第14話
「ド-・シ・ラ・ソ、ファー・ソ・ラ・ド」
「ド-・シ・ラ・ソ、ファー・ソ・ラ・ド」
とかげのハーモニカでの「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」は、こうして始まりました。
とかげの頭の中では、いつでも大好きな曲が流れているようになりました。
朝起きて、顔を洗っているときも、ご飯を食べているときも、働いている間もずっと、夜、夢の中でさえ、素敵な曲は頭の中で鳴り続けていました。
ずっと先かもしれないけれど、いつかきっとすべてが吹けるようになるような予感が、どうしたってしました。
自分のハーモニカが、手探りで少しずつ曲になっていくことが、とかげにはこの上ない喜びに思われました。
この喜びや充実を誰かに伝えたい、そう思いながら懐かしい人々を思い浮かべて吹くと、なんだか音色までもが澄んで美しくなっていくように思われました。
「ドー・シ・ラ・ソ、ファー・ソ・ラ・ド、
シー・ラ・ソ・ファ・ミー、
ラー・ソ・ファ・ミ・レー・ミ・ファ…」
こうして、ずいぶん時間はかかりましたが、いつしかとかげは自分の一番大切な曲が、一番の仲良しの楽器ですっかり吹けるようになりました。
かつての心ののよりどころだった店で過ごした時間を思い出しながら吹くと、その思い出がハーモニカの力を借りて、曲に乗って語り掛けてくるように思われました。
変わってしまったのではない、かつての店を思いながら吹くと、確かにあの懐かしい風景が、セピア色に煙って帰ってくるようでした。
とかげはそこにマスターとバーテンと自分を置いてみました。
多分もう自分と同じように店に行かなくなっているであろう馴染みのお客さんも、そこここに座らせてみました。
そうして、とかげは慈しみと愛しさを込めてハーモニカを吹きました。
あの店が、今も昔と同じようにあると思いながら。
いつか、かつての店がそのままよみがえるよう願いながら。
きっとそうなるんだ、必ずそうなるんだと信じて、吹き続けました。
すると、とかげの胸の中からだんだんと、店が変わってしまった淋しさや残念な気持ちが薄らいでいくように思われました。
そして、バーテンからかけられた温かい言葉や、ほかのお客さんと交わしたたわいもない、けれど心安らぐ会話などの楽しかった思い出ばかりが静かに息を吹き返してくるのでした。
マスターやバーテンがどうしているか、これからどうしていくか、という心配も、二人を信じて、きっと変わらないでいてくれるという気持ちに変わっていきました。
そうしていつしか、とかげはすっかり安らかな気持ちに包まれていました。
すると、その心に元々備わっていたらしい活き活きとした力が自然に湧き起こってきたのです。
「おいらは自分の好きだったあの店を大切にしたし、これからも本当の『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』の姿や、そこで出会った人たちを忘れないだろう」
そう思うと、とかげはとても安心しました。
そうして、そんな自分のことも大切にしたいと思ったのです。
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