第2話 金髪は獣の証
暗い洞窟で目覚めたシンは、母親の体温を求めて手を伸ばした。
見えないが、温かい感触を指の先に感じ、安心したようにすり寄った。
昨日のあれは怖い夢だったんだ。
父様が一瞬のうちに金色の獣にかわり、母様とボクをその鋭い爪にかけたなんて……。
シン・ゴールドマン、獣人の父親と人間の母親を持つ人間の男児である。生を受けてから五年、母親は夜になるとシンと二人人里に戻っていた。しかし、昨晩だけは生まれたばかりの妹が高熱を出し、二人は父親の元に残ったのだ。
妹は金髪に赤い瞳の可愛い赤ん坊であったが、獣人の性質を示しており、人里に入ることは許されていなかったから。
そんな時、運悪く赤い満月が昇ったのだ。
父親は獣と化し、人間であった二人を襲ったのであるが、幼いシンはあれは夢だと思い込んでいた。第一、夢の中では背中に酷い傷をおった筈なのに、今痛くも何ともない。
だから夢なんだ。
ここがどこかは分からないけど、この温かい手触りは母親のもの……の筈だ。
「目が覚めたのか? 」
シンがエルザの腕をしっかり掴んだ為、少し前から目を覚ましていたエルザが声をかけた。と同時に呪文を唱え、松明に灯りを灯す。
いきなり眩しくなり、シンは目をこする。
吐息がかかるほどの距離に、父親と同じ金髪で赤い瞳の美少女が横たわっており、シンは母親ではないその少女を信じられない面持ちで見上げた。
シンにとって、世界一美しいのはシンと同じ黒髪に黒い瞳の穏やかに微笑む母親であった筈が、その母親よりも美しいと思える存在が目の前にいた。
そして、その少女は昨日の悪夢に出てきており……。
「私はエルザ。エルザ・オルコット。おまえは? 」
容姿に劣らず美しいその声は、五歳の子供に話しかけるには多少固いものだったかもしれない。
「シン・ゴールドマン」
「シンか。まず、おまえに謝らないといけないかもしれない」
エルザは身体を起こすと、シンに向かって頭を下げた。絹のようなすべやかな髪の毛がサラリと前に流れる。これから先、エルザが頭を下げたのを見るのは、これが最初で最後となる。
「あの……」
「言い訳のようだが、あれが最善の方法だった。そうしないと、おまえの命を留めておくことは不可能だったからだ。その副作用のことは、私の知識の中にはなかった。私の血の中に含まれる獣人の血と、おまえの中にあるわずかな獣人の血が反応し、化学反応を起こした結果だろう。しかし、運良くおまえの瞳は黒いままだ。獣化することはないだろう」
大人に話すような口調で、シンにはほとんど理解できなかった。不思議顔をしているシンの目の前に、エルザは水鏡を空中に出した。
そこに映るのは、エルザと同じ金髪の少年で、顔だけは見覚えのあるシンのものだった。
「金色? 」
シンは、短い髪を引っ張って、何とか自分の目で見ようとする。
「そう金髪だ。獣の証でもある」
「そう……」
父親が獣人であるシンにとって、獣人は忌むべき存在ではなかった。ただ、金髪であることにより、人里に入ることは許されない。それは、人間との別離を意味していた。
「おまえに魔法をかけて、黒髪にすることは可能だ。ただ、多分おまえの寿命は獣人並に延び、三百年は生き続けることになるだろう。その長い年月を、人と共に生きることはできないし、村々を転々としないといけなくなるだろう。また、その身体能力も人間からしたら異質なものになったことだろう」
エルザは話しをいったん止め、シンの反応を伺った。
どこまで理解しているか……、ほとんど理解はしていないようだ。
エルザはため息をつき、この子供をどうしたものかと考えた。
多分、成長もゆっくりだろうから、成人するまでは五十年ばかりかかることだろう。千年生きる妖精の血をひくエルザにとって、それは瞬きするくらい短い期間である。
それくらいの時間をこの子供に費やしても、痛くも痒くもないし、そうする義務もあるかもしれない。
命を助ける為とはいえ、人間の世界に戻れなくしたのは自分だし、かといって半獣の子供を獣人達は受け入れることなく喰らうだろうから。
「いい。もう少し大きくなったらおまえに再度話すとしよう。それまで、ここにいるがいい。生きる術を教えよう。そのかわりにおまえは私の言うことは絶対服従だ」
シンは分からないまでもコクリとうなずいた。
獣人化したことにショックはなかったが、今ここに母親の姿はなく、この美少女が一緒にいてくれるという。
つまりは、あの夢は夢ではなかったのだろう。
それだけを理解したシンは、ボロボロと涙を流した。大好きな父親が、大好きな母親を喰い殺した事実が五歳の胸に重くのしかかり、獣人を……獣人の特性を心底憎んだ。しかし、その怒りは泣くことでしか表現できず、次第に大きくなる泣き声に、エルザは困ったようにその肩に手を置いた。
四百年近く生きているエルザだが、子供と触れあったことはなく、子供のあやし方などその豊富な知識の中にはなかった。
シンはその手の温かさに、エルザにしがみつくようにして大声で泣いた。両手の持って行き場所に困ったエルザは、しばらく困ったようにシンの背中の辺りを手を彷徨かせていたが、背中をトントンと叩く行為に落ち着いた。
いづれは子供を……とは考えていたが、それは遥か先の話しで、まさか自分が子供と生活することになるとは考えもしていなかったエルザは、子供に必要なものが何かを調べないとと、知識を増やす決意をした。
★★★
「いいか、この通りに生活するんだ。できるな」
まだシンが読み書きができないということを失念しているエルザは、上級言語である妖精語で書かれた紙を得意気に壁に打ち付けた。
「いいか、子供は家事手伝いをさせるべきらしい。それと、勉強の両立も重要だ。身体を鍛えることも忘れてはいけない。子供は何時間でも走り回る生き物だということだ」
どこから仕入れたか分からない内容だったが、エルザはそれを真剣に受け止め、自分が育てるからには完璧な子供にしなければと気負っていた。
子供に一番重要なのは愛情であるのだが、そんな当たり前のことは誰も口にすることなく、子供に何をさせたらいいか……という問いに対する答えをとりあえず寄り合わせたのだ。
「エルザ……それ、何て書いてあるの? 」
エルザは、信じられない物を見るようにシンを見た。
「読めない……のか? 」
「さっぱり」
断言するシンの笑顔にエルザはよろける。
見た目の大きさで判断していたが、(人間の五歳児は妖精ならば三十年は生きており、読み書きなどできて当たり前だった)シンはまだ五年しか生きていないのだから、当たり前といえば当たり前なのである。
「妖精語が読めないのなら、ドワーフ語は? 人間語ならいけるか?! 」
どれも無理な話しだ。
首を振るシンに、エルザは肩を落としてせっかく書いた紙を呪文で燃やした。
「なら、 口で言うから覚えろ!朝は五時に起床、顔を洗って着替えたら部屋の掃除、朝食の支度、朝食を食べたら後片付けをしてから洗濯だ。洗濯が終わったら勉強だ。本当は数学に化学、国の歴史などの教科書を仕入れてきたのだが……とりあえずは文字を教えてやる。昼食の支度をして食べ終わったら片付け、そのあとはランニングに剣技、終わったらまた勉強で、夕飯の支度。就寝は八時だ。いいか! 」
「はい!! 」
返事だけはいいが、この過酷な予定を五歳児がこなせる筈もなく、自分の衣服も満足に着ることもできず、掃除をすれば部屋中水浸し、食事は丸焦げ(怪我をしなかっただけめっけものである)、洗濯物は泡だらけで干され、勉強の時間は筆を持ったままウツラウツラ。そのまま爆睡してしまい、目覚めたのは夕方だった。
シンが寝ている間に、エルザの魔法で部屋は整えられ、洗濯し直され、夕飯の準備は終わった。
エルザの考えた予定の何がいけなかったのか……。
それは全てであるが、これを教訓に、エルザはこれからつきっきりでシンの教育に当たることになる。
そして三十年の月日が過ぎ、シンはエルザの予定以上をこなせるように成長した。
家事は完璧になり、何時間でも走り回る体力と、獣並の俊敏性を供え持ち、剣技に至っては国の大会(年に一回、人種を問わない大会が開催されていた)に出場すれば一番間違いなしというお墨付きを、エルザから貰うほどの腕前となっていた。ただし、エルザが出場しない大会で……という但し書き付きの。
三十年という月日で変わったのは、五歳児だったシンは十代中頃の見た目に成長し、エルザに至っては何も変わったようには見えなかった。わずかに髪の長さが伸びたくらいだろうか?
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