夏帆はいつもより積極的だった。
全裸で女の子座りをし、秘部を手で触って、もう我慢できないと書き込む。
「夏帆……夏帆!」
俺も我慢ができなくなっていた。男には気持ちが抑えられなくなるときがあるのだ。だから俺は画面を見て、ズボンのチャックを下げ、行為におよんだ。
ライブ配信を停止させないまま。
---
翌日、俺はハチナナから垢BANされた。
規約違反によりアカウントを削除されたのだ。
当然今月の投げ銭は支払われない。
さらにハチナナを監視していたネット住民が、俺のカイッターやノード、Librabook、instantに突撃。結果、俺のアカウントは全て凍結されて使えなくなった。俺はネットからの収入源を失ったことになる。
ふぅ、と俺はタバコを蒸した。
「現実が辛い」
俺は足元に転がっている手帳に手を伸ばした。
「そういえば最近千夏に会ってないな」
最近はだいぶネットの知識がついて、千夏の助けを必要としなくなった。Librabookの投稿写真に位置情報を付与する方法を、千夏へ教えることもあるくらいだ。
だからか最近千夏は俺にあまり興味がない。
カッコ悪くなったねと言われることもある。
「確かにださすぎる」
俺は電池の切れかかったスマホを充電器につなぎ、手帳アプリでカレンダーを見た。今日は土曜日。千夏の誕生日だな。
俺はタバコを灰皿に落としつけて、着替えると、千夏の家を目指して家を出た。俺は千夏に、家の近くで会ったら包丁で刺すと言われたことを覚えている。
だが今は、むしろ刺して欲しいと思った。
「俺を救ってくれよ、千夏」
俺は千夏の住所をGoodleマップに入力し、場所の当たりをつけた。
古びた住宅街。
その一角に千夏の住むアパートはある。
俺はコンビニで買ったティラミスを手土産に、彼女の家を訪れようとしていた。
「ボロボロのアパートでJKと2人きりか。物語が始まりそうだな」
小綺麗な部屋に住む女性より、古びた部屋に住む女性のほうが、止むに止まれずそういった行為に及びそうじゃないか。俺は卑猥な妄想をしながらアパートの階段をあがる。
と、ここで気づいた。
家族がいたら本当に殺されるんじゃないか?
「そうだよな、まだ女子高生だもんな」
苦笑いをした。俺の両親はとっくに亡くなって今は独りで暮らしている。守るものの何もない、無敵の人と言ってもいい。
「自分が独りだから家族って存在をすっかり忘れていたな」
俺のような46歳のおやじが、あたたかい家庭を壊すわけにはいかない。千夏の部屋の前までは行く。そこに手土産を置いてアパートを去ろう。としたのだが。
「あんたが消したんだろ!あんたが!」
「お母さんやめて!」
「だまれ!」
部屋の中から金切り声が聞こえた。
やめてと叫んでいるのは千夏だ。
ただ事じゃない。
俺は不審者と訴えられることを承知で、部屋のドアをドンドンと叩いた。
「千夏! 俺だ! 何してる!」
「嘘! 山田さん? 助けて! 鍵空いてる!」
「わかった!」
俺は扉をあけて部屋に入った。千夏を怖がらせるやつは、誰であろうと許さない。俺の千夏だ。俺にスマホと希望を授けてくれた千夏だ。
俺は狭い部屋の廊下を走り、千夏のいるリビングへ入った。そこには俺の欲情を刺激する女がいた。
「夏帆だと?!」
俺の脳がはっきりと記憶している。
見間違えようがない、みだらな身体だ。
夏帆は千夏にまたがり、細い手をあげていた。
彼女は俺の声に気づいたのか、手を止めてこちらを見る。はだけたネグリジェがスルリと落ちた。
手のひらにすっぽりおさまりそうな形のいいおっぱいが顕になる。だが俺は全く興奮しなかった。
「これはどういうことだ」
「また、会えた」
夏帆は俺の言葉など耳に入らない様子で、震える指を俺に向けた。
「いいことしよう?」
夏帆は自分の唇と乳首に指先を当てた。
「お前は千夏に暴力をふるったのか?」
「怒らないで? あの子が悪いのよ! あなたを消したと思ったから」
夏帆は泣きそうな目で俺を見た。
「私にとってあなたは大事な人なの。3年前、私はひとりになった。ずっと寂しかったの。あなたが私に女の喜びを思い出させてくれたの」
夏帆が立ち上がり、俺に体を巻きつけてくる。股間に細い指を置き、ズボンの上から擦り付けて刺激した。
「ねえ、いいことしましょう? あなたのここも元気になってきた」
俺の体は正直だ。この魔性の女に、俺の下半身はビンビンと反応している。今すぐにでも押し倒して、この女を自分のものにしたい、そんな衝動に駆られそうだ。
俺の性根はただのエロおやじだ。これは認めるしかない。46年間卑猥なことしか考えてこなかったのだ、今更変えられるわけがない。それでも俺は、目の前で子猫のように震えるJKを放っては置けなかった。
「君は俺に毎月20万円もプレゼントをくれた。大事なお客さんだ」
俺は夏帆をそっと引き離した。
「だが千夏は、冴えない俺に希望をくれた、かけがえのない人だ。その千夏を泣かせるやつは、どんなやつでも許さない」
俺の言葉を皮切りに、夏帆は発狂した。
彼女はテレビ台の上に置いてあったカッターを持ち、俺に襲いかかってきた。
本当に刃物で襲われることになるとはな!
しかし俺も伊達に建設現場で肉体労働をしていない。俺は夏帆の突きを寸前でかわし、夏帆に体をぶつけた。建築資材を運んで鍛え抜かれた肉体が、華奢な彼女を壁までふっとばす。
まだだ!
俺はちゃぶだいを飛び越えて彼女へ近づき、カッターをもった手首を全体重で押さえつけた。夏帆の手からカッターがポロリと落ちる。
「千夏、警察を呼べ!」
「うん……うん!」
千夏は部屋の固定電話から110番した。
夏帆はすっかり観念したらしく、俺のなすがままに倒れていた。
ベッドで男に見せるような、いじらしい表情。俺は昔、女のこの表情を美しいと思っていたが、今にして思えばこんなに醜い顔はない。
警察が来て、夏帆が千夏に家庭内暴力を行なっていたことが明らかになる。ネットアイドルに金をつぎ込み、千夏にまともな食事を与えない、学費も払わない。とんでもない母親だった。
千夏が大人との付き合いを頑張っていたのは学費を稼ぐためだとわかり、俺は目が潤んだ。
「いるんですね。世の中には天使が」
俺は警察に同意を求めた。
警察は怪訝な顔で俺を見ている。
「で? 君はどうしてこの家にいたんだね?」
「ただの通りすがりです」
「どう考えても不審者だろう」
こうして俺の取り調べが始まった。ネットで出会った友達で、月に4回食事をする仲でと説明する度、警察は俺に手錠をかけようとしたが、都度千夏が止めてくれた。
3時間の取り調べを終え、警察は帰った。夏帆の取り調べが30分、残り2時間30分は俺の取り調べに費やされた。150分コースなら女警官を連れてきて欲しいものだ。
「やっと終わったね」
「そうだな、千夏」
俺は千夏にまた救われた。今日はベッドの中でチカと呼んでやりたい気分だ。
「また変なこと考えてる」
千夏は俺の表情が読めるらしい。
「これからどうするんだ?」
俺は千夏の乱れた髪を直してやりながら言う。
「ひとりじゃ生活も難しいだろう」
「うーん、そうだな」
千夏は俺が髪を触るのを受け入れてくれた。
「山田さん、ほんとのパパになる?」
「ばかめ。俺はお前の恋人にしかならん」
俺はあくまでJKと付き合う、そのために出会い系サイトでJKガチャを回してきた。俺はJKが一番可愛いと思うし、制服を着たままのプレイに憧れる。だがそんな妄想が実現しないこともわかっていた。
俺は46歳のおやじだ。
この子とは生きる世界が違う。
汚れた言葉を吐いて金を稼ぎ、心の病んだ女とつながる男だ。健全な女子高生の側にいてはいけない男だ。
だからお前は自分の人生を生きてくれ。
俺はお前が教えてくれたスマホで、自分らしく生きてみせるさ。
「あなた本当にかっこいいね」
俺は息を飲んだ。
口がカラカラに乾く。
千夏の豊かな、未来への希望を持った笑顔に心掴まれていた。俺はこのJKを初めて下心なしに愛おしいと感じた。
スマホおやじの成り上がり 杞優 橙佳 @prorevo128
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