幕間:ある教官の所感


 ――本日、前代未聞の事故を伴って召喚された勇者が私の部隊に配属されることとなった。


 私の仕事は、彼が用意している訓練を終わらせることができるかどうか、それを見届け、管理、監視することだった。


 ただし、それは表向きの話だ。


 裏で期待されている内容はもっと別なところにあった。


 それは、彼の心を折ることだった。


 ……相変わらず、気の進まない仕事だ。


 当然のことながら、訓練には目標を設定するものである。


 しかし、彼に課された訓練における目標は、おおよそ殆どの人間にとって達成することが難しい内容になっていた。


 ……今この国に居る人材でも、この内容を規定時間内に終わらせられる者はそういまい。


 そう思ってしまうくらいに、彼に課された訓練内容は過酷なものだった。


 終わるわけがない。やれるわけがない。そんな訓練内容を用意しているのは、すべてがすべて、彼の心を折って――こちらと彼の間に上下関係を作り上げるためだった。


 不出来をこき下ろし、罵倒を重ねることで尊厳を踏みにじる。そうすることによって、こちらが上でおまえは下だ、という上下関係を骨の髄まで刻みこむわけである。


 ……まぁ、首輪をかけるなら早めに、ということなんだろうがな。


 過去に召喚されたどの勇者も、最初は通ってきた道だと聞いている。


 彼らは兵士ではないから、日常生活の中で上下関係を刻み付けることは難しい。だからこそ、この訓練が必要とされてきたのだろう。


 この訓練を行うことで彼らは従順な兵士となり、都合よく扱うことができる駒になるわけだ。


 ……程度の差こそあれ、兵士になるなら誰もが過去に通ってきた道ではある。


 きっと彼もそうなるに違いない。私も含めて、そうなることを疑う者は居なかった。


 ――しかし、その目論見はあっさりと崩れてしまった。

 なぜならば、今回の勇者が用意された訓練をほぼやり遂げてしまったからである。


 もちろん、完璧にやり遂げたわけではなかった。

 訓練内容によっては規定時間を守れないこともあったし、組み手においては無様の限りを晒していたと言っていい内容だった。


 ……それでも、量だけはやり遂げやがった。


 当然のことながら、仕事として、出来なかった部分については口汚く罵倒をするわけだけれど。

 機会は少なく、理由も弱いとくれば、心を折るにはまったく足りなかった。


 むしろ、彼を苛立たせるだけで逆効果になったかもしれないとさえ思うくらいだった。


 想定外の事態となった上役連中は、大慌てでなぜこうなってしまったのかと議論を交わしていた。


 こちらにも意見を求められたことがあったものの、わかりませんと答えることしかできなかった。


 彼が素人であることは動きを見ればわかる。それでも、できるわけが無いと思っていた訓練量を、無駄の多い動作でやり遂げてしまうのだ。


 見ている側としては不思議でしょうがないし――それを説明できるだけの理由など、勇者だからという言葉くらいしか思い浮かばなかった。



 それでも、この訓練を連日続けていれば心身ともに磨耗して、いずれは思惑通りの状況になるだろうと期待する者が多かった。私もその一人だった。



 ……しかし、それも儚い期待だったな。


 なぜなら、彼が翌日の訓練で、規定時間内での訓練完了を叶えてしまったからだ。


 はっきり言って、これは異常と言っていい出来事だった。


 訓練完了後の彼は、息こそ多少荒れていたものの、前日と比較すると尋常でないほどの余裕があった。

 おそらく、もう一回訓練をしてみろと言われてもこなせたのではないかと、そう思えるくらいにだ。


 ……どれだけ優秀な者であっても、訓練というものを容易くこなせることはない。


 それは用意された訓練が、対象となる者の実力から見て少し上の段階を目標にして、常に設定されているからだ。


 そして、今回彼に用意された訓練は、他のどんな優秀な者であっても、彼と同様に終わらせられることはないと断言できるものだった。


「…………」


 勇者という単語は眉唾ものだ。


 確かに、残っている記録からわかる彼らの能力はすばらしい。

 戦いの場にあっては大変有用であり、それを評価して勇者なんて肩書きをつけて持ち上げるのもわからないではない。


 それでも、その評価は彼らが持つ機能についてであって、少なくとも彼ら自身は優秀な人間でしかなかったはずだ。


 残っている記録から、今回の勇者のように振舞えた人間は存在しないことはわかっている。


 そこに、今回のような事態を前にして記録に残したくなかったという意思が働いた可能性も否定しきれなかったけれど。


 仮にそうだったとしても、今回の勇者が稀有または異常であるという事実に変わりはなかった。


 ――正直なところを言えば、彼に関わるのはやめてしまいたいというのが本音である。


 不気味なのだ。


 適当な言葉が思い浮かばないが、彼のこの適応力とでも言うべきものを見ていると、自分とまるで違う何かを見ている気持ちになってくる。


 勇者というものがこの世界とは別な場所からやってきていることは知っているし、初めて関わるというわけでもないが、以前見た彼らにこんな感情を抱いたことは一度だって無かった。


 しかし、これが仕事である以上、自分にその進退を決める権限はない。


 ……上申だけはしておこう。


 と、そんなことを考えつつ、憂鬱な気分を抱えたまま、今日の報告書を書き上げることにした。


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