ギルバード様とその兄ディンセント様!

 禍々しい魔王城、万を超える人間の死体と奥を超える魔物の骨を素材として作られた建築物はその場にいるだけで精神をガリガリと削っていくようだ。


 ドラコから降り、横に立つギルバード様が険しい表情で城を見つめる。


 崩れかけた王城をコボルトが必死に滴る液体をなので拭い、ゴブリンが泣きながら自らの腕を千切って隙間に突っ込む。


「魔王は力で配下の魔物を支配している。ここではよくあることさ、だがそれも今日で終わりだ」


 ドラコを労るように撫で、リュウトが服の襟を正した。決意に満ちた表情で玉座に通じる扉を睨む。


「魔王と戦えると思うとワクワク……はしねぇな。アイツそんなに強くねぇし、ちゃちゃっと終わらせようぜ」


 タイガが拳をぶつける。ギルバード様と和解してから彼は頭の耳や尻尾を隠すことなく、いや堂々と衆目に晒すようになった。


「こ、ここが魔王城……禍々しいな」

「やはり俺たちは場違いなんじゃ……?」


 魔王討伐のメンバーに選ばれたロックとディンセントが震えながら辺りを見回す。同じクラスということとギルバード様の要望もあって選ばれた二人。当初は渋っていたものの、ギルバード様の熱烈な勧誘に陥落したのだ。


 頼もしい面子を眺め、ギルバード様は大きく頷く。


「これから俺たちは魔王に戦いを挑む」

「そいつぁ違うぜお坊ちゃん。アンタら全員ここでくだばンだ、この俺様の炎でなぁ!?」


 私達の背後に爆音をあげながら四天王の一人、炎獄のエンキが着地する。


 毛髪の代わりに炎が体表を覆い、鍛え上げられた筋肉を覆うぼろ布をローブがわりに腕を通している。


 手足は鎖に繋がれているものの、その長さは拘束するためのものではなさそうだ。炎を纏う鎌を肩に当て、獲物の匂いにマズルをひくつかせている。


「おやおやぁ、コイツは驚いた。そよ風のリュウトちゃんにネコちゃんのタイガじゃねぇか。なんでそっちにいンだ?」


 ジロジロとリュウトとタイガを眺めたあと、エンキは腹を抱えて笑い出す。


「なるほどねぇ!!魔物の未来を憂いて魔王に反旗を翻したっつーパターンか!いいぜ、そういうの俺大好きだ!」


 そしてエンキは炎鎌を構え、牙を剥き出す。捕食者を彷彿とさせる獰猛な笑みを私たちに向けた。


「未来のために戦う気高く、綺麗で崇高な思想!!それを踏み潰して蹂躙ー」

「エクスプロージョンッ!」


 エンキが演説中に感極まって天を仰いだその瞬間の隙をディンセントは見逃さなかった。寸分の狂いなく無防備となった喉笛のすれすれで魔法を炸裂させるッ!!


 まさか自分の演説を遮って攻撃してくるなんて思いもしなかったエンキはまともに爆発を食らって城の外に吹き飛ばされたッ!!


「ギルバード、俺たちは時間を稼ぐッ!!お前らは今のうちに魔王を倒せッ!!」


 ディンセントの横に立っていたロックが短剣を抜いてエンキに追加攻撃を仕掛ける。


「ディンセント様のいう通りです、我々に構わず皆さんは魔王をッ!」

「二人じゃ四天王に勝てないッ!俺たちも……」


 加勢しようとしたギルバード様をリュウトが止めた。


「ギルバード、ディンセントさんの気持ちも汲んでやってくれ。彼も俺と同じように『兄』なんだ。カッコつけさせてやろう」


 リュウトの言葉にキュルル、とドラコが賛同するように鳴き声をあげる。


「ドラコ、お前も戦うのか。……分かった。無茶はするな」


 ドラコは尻尾をビタンと一回地面に叩きつけ、翼をはためかせながらロックに加勢せんと飛び立った。


 その様子を見つめ、ギルバード様が諦めたように笑った。


「分かったよ、ディンセント兄さん!」

「よく分からんが分かったならいい、さっさと行ってしまえ!」


 ディンセントは私たちに背を向け、エンキの飛ばされた先に駆け出していった。その背中を見送ったギルバード様。その表情は少し嬉しそうだった。


「目標変更!一刻も早く魔王を倒すぞ、皆!」

「「「「御心のままにイエスマイロード!」」」」


 ◇◆◇◆


「付き合わせて悪かったな、ロック。別に逃げ出しても良かったんだぞ」

「確かにディンセント様のような失恋確定の当て馬が主人なら逃げ出しても誰も文句言わないでしょうね」


 歓談を続けながらも俺は炎魔法をエンキに打ち込む。呪文を唱える間、ロックがエンキの攻撃を寸前で受け流してくれる。


 まったく俺は優秀な部下を拾ったものだ、と感心しながら短剣と炎鎌の剣戟を眺めた。


「アンタを捨てるなんてマネはしねぇがなぁッ!」


 紙一重でエンキの攻撃を捌き、命の危機に瀕した事で過去の口調が戻りつつあるロック。


 そういえばロックに出会ったのも魔王城のように死体で溢れ返ったスラム街だった。


 当時、国は荒れに荒れていた。クラン王国全土を襲った未曾有の病。幼い子供にだけ感染し、致死率百%とも噂されたパンデミックは記憶に新しい。感染を隔離しようと誰もが躍起になっていた。


 王城で息の詰まる生活を強いられていた俺はその騒ぎに応じて城を抜け出し、久方ぶりの孤独を満喫していた。誰一人いない、雪に覆われた真っ白な王都を護衛も連れずに歩くというのは新鮮な気持ちだった。


 当然、道のわからない俺はコイントスと棒倒しで行き先を決めながら彷徨う。その時、裏道の奥、建物に挟まれて行き当たりになった場所でロックに出会った。


 カヒュ、カヒュと掠れた音を出しながら苦しそうに呼吸し、雪に埋もれる物体に興味を惹かれて近づく。恐る恐る雪を払い除けても人とは思えぬ風態をしていた。


 ぼろ布から見える手足はまるでマッチ棒のようであり、痩せこけて汚れた顔はゴブリンの新種かと目を疑うほどだ。


 手に持った石を口に運び、がりっと齧る。その挙動を見守って、そこで初めて人間だと気づいた。俺は慌てて石を取り上げて抱え上げる。


 掠れた声で抗議したようだが、呼吸音に阻まれて聞こえなかった。温度を感じない体を大得意の炎魔法で温めながら俺は王城に連れ帰った。


 当然、元いた場所に返せと母に叱られた。他の兄弟も俺を見下したようにせせら笑った。


 それでも俺はロックと名付け、自分が学んだことをソイツに教えた。自分の食事を切り詰めてでも食わせた。足りなければ王城のキッチンから食材を盗んででも食わせた。


 最初は物珍しさだったが、後半は意地だった。王位から離れつつも巻き込まれる権力争い、それに対する鬱憤をロックへの教育に当てた。


 ロックからの見返りや忠誠心などはなから期待していない。平民が道徳や義理、情を理解するはずがないと思っていた。


 そう、入学試験の時までは。


 決闘に勝利し、アルベシードのお気に入りであると噂のギルバード。そのお気に入りである妾のエミリア。その前でギルバードを侮辱したのだ。妾ならばギルバードに俺の発言を全て伝えるだろう。そうなれば決闘を申し込まれるのは必然。


 後衛|職業〈ジョブ〉である魔法使いの俺はどうあがいても負けるだろう。その絶望とちょっと好きな子が既に他の男のものと知った俺はロックを置いて馬車に戻ったのだ。


 入学するまでの間、俺は怯えていた。いつエッテル領から呼び出されるか、いつギルバードがエミリアを連れて俺を断罪しにくるのか。眠れぬ夜が続いた。


 ある日、付き合いで参加したお茶会で使用人の噂を耳にした。


『ディンセント様の部下がギルバード様の妾に土下座をしたらしい』という噂。


 普段、俺を見下したようにせせら笑っていたロックが最も嫌う『男に媚び諂う女』に頭を下げた?


 その意味を問うとロックは背中を向けながら答えた。『アンタが俺を救ったように俺もアンタを救っただけだ』と。


「ファイアーボール!」


 ロックが怯んだ隙を突いて喉笛に迫る炎鎌。それを振るう背中に火球をぶつける。エンキは忌々しそうに舌打ちをして俺を睨む。


「このマッチより弱ェ炎が俺様に勝てるわけがねぇだろぉがァ!諦めやがれ畜生めェ!」


 七千回火球を食らった背中はすでに炭化し、エンキが動く度に炭を地面に落とす。俺に気を取られていたエンキの背中をロックが1万回目となる剣撃を当てた。


 呻き声を上げ、俺たちと距離を取るエンキ。その上空からドラコのブレスが再びエンキの背中を襲った。


「畜生がァ!テメェら、背中ばっかり狙いやがってぇ!!」

「ディンセントォ!今だぜッ!」


 すっかりスラム時代の口調に戻ってしまったロックに呆れつつも、俺はエンキに掌を向ける。


 隣に立つロックもエンキに手を向けた。


「「フレイムランス〈拡大〉!!」」


 俺たちは同時に呪文を唱えた。周囲の気温を急激に上昇させながら赤熱に輝く魔法陣から炎の槍が形成される。


「たかがその程度の炎の温度がどぉしたぁ!」


 その炎の槍にドラコが真っ青な炎のブレスを吐いた。赤と青が混じり、やがて白色の炎になった。


 人智を超えた温度を持つ炎の槍をエンキの胴体、魔石のある心臓を狙い撃つ。


「ありえねぇ!!その色は太陽の色!炎に人間如きが耐えられるはずが!そんなはずがない!!何かの間違いだ、これは夢なんだ!」


 炎の槍を掴み、絶叫しながらもがくエンキ。


「この俺が、人間如きにィッ、臆病ドラコにッ!負けるはずがないんだァァァ!!」


 抵抗虚しく、エンキは1万度を超える灼熱の炎に包まれた。


 炎の槍は雲を超え、魔王城を超えた先にある死海に落下した。海の水を全て蒸発させ、そこが後に塩海として経済戦争の要になるということはこの時の俺には知る由もなかった。


 そんな事は梅雨知らず、俺たちは呆然とエンキのいた場所に転がる魔石を眺めた。


「……これは、勝ちましたね?」


 ロックの他人事のように呟いた台詞で俺は我に帰った。ジワジワと実感が湧く。


 王位継承権第30位と馬鹿にされていた俺と元スラム出身のロック、それと落ちこぼれと呼ばれていたドラコ。この3人で四天王最強のエンキに勝ったんだ!!


「やったぞ、ロック!俺たち、四天王に勝ったんだ!!」


 地面に降り立ったドラコも勝利の咆哮とブレスを天に向かって放つ。


「ギルバードやエミリアとの試合や連日の魔物狩りは無駄じゃなかった!俺たちでも戦えたんだ!!」


 目を閉じると学園生活の授業が蘇る。ケイン先生とのゾンビ戦法の練習。エミリアやギルバードを相手に実践訓練。リュウトによる一点集中攻撃の講座。タイガとの反射向上のためのスパークリング。


 極め付けは抜き打ち一週間連続魔物ハンティングだ。サバイバルグッズも食料も水も持たず開催されたそれはまさしく拷問と形容するにふさわしい内容だった。


 どの訓練も命を落としても不思議ではなかった。それでも歯を食いしばって耐え抜き、今日までやってきた努力は報われたのだ。


 具体的にいうとレベル30に到達し、四天王の一人を倒すほどに。


 このレベル帯であればクラン王国が誇る最強集団、王直属護衛騎士になるのも夢ではない。


「やはりギルバードに従っていれば俺たちは出世できるな」

「ディンセント様、恋敵に従うんですか……?男のプライドとかはお持ちでない?」


 落ち着いてきたのか、昔教え込んだ使用人の口調に戻りつつあるロック。その煽りを俺は鼻で笑い飛ばす。


「一番綺麗な顔っていうのはな、幸せを噛み締めている時だ。そしてエミリアが綺麗な顔をしているのはギルバードのそばにいる時」


 言葉を切って魔王城に視線を移す。


「惚れた女が幸せなら、俺は喜んで恋敵の靴を舐めるさ。それに弟の幸せを願うのも『兄』の役目だろ?」


 ドラコが唸り声をあげながら俺に顔を擦り付けた。頭を撫でてやると目を細め、より一層唸る。猫みたいだな、コイツ。


「アンタ、マジで男だぜ」

「何か言ったか?ドラコの唸り声で聞こえなかった」

「馬鹿な主人だな、と」

「それについてくるお前も大概だろう」


 笑い声をあげ、互いの背中を叩く。


「勝ちますかね?」

「勝つに決まってる」

「その根拠は?」

「俺の弟だから」

「まったく、本人に言えばいいものを」


 呆れたように肩を竦め、俺たちは更地と化した地面に倒れ込んでギルバードを待った。

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