落語「ベランダのハヤブサ」
佐賀砂 有信
落語「ベランダのハヤブサ」
登場人物
アナウンサー/浜沼/警官
〇ニュース番組
アナウンサー「続いてのニュースです。のべ400枚以上の下着を盗んだ疑いのある男が逮捕されました。逮捕されたのは無職、手倉森太郎容疑者38歳です。調べによると、手倉森容疑者は昨日、都内のアパートから女性用下着3枚を盗んだ罪で現行犯逮捕されました。自宅を捜査したところ、女性用下着が400枚以上押収されました。警察ではさらなる余罪があるとして、捜査を進めています」
○警察署・窓口
浜沼「失礼します」
警官「どうされました」
浜沼「窓口の方から、こちらに向かうように言われまして」
警官「伺っております。押収品の引き取り、ですね」
浜沼「はい。今朝のニュースを見たんです。体育館みたいなところにずらーっと、下着が並べられてたやつ。あれは並べる必要があるんですかね」
警官「あれは体育館ではありません。警察道場です」
浜沼「なおさら神聖な場所じゃないですか」
警官「仕方ないでしょう。うちの署で、証拠品をずらっと並べられるスペースは、道場しかないんですよ」
浜沼「そもそもね、ずらーっと並べるの、やらないといけないんですか。こんなことをするために警察官になったのかあ、とか思いませんか」
警官「いやなことを言わないでください。証拠物件を確認するために必要なんですよ。セーラー服が大量に盗まれたときも、野球のボールが大量に盗まれたときも、今回のように下着が大量に盗まれたときも、ああやって道場に並べたんですから」
浜沼「やたら大量に物が盗まれる地区なんですね。引っ越そうかな」
警官「現にあなたも、ニュースをご覧になって気づいたんでしょう」
浜沼「それはまあ、その通りです。ありがとうございます」
警官「いえいえ。枚数が膨大なものですから、こうして引き取りにきていただけるとこちらも助かります。しかし、あなたもよく気づきましたね」
浜沼「私の下着がちらっと見えたような気がしまして……確証はないんですがね」
警官「ただ、先に行っておきますが、枚数が膨大です。437枚あるんですよ」
浜沼「今日は会社も休んできましたので」
警官「お手数をおかけします。最後に一つ、確認なのですが」
浜沼「はい、なんでしょうか」
警官「浜沼さん、あなたの下着が、盗まれたんですよね」
浜沼「そうですよ……なんですか。男が女性下着を持っていたらいけないんですか」
警官「いえいえ。あなたが被害者本人であることを確認しただけです」
浜谷「しかし、捕まった男もガッカリするでしょうね、所有者が私みたいなおじさんだと知ったら。はっはっは、いい気味だ」
警官「どういう感情なんですか?ともかく、保管場所へご案内します」
〇警察署・押収品置き場
浜沼「確認、終わりました」
警官「お疲れさまでした。すみませんね。犯人が黙秘を続けているもので、どこから何枚盗まれたのかわからないんです。ご協力、ありがとうございます」
浜沼「警察のみなさんの苦労が忍ばれますな」
警官「痛み入ります。お宅から盗まれた下着、ありましたか」
浜沼「はい、この3枚です」
警官「ご苦労様でした。ではこの3件について、返却の手続きをしますね」
浜沼「あ、違います。この3枚だけ、見覚えがないんです」
警官「……他は、あなたのものだと?」
浜沼「はい。あとは全部ウチのものです」
警官「残りの434枚、全てが、あなたのものだと?」
浜沼「そうですよ。疑ってるんですか?ちゃんと確認しましたよ」
警官「いや、その、434枚ですよ?434も、ベランダで干してたんですか」
浜沼「そうですよ!虫干し中に根こそぎやられたんです!すべてウチから盗まれた下着です。全部に思い出があるんです。例えばこれ、気品のある品でしょう。とても高かったけど無理して手に入れたんです。貴重なんです」
警官「目の前に突き出さないでください」
浜沼「それからこれ。これは懐かしい下着ですよ。学生時代、隣の部屋に住んでいた先輩から頂いたんです」
警官「そんな昔から。年期が入ってますね」
浜沼「これも凄いんですよ。最新の技術を駆使した一品です。どうです、すばらしいでしょう。たまらないでしょう」
警官「違う意味でたまらないです。もう勘弁してください。わかりました。全部あなたの家から盗まれたものなんですよね」
浜沼「はい。やっぱりそうでした。ニュースでチラッと見えた気がしたんですよ」
警官「チラッとどころじゃないでしょう。ほぼ貴方のものなんだから」
浜沼「そりゃあ、驚きましたよ!まとめて干してたところを根こそぎやられて。一生の不覚です。勇気を持って訪ねてきてよかった」
警官「まあ、犯人はすばしこい男ですからね。ひょっとすると『ベランダのハヤブサ』かもしれませんから」
浜沼「ベランダのハヤブサ?」
警官「私らの、仲間内の符丁ですよ。長年にわたって犯行を繰り返し、その癖一度も捕まったことはない、伝説の下着泥棒です」
浜沼「伝説……」
警官「手口は巧妙にして鮮やか。下着の足りない家庭からはいっさい盗まないという。ときには下着分の金を置いていくという噂までありました」
浜沼「いいですねえ。狙った下着は逃さない」
警官「下着は逃げませんけどね」
浜沼「恰好いい異名ですな。ルパン三世や石川五ェ門みたいだ。へえ、そうですか。そんな名前で呼ばれてたんですか」
警官「まあ、捕まえてみれば拍子抜けでしたね。あれは大した男じゃありませんよ。びくびくおどおどして。なにがハヤブサだ。ハゲタカがいいところです。下着泥棒なんざ皆、しょうもない奴なんでしょうな」
浜沼「そこまで言わなくていいでしょう!」
警官「どうされました、急に大きな声で」
浜沼「その男は、ベランダのハヤブサじゃ、ないんじゃないかな」
警官「ほう、どうしてですか」
浜沼「だって、ハヤブサにしちゃあ、あっさりと捕まりすぎでしょう。本物ならもっと、うまくやるんじゃないかなあ」
警官「いやいや、下着泥棒なんて皆マヌケですよ」
浜沼「どうしてそう断じるんです。綿密に下調べをして、大胆かつ巧妙に下着をいただく、ベランダのハヤブサはきっと、そういう人物ですよ、間違いなく。だから警察に尻尾を掴まれないんです」
警官「ハヤブサに尻尾はないですからね。まあ、確かにそうだ。我々が捕まえた男、ベランダのハヤブサではなさそうですね」
浜沼「分かっていただいて何よりです」
警官「では、本物のベランダのハヤブサは、いったい何処にいるんでしょうね」
浜沼「私だといったら、どうしますか」
警官「はい?」
浜沼「ベランダのハヤブサはね。この私なんですよ!……あれ?驚きませんね」
警官「そうだろうなあ、と思っていたので」
浜沼「ほう、刑事の勘、ってやつですね」
警官「誰でも気づきますよ。あなた、不自然すぎますもん」
浜沼「慣れないことはするものじゃないな」
警官「私からも聞いていいですか。どうして危険を犯してまで、下着を取りに来たんですか」
浜沼「悔しかったんです。15歳から初めて数十年。これだけを楽しみに生きてきた。すべての下着に思い入れがあるんだ。これはね、タワーマンションの最上階のベランダで輝いていた。私はマンションの外壁をよじ登り必死の思いで盗み出したんだ。私の勇気を示す貴重な品なんだよ」
警官「とても高かったけど、無理して手に入れた、貴重な品、か。なるほどな」
浜沼「この下着だって、学生時代、お世話になった先輩から頂いたんです。無断で」
警官「無断かよ。じゃあ窃盗だな」
浜沼「そしてこの下着、自室にいながらにして、高層マンションの物干しから盗み出したんですよ。ドローンを使ってね!」
警官「最新の技術を使った、ってそういうことか。あとドローン使えるなら、なんで外壁よじ登ったんだよ」
浜沼「いいですか、下着のコレクションは私の人生、私の全てなんです。それを!奪っていきやがった!あの若造は、ベランダのハヤブサの名を汚したんです!」
警官「お前が言うな!そもそもお前が、ハヤブサの名前を汚してるんだよ」
浜沼「人の物を奪うなんて絶対に許せない!」
警官「だからお前が言うな!えーと、自白ということでよろしいですね」
浜沼「ええ。こうなるだろうと思って準備してきました。これ、受け取ってください」
警官「なんだこれ。手帳?」
浜沼「下着を盗んだ御宅の住所一覧です。捜査資料として役立ててください」
警官「盗んだ家を全部覚えてるのか」
浜沼「当たり前です。ポッと出の若手と一緒にしないでもらおう」
警官「威張ることじゃねえからな。とにかくさっさと取り調べ室行くぞ」
浜沼「刑事さん、私ね、下着は見るだけなんですよ。集めて眺めるだけ。決して着用したりしない。まるで、私の人生のようだ」
警官「人生?どういうことだ?」
浜沼「……はかない」
警官「うるせえよ。取調室いくぞ……ちょっと待て。この住所録、ずいぶん分厚いな」
浜沼「家にある分も書いているので」
警官「おい待て。まだ盗んだ分があるのか?」
浜沼「はい。まだ3500枚ほど」
警官「3500枚!?」
浜沼「これがベランダのハヤブサですよ」
警官「ダメだ、手が出そうだ。ハヤブサのぶんまで、こいつを殴ってしまいそうだ」
浜沼「あらいざらい自白したんだ。刑事さん、私の罪は軽くなりますよね」
警官「あのなあ、お前のせいでうちの署には、下着を並べる場所がなくなっちまうんだよ。だから、おまえを許すことはできない」
浜沼「どういうことです」
警官「もう、ドウジョウの余地がない」
【完】
落語「ベランダのハヤブサ」 佐賀砂 有信 @DJnedoko
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