18
意味がわからない顔をしている私に、坪内さんは思い出すように言う。
「前の彼氏に失恋したときに泣いてただろ。」
「なっななな、何でそれをっ!」
元彼に浮気されて捨てられたことを知っているのは、奈穂子と課長だけのハズなのに。
しかも二人の前でも泣いていないのに、どこで見たと言うんだ。
「泣きながら月を見上げてる姿に、惚れた。」
そ、それは会社からの帰り道ですね。
会社から出たとたん、堰を切ったように流れ落ちた涙。
誰にも見られていないと思ったのに。
「…どうして失恋したって知ってるんですか。」
「涙の訳が知りたくて、課長を問い詰めたらこっそり教えてくれた。」
か、課長~。
余計なことを言わないでよ。
いや、違うな。
きっと坪内さんが脅しをかけるような聞き方をしたんだろう。
そうに違いない。
「だからって…。」
「うん、だから、そこから気になるようになった。きっかけはそれってだけだ。」
人を好きになるってそうなんだよね。
ふとしたきっかけがあって、そこから意識し出すもの。
坪内さんの言うことはすごく理解できた。
だけど、私だよ。
チビだし何の取り柄もないし、可愛げもないし、データベースも扱えないし。
知れば知るほど幻滅要素しか見つからないじゃん。
「私は、坪内さんの期待に応えられないですよ。」
俯き加減で呟くと、彼は王子様スマイルで言う。
「期待なんてしてない。こうやって傍にいてくれるだけで俺は幸せだ。」
そんな…私の気持ちは無視じゃないか。
だけど、全然嫌な気持ちにはならなかった。
もう、これ以上この話を続けるのは精神的に無理だ。
恥ずかしすぎて身体中の血液が沸騰しそう。
私は食べ終わった食器を流しに持って行きながら、早口で言う。
「ああ、もうっ、早くお風呂入ってくださいっ。」
「ダメだ。秋山が先。」
今日も譲らない。
押し問答の末、結局私が先に入ることになった。
昨日あまりにも早くお風呂から出たもんだから、今日はお湯を張ってくれる。
「また俺が髪の毛乾かしてやるよ。」
「だから、自分でできますって。」
ていうか、泊まる気ないって言ったのに。
なぜこうなるの。
結局ドライヤーの音を聞き付けて、坪内さんは勝手に洗面台に乱入してきた。
私からドライヤーを奪うと、昨日と同じように髪を乾かしてくれる。
強引だなー。
でも嫌じゃないんだよね。
坪内さんに頭を触られるのが心地よい。
すっごく優しくて気持ちよくて、ふわふわした気持ちになってしまう。
「髪の毛おろしてる秋山も、いいな。可愛い。」
鏡越しに言われて、とたんに頬が熱くなった。
仕事中はひとつにまとめているから、おろしている姿は珍しいよね。
てか、せっかくお風呂に入ったのに、坪内さんのせいでまた変な汗をかいてしまう。
「も、もう、冗談はやめてください。」
「照れるなよ。」
坪内さんは笑いながら、乾かした髪を手ぐしで整えてくれる。
さながら頭を撫でられているみたいでドキドキした。
「は、早くお風呂入ってくださいよ。お湯が冷めてしまいます。」
「はいはい、わかったよ。」
私の小言に坪内さんは苦笑しながら、今度は本当に頭を撫でる。
私は紅くなる頬を隠すように、慌ててリビングへ戻った。
リビングのソファーに転がりながらスマホをチェックすると、奈穂子からメッセージが届いていた。
【大丈夫?ちゃんと暮らせてる?】
そういえば会社のエントランスで別れてから連絡していなかった。
どうなったか教えてよねというメッセージも、既読スルーしていた。
ごめん、奈穂子。
いろいろありすぎて返信するの忘れていたよ。
【坪内さんの家にいる】
と、簡潔にメッセージを送ると、すぐに返事があった。
【今度飲みに行くわよ】
これは、飲みの席で根掘り葉掘り聞かれるパターンだ。
私は苦笑いしてスマホを閉じた。
坪内さんの好意に甘えっぱなしでいるけど、今度の土日は家探しをしないと。
早く新しい家を見つけないと前に進めない。
家財道具をいつまでもあの焦げ臭い臭いの中に置いておきたくないし。
こんな、あったかくて優しい場所にまどろんでいたら、ダメ人間になってしまうよ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか寝てしまったらしい。
「秋山?」
坪内さんの声がした気がしたけど、まぶたが重くて上がらない。
眠りの縁で、毛布を掛けられる感覚がある。
あったかくて気持ちよくて、覚醒しそうになる意識がまたすっと消えていった。
髪を撫でられ頬を撫でられ、
「早く俺のものになれよ」
そんな呟きが耳をかすめていった。
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