主人公、異世界での生活を始める 2

　

　果たして、部屋の中で待っていた相手はあの夜に話せる相手だと感じた男だった。


　てっきり、あの時の話せないと思っていた連中の誰かやってくるものだとばかり考えていたので、少し驚いた。つい身動きすら止まってしまった。


　いやまぁ話が通じる相手が出てきてくれるのはありがたいのだが、あの夜の様子を見る限り、彼は相当偉い人間なのだと思うのだ。


　それがこんなにあっさりと出てくるのだから、勇者というのはよっぽど貴重なのだろうかと思わされる。


　自分がそれほど大層なものではないことを自覚しているだけに、そういう感想は戸惑いしか生まれないのだが。

　実際のところはそう思わせるのが目的なのかもしれないし、あまり深く考えないのがいいかもしれなかった。


「……どうかしたのか？」


　部屋に入った直後から動かなくなってしまったこちらを不審に思ったのか、彼はそう思っていることが見える声音で声をかけてきた。


　声をかけられたことではっとなって思索から現実に思考が復帰する。


　かけられた言葉には、なんでもないとだけ返して部屋の中を見回した。


「…………」


　ここは、先日通された部屋と比べれば狭い部屋だった。

　共通点があるとすれば、それは調度品に乏しいというところくらいだろうか。


　この部屋には、四隅にろうそく台がひとつずつと、テーブルがひとつしかなかった。

　用意された椅子はふたつだけだったから、どうやら本当に彼との一対一での会話になりそうだ、なんて考える。


　……個人的には楽でいいんだけど。


　椅子の背に手をかけても特に何も言われなかったので、引いて、座った。


　座るときにちらりと後ろを振り向くと、やっぱり扉の脇には二つの人影が立っていた。


　……真横って意外と入るときは見難いよなぁ。


　なんて思いつつ、彼のほうに向き直る。

　そして、口火はこちらが切るべきかなと考えてから口を開く。


「忙しいところ時間を作ってもらって助かる。今日はあなた一人だけなんだな」

「この方が互いのためにも良いだろう？」

「あなたはあの場では一番偉いように見えたけど。忙しいんじゃないの？」

「……まぁ、それなりには忙しい身だが。この時間帯であれば少しは時間が取れる。

　それに、他の者は君と関わるのを嫌がっていてね。

　話し合いをしようといわれたら私が出てくるしかないんだ」


　回答をするまでに妙な間があったが、何か変なことを言ったのだろうか。

　内心で首を傾げつつ、会話を続ける。


「随分と嫌われたもんだ」

「君が口だけの人間ではなかったから、だろうな。

　君の活躍ぶりは報告で聞いているよ。初日から用意された基礎訓練を問題なくこなしていたらしいじゃないか。

　歴代の勇者で初日からあの訓練をこなせた者は聞いたことがない。

　文句なしの、優秀な成果だ」

「だったら好かれても良さそうなもんだけどなぁ」

「君の態度を許容できる人間はそう居ない、ということだ」

「……そりゃあ、そうだな。耐えてくれる相手がいるだけ幸いと、そう考えておこう」

「是非そうしてくれ。

　――それで、話をしたいということだが、内容は何かな」

「ああ、話は簡単だよ。魔術を教えてもらいたいんだが、機会を貰えないかなと思ってね」

「理由を聞いても？」

「――そう怖い顔をしないでくれ。

　それを使って離反だの謀反だのを考えてるとか、そんな理由じゃあない」

「今のところは、だろう？」

「そりゃあお互い様だろう。話を戻すぞ？

　俺が魔術を習得したいと思う理由は単純だ。

　生活環境が住んでいたところと違うから、環境を改善するための手段として、俺の知らないものをアテにしているというだけだよ」

「……もっと具体的に説明を頼む」

「生活環境の違いで特に気にかかる点として、トイレが汚い、風呂という文化がない、食事の味付けとかが好みと違う、と三つある。

　魔術を習いたいと思ったのは、それらの問題のうち、トイレと風呂に関する問題を解決するためだ。

　具体的には、水と火を自由に使えるようになりたい。

　そのふたつさえあれば、ある程度は自分でどうにかできると考えているからだ。

　ついでに、覚えておいて損の無いものがあれば覚えておきたいところだがね。

　……まぁそもそも、俺に使えるものなのかどうかもわからないから、使えたらという仮定の上で話をしているがな」

「使えないと言ったら？」

「理由を説明してもらってその内容に納得できれば、実践した上で諦める。

　訓練とやらをこなしている最中に、それを監視してる連中に聞いても納得できるような回答が貰えなくてね。たとえ使わせられない理由があるとしたって、それをきっちり説明してもらわなくちゃあ納得できん性分なのさ。

　だから、こうしてちゃんと話をする場を設けてもらったというわけだ」

「……なるほど。面倒な性格をしている」


　彼の言い方に、思わず笑ってしまった。


　……やっぱり、こういう会話が出来る相手というのはいいものだ。

　楽しくなる。


　もっとも、一歩間違えれば笑ってられなくなる状況なのだから、ある程度は注意が必要なのかもしれないが。


　気をつけよう、とそう思いながら会話を続ける。


「良い返しだ。

　――それで実際のところ、どうなんだ？　俺に魔術は使えるのか？」

「君は魔術がどういうものか知っているのか？」

「知らない。こっちに来てすぐにそれらしきものを使っている奴を見たから、そういうものがあるだろうことを知っているというだけだ」


　こうやって魔術とは何だと聞き返されないあたりから、翻訳元である魔術という単語に対する自身のイメージに合致する技術が存在することは確かだろうと思っている。


　それが自分に扱えるのかどうか、どの程度のことが出来るのかが不明瞭だから確かめたいと、そういう話だった。


「…………」


　彼はこちらの言葉を聞いて、しばらく考えるように押し黙っていたが、やがて言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。


「確かに魔術と呼ばれる技術はある。

　しかし、ここには君が望んでいる技術を教えることができる人材はいないだろう」

「……そこら辺に居る人間が使えるのに？」

「それぞれの職業で必要なものは受け継がれているようだからな。

　どこから教えてもらったのかは定かじゃないがね。

　この城にも魔術が使えるものは居るよ。私だって使えるものはある。

　ただ、例えばそれは相手を遠くから攻撃するためのものだったり、夜目が利くようにしたりといった、限定的な性能しかないのさ。

　……その気になれば、炎や水で攻撃するものを応用して君の望み通りの成果をあげることも可能かもしれないが。今のところはそれを実践する術を知らない」


　彼の言葉を頭の中で咀嚼し、思考する。


　――つまり、魔術は一般的に知られている技術である、という認識に間違いはない。


　しかし、魔術は例えば鋏のような、ある特定の機能をもった道具という認識になっている、ということなのだろう。


　……イメージ的には、ゲームの魔法が近いのか。


　あるコマンドは特定の場面でしか使えないし、一定の効果しか及ぼさない。それ以外に使い道はないということになっている。そういうことだ。


　ただ、そのことに疑問を覚えなかったといえば嘘になる。


　……普通、そんなことありえるのか？


　なんて一瞬だけ奇妙を感じたからだ。

　生活の場面で使えるものだって当然あるだろうに、と。


　とは言え、よくよく考えれば、元々生活していた世界にもそういうものはあったのだ。


　誰も見向きもしなかったものが、何かをきっかけにして注目されるということは往々にしてよくある。

　温故知新、というとちょっと違うかもしれないが、そういう発想を持つ人間が居なければそうはならないという、それだけの話なのだろう。


　……あくまで、彼の言葉がすべて本当だと仮定した場合だが。


　その真偽を確かめる術が無い以上はこの結論が全てだ。


「――――」


　出てきた結論に、思わず溜息を吐いた。


　正直結構アテにしていたので、かなり落ち込んだ。

　生活環境を変えるための劇的な手段に成り得ると期待していただけに、気持ちの落差はかなり大きかった。


　急がば回れではないが、そうそう楽な手段というのは無いものなのだと諦めるしかないかな、あとは慣れるしかねえか――なんて考えてから、彼に言う。


「オーケー、わかった、理解した。だったら無理に教えろとは言わない」

「随分と諦めがいいな」


　驚いたように言う彼に対して、笑いながら応じる。


「得られた情報の真偽を確認する手段が無い以上は、こうする他ないってだけだよ。

　地道に、この生活に慣れる努力を続けるとするさ。

　とは言え、目的の魔術を習うことは諦めたが、不満点を自ら改善していくための努力を行うことは認めて欲しいものだ」

「例えば？」

「自分の食うものは自分で作りたいから、食材と道具と場所を使う許可が欲しい。

　あとは買い物もしたいから、外出の許可とそれに使う金も欲しいところだ」


　こちらの言葉に、彼は非常に渋い表情を浮かべた。

　どうやら、相手からすれば相当に嫌な提案だったらしい。


　懸念点はどこかなと考えてから、口を開く。


「逃げると思ってるなら、見張りでも何でも付けてくれよ。

　どの道、俺一人じゃ地理もわからないから案内役は欲しいしな。

　迷って帰ってこなくなってもいいと言うのならばどちらでもいいけど」

「……見張りは当然付けるとも。

　ただ、今回の要望で言えば、金の方が問題だな」

「養ってもらってるくせに金までせびる気か、って話か？」

「有体に言ってしまえば、そういうことだ」

「ここでずっと監禁状態なのに、養ってもらえるだけ、ってのが利点なのもどうかと思うけどな。

　それに、外に出て何も買えないってのもいい気はしない。

　新兵にだって金は出すんだろう？

　俺は訓練兵みたいなもんだから、それ相応の金を渡すのは変なことじゃないと思うがな」


　彼の表情は渋いまま変わらなかった。だから続けて言う。


「……まぁ、金をそのまま渡すのが難しいと言うのなら、こういう方法はどうだ？

　見張りに予算として少ない額を渡しておいて、軽食程度ならそこから出す。

　大きな買い物になるだろうものは、ものだけメモして報告し、そちらの裁定後に問題なければ後日購入する」

「……どんな内容であれ、この場で、私一人では決めることのできない案件だ」

「決まったら連絡くれればそれでいい。ダメだ、言われれば心象は悪くなるがな」


　彼はこの言葉に溜息を吐いて、


「考慮しておこう」


　やれやれと肩を落としながらそう返してきた。


　この場でこれ以上話すことはないので、椅子から立ち上がった。


　扉に向かう前に、ああそうだと、言い忘れていたことを言っておく。


「決定事項の連絡方法は任せるよ。決める過程で俺が必要なら、呼び出してくれ」

「言われずともそうする」


　返ってきた言葉を聞いて、


「そりゃあなによりだ。それじゃあ、俺は宛がわれた部屋に戻るとするよ。

　今日は時間をとってもらって助かった。

　要望の件については、いい返事が貰えることを期待してる」


　笑いながらそう返してから、この部屋から出た。






　　　　　　　　　　　　　　　　　　●






　後日。世話役を介して要望に対する返事が来た。


　食事に関する提案についてはほぼ要望通りの内容だったが、外出の件は要望通りとは行かなかったようだ。


　外出の条件は次の通りだった。


　ひとつ、数日前に外出日を連絡すること。


　ふたつ、時間帯は朝から夕方にかけてのみとし、場所は城周辺の市街地のみとする。


　みっつ、購入予算については兵士の基本賃金を元とし、購入可否については食事類を除いて裁定を必要とする。



　まんま軍隊のそれである。

　いっそ酒保でもあれば城の中だけで解決するのだが、生憎とそんなものはないのだった。


　決定内容については正直面倒くせえなとしか感想が浮かばなかったが、全面禁止を言い渡されるよりはマシな内容だろうと自分を納得させておくことにした。


　世話役からは異議があれば伺いますと言われたので、


「基本賃金は可能な限り高く設定してくれと伝えておいてくれ」


　それだけ言って下がってもらった。


　予算は多いに越したことは無いのだ。

　言うだけ言っておこうという、それだけのことである。


　……元より、全面的に許可されるとは思っていなかったからな。


　付け入る隙が無ければ何も出来ないのだ。

　そのきっかけが作れただけでもよしとするべきだろう。


　……これから忙しくなりそうだ。


　そんな言葉を思いながら、これから先にどう何を為すべきかについて考えをめぐらせつつ、今日の訓練を消化するべく外に出た。



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